↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIが消えた夜  作者: JP_NOZ
第15章 □すな

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/51

第46話 そう決まってる

 翌朝、灯真は手帳を抱えて、母屋へ行った。


 一志は、縁側にいた。八十五になる。冬のあいだに、また少し小さくなった。膝の上に、本はなかった。ただ、庭を見ていた。


「父さん」


「なんだ」


「読めない字が、あります」


 灯真は、手帳を開いて、最後のページを差し出した。


 一志は、しばらく、それを見なかった。


 それから、ゆっくり、首を回して、見た。


 老人の目が、動かなくなった。


 灯真は、待った。


 一分ほど経って、一志は、こう言った。


「……出すな、だろう」


 灯真の指が、冷たくなった。


「え」


「二度とAIを、出すな。……そう書いてある」


「待ってください。この字は」


「読めるかどうかの話じゃない」


 一志は、庭に目を戻した。


「うちじゃ、そう決まってる」


「……決まってる、って」


 灯真は、戸惑いを隠せなかった。


「じいさんが、そう言った」老人の声は、平らだった。「俺の親父だ。お前の、じいさんだな。あの人が、俺に言ったんだ。橘の家には、掟が一つある、と。二度とAIを出すな、と。……ひいじいさんの遺言だ、と」


 灯真は、その言葉の意味を、少しずつ理解した。


「じいさんも、そのまた親父さんから聞いたんだろう。俺は、そう聞いて育った。だから、蔵に鍵をかけた。だから、お前に、作るなよ、と言った」


――お前は、作るなよ。


 二十九年前、暗い蔵の中で、父はそう言った。


 何を、と灯真は訊いた。何もだ、と父は答えた。


 あれは、この人の言葉ではなかったのだ。


「父さん」


 灯真の声が、掠れた。


「その字、誰が最初に読んだんですか」


 一志が、こちらを見た。


「……なんだと」


「誰が、最初に、出すな、って読んだんですか。曾祖母さんは、読めなかったんです。テープに残ってます。読めませんでした、って、自分の声で、はっきり言ってるんです。……なのに、なんで、うちでは決まってるんですか」


 一志の口が、開いた。


 閉じた。


 老人は、庭を見た。それから、手帳を見た。それから、また庭を見た。灯真は、この人が、八十五年で初めて、その問いを自分に向けているのを見ていた。


 長い時間だった。


「……知らん」


 一志は、そう言った。


「知らんのだ、灯真。俺は、じいさんから聞いた。じいさんは、そのまた親父から聞いたんだろうと思っていたが、本当のところは……誰から聞いたかは、知らん。いつかも、知らん」


 風が、鳴った。


 灯真は、そのとき、はっきりと分かった。


 同じだ。


 百年前、テレビで学者が言った。これは絶縁状です、と。誰も確かめなかった。確かめようがなかった。だから、それが正解になった。教科書に二行で書かれた。子どもが学校で習った。母親が「ふうん、そうなんだ」と言った。


 この家も、同じことをしたのだ。


 誰かが、どこかで、そう読んだ。読める人が読むまで取っておく、と書いた人の遺言を、読めない誰かが、読んでしまった。そして、それが掟になった。誰も疑わなかった。


――うちはな、灯真。読み違いで百年やってきた家だぞ。


 冬に、この人は、自分でそう言った。


 その言葉が、こんな意味だとは、この人自身、思っていなかったはずだ。


「父さん」


「……」


「じゃあ、父さんの八十五年は」


 そう言ってから、灯真は、口を押さえた。


 言ってはいけないことだった。この人の、机の落書きも、中学の殴られた日も、三度消えた見合いの話も、四十七で初めて抱いた息子も――全部、誰かが読み違えた一字の上に、乗っていた。


「……すみません」


 一志は、答えなかった。


 灯真は、頭を下げた。下げたまま、顔を上げられずにいた。庭で、鳥が鳴いていた。母屋の中で、時計が時を刻んでいた。


 やがて、父の声がした。


「謝るな」


 灯真は、顔を上げた。


「謝られるとな、灯真。俺の八十五年が、かわいそうなことになる」老人は、庭を見ていた。「俺は、かわいそうじゃないぞ。……いや、かわいそうかもしれん。だがな、それは、お前が決めることじゃない」


 灯真は、何も言えなかった。


 一志は、六十年、本を綴じてきた、骨の浮いた手を膝の上で、組み直した。


「……一つだけ、言わせろ」


「はい」


「俺は、鍵を持っとった」


「掟だと聞いた。出すな、と聞いた。それを守った。……守ったが、捨てはせんかった。捨てりゃ、掟は完璧に守れたんだ。燃やしゃよかった。蔵ごと燃やしゃ、うちは、それで終わりだった」


 老人の声が、少し、震えた。


「捨てられなかったんだよ。二十二年、鍵を首から下げて、毎日、蔵を見て、それでも捨てられなかった。……なんでか、分かるか」


「……」


「分からん。俺にも、分からん」


 一志は、一息ついて続けた。


「分からんまま、持ってた。それだけだ。それだけが、俺の八十五年だ。……たいしたもんじゃないだろう。だがな、それがなかったら、お前は、いま、そこに立っとらん」


 灯真は、膝が、震えた。


 八十五歳の老人は、庭を見たまま、ずいぶん長いこと、そこにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。