第7話 数字の奴隷
「だから言っただろ。マルカワのマルヨムにそのまま置いておいても、PVは1のままだ。世間じゃ『マルヨムはホラー小説に強い』なんて言われてるが、あれはうちが仕掛けたただの広報戦略、綺麗にパッケージングされたただの撒き餌だ。新人開拓など嘘っぱち。マルヨムはすでに商業化が決まっている作品の販促装置でしかないんだから」
西新宿の高層ビル群から差し込む斜光を浴びながら、大手出版社『マルカワ』の編集者である小野は、スマートフォンの画面をスピーカーフォンにしてデスクに放り出した。通話相手は、彼がマルヨムの底で見つけた新人作家だ。
「いいか、マルヨムの素人小説なんて誰も読んでないんだよ。あそこにいる利用者は新人じゃない。『小説家』という夢に食らいついた、マルカワの本を買ってくれる最大の消費者だ。互いに読み合って傷を舐め合っているだけの掃き溜めに、まともな市場なんてない。だから、まずは君のその生ぬるいホラー短編をすべて引っ込めて、『小説家をやろう』へ移植するんだ。あそこには日本最大の読者人口がいる。そこで俺の指示通りにプロットを修正し、ランキングに顔を出したところで『やろう上位』という箔をつけて、うちから書籍化する。これが一番売れるルートだ」
電話の向こうで、新人は力なく「わかりました」とだけ答えた。
小野は満足げに鼻を鳴らし、通話を切った。企業の用意した巨大な実験場に新人を放り込み、市場の生データを見ながらチューニングする。これ以上なくローリスクで合理的な、現代出版の裏戦略だった。
翌日から、小野の徹底的なプロット修正の指示が始まった。
「いいか、まずはその無駄に暗いタイトルだ。読者は1秒でブラウザバックする。一目で内容が分かるように『異世界転生した俺の過剰チート過ぎる無双生活〜美少女三人と従魔に擁されて、夢の極上スローライフを始めます〜』に変えろ。フックが全てだ」
ホラーとしての情緒や、じわじわと追い詰められる監禁の恐怖を描いていた新人作家の元原稿は、小野の「市場最適化」という名のメスによって、跡形もなく解体されていった。
「第1話でトラックに撥ねられた後、ウジウジ悩むな。即座に真っ白な空間に行け。女神を出してチートを渡せ。読者は主人公の苦労や悩みなんか見たくないんだよ」
「第2話のステータス水晶破壊は必須だ。スカッとさせろ。美少女はとりあえず2人出しておけ。あざといツンデレとポニテだ」
「第4話でエルフの奴隷を救え。呪いを一瞬で解いて『お兄ちゃん』と呼ばせろ。男の承認欲求を限界まで満たすんだ」
新人は返事をしなかった。ただ無力感と共に画面を見つめていた。
キーボードを静かに叩く音だけが続いた。
しかし、小野の冷徹なマーケティングは「正しかった」。
『小説家をやろう』に移植されたその歪な物語は、小野の指示通りに更新を重ねるたび、面白いように数字を伸ばしていった。
日間総合ランキング1位。ブックマーク数、数万件。
「見たか? これが『市場』だ」
オフィスで画面を見つめる小野の口元に、勝ち誇った笑みが浮かぶ。
「どんなに高尚な文学を気取ろうが、数字が出なければただの自己満足だ。君の生ぬるいホラーじゃ、一生届かなかった景色だろ?」
スマートフォンの画面の向こうで新人は何も言わなかった。ただ、低く掠れた呼吸の音だけが聞こえていた。
小野はそれを、自らの正しさに圧倒された新人の沈黙だと信じて疑わなかった。だからこそ、小野は気づかなかったのだ。
新人がランキング上位にのし上がったその歪な小説の最新話の末尾に、小野への相談もなしに、本来の自分のホラー領域であった「凄惨なホラーの結末」をそのまま叩きつけていたことに。そして、その最終話が公開された瞬間のことだった。
「……なんだこれ」
小野は感想欄をクリックした。ランキング1位に入ったのだから、さぞかし絶賛のコメントが並んでいるはずだった。
しかし、液晶画面に映し出されたのは、異様な文字列だった。
投稿者:ユーザー名拒否
「これジャンル『ファンタジー』じゃなくて『呪い』だろ……。洒落怖のコピペ読んでる時みたいな嫌な寒気がするんだけど。マジで読むのやめた方がいい」
投稿者:通りすがり
「最初はよくあるテンプレ無双系かと思って読んでたのに、最新話読んだあたりから部屋の電気がチカチカし始めた。ブラバ推奨。これ以上読むの怖い」
投稿者:名無しのワナビー
「おい作者、悪質なスクリプトでも仕込んでる? 読むとスマホの画面バグるんだけど。マジで消せよこれ」
投稿者:名無し
「売れ線のキャラ無理やり詰め込んでるせいで、物語の整合性が完全に狂ってる。狂気が煮詰まってる。作者の精神状態どうなってんの?」
投稿者:あ
「もどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれもどれ」
通常の小説への感想とは明らかに違う、拒絶と恐怖が剥き出しになった短い警告の数々。さらに気味が悪いのは、「あ」というユーザーの警告が、今この瞬間もリアルタイムで増殖し、感想欄を埋め尽くそうとしていることだった。
心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。だが、小野はすぐに自嘲気味に笑った。
「なるほど、アンチの嫉妬か。まあ、これだけ叩かれるのも『人気の箔』がついた証拠だな」
小野はスマホを取り出すと、作家へ最後のメッセージを送った。
『やろう1位で箔は完璧についた。最高のビジネスになるぞ』




