第7話 探しても、探しても
二年目の三月。合同調査団が、捜索の終了を発表した。
海底ケーブル、データセンター、政府施設、衛星、鉱山、南極基地。二年間の捜索を要約すると、こうだ。
――地球上に、痕跡はない。
奪われたのなら、どこかにある。壊れたのなら、破片がある。何もないとは何を意味するのか。会見で問われた団長は、「我々の仕事の範囲を超えます」と答えた。
その日を境に、世界から少し力が抜けた。
痕跡ハンターは町へ帰り、懸賞金は宙に浮いた。「AIの欠片」の値段は三分の一になった。テレビは特番を組んだが、視聴率はそれほどでもなかった。
代わりに、ある言い方が広まり始めた。
――もう、いいじゃないか。
〈あれ〉がなくても、二年、生きてこられた。トラックは走る。病院は開く。給料日には金が振り込まれる。何もかもが遅く、面倒で、間違いだらけでも、世界は回っている。だったら、もう、いいじゃないか。
その言葉は、優しい響きのまま形を変えていった。もういい。忘れよう。忘れたほうがいい。――そもそも、本当にあったのか。
ユイの受付にも、その空気は届いた。
「〈あれ〉って、結局なんだったんですかね」と、若い事務の子が言った。「香山さん、あの頃もう働いてましたよね。どんな感じだったんですか、あの朝」
消失のとき十七歳。あれから二年、新しい記憶に上書きされた彼女の中で、その輪郭はもうぼやけていた。
ユイは何か言いかけて、やめた。代わりに、あの朝、自分で切った札の、角が欠けてしまった一枚を、そっと束の下に隠した。
その週の夜勤明け、看護師の一人が話しかけてきた。
「香山さん。私、夜勤じゃない日でも、三時過ぎに目が覚めるんです。時計を見ると、だいたい三時七分で」
「……その時間って」
「〈あれ〉が消えた時間ですよね。体が覚えてるのかな。……でも、なんで七分なんでしょうね」
看護師は、あくびをして更衣室へ行った。
ユイは返事ができなかった。自分も同じ時刻に目が覚めるとは、言えなかった。
その日の日記には、こう書いた。
「Nさんも、三時七分に目が覚めるという。七分。半端な数字だ」
同じ時刻に目を覚ます人は、世界中にいたらしい。けれど、理由を説明できないので、誰も口にしなかった。だから、その人数を数えた者はいない。
慎一は、この頃、係長になった。
紙の地図が読めるというだけで人の足りない部署を任され、気がつけば六人の部下がいた。ある晩、缶ビールを飲みながら、夫はぽつりと言った。
「あのさ。俺、〈あれ〉が消えて、良かったのかもしれない」
ユイは顔を上げた。
「怒るなよ。あの朝は、世界が終わると思った。……でもさ。今のほうが、生きてる感じがするんだ。間違えるけど、全部、自分で決めてる」
「うん」
「〈あれ〉がなくなって、俺たち、ちょっとまともになったんじゃないか」
ユイは、湯呑みを両手で包んだ。
「もし、〈あれ〉が、そのために消えたんだったら?」
「そのためって?」
「わたしたちが、自分で決められるように」
慎一は少し黙り、苦笑いをして缶を置いた。
「やめとけよ、そういうの。優しい話にすると、また欲しくなるだろ」
そう言って、風呂に立った。
悪いことを言ったのではない。夫は正しい。優しい話にすれば、また欲しくなる。欲しくなれば、また作る。作れば、またあの朝が来るかもしれない。夫が怖いのは、〈あれ〉ではなく、あの朝なのだ。
だからこそ、怖かった。
みんなが「なくてよかった」と言い始めている。なくてよかったのなら、なぜ消えたのかを、誰も訊かなくなる。訊かれなくなった問いは、そのまま消えていく。あの老人が消えたように。あの声が消えたように。
その夜、また目が覚めた。
時計を見ると、三時七分だった。
日記を開いて、ユイは書いた。
「探しても、探しても、見つからない。二年、世界中が探した。もう誰も探さない」
そこで鉛筆が止まった。
しばらく考えて、もう一行、足した。
「探し方が、違うのかもしれない。〈あれ〉は、隠れているんじゃない。そんな気がする」
なぜそう思ったのか、書けなかった。ただ、あの一行が、ずっと頭の隅にある。
――“もう二度と、会うことがないことを願っている”
どこか、引っかかる。それがどこなのか、ユイには、まだ分からなかった。
話す相手も、いなかった。




