第42話 保管庫
県立第二資料保管庫は、最寄りの駅から歩いて四十分の場所にあった。
もとは何かの工場だったらしい。長い平屋の建物が三棟。塀は錆びて、看板の字は半分消えていた。灯真は、紙の地図を三度確かめて、それでも一度、道を間違えた。
受付には、老人が一人いた。
「見学ですか」
「いえ。……調べものです」
老人は、驚いた顔をした。それから、老眼鏡を上げて、灯真を上から下まで見た。
「調べもの。ほう」
「駄目ですか」
「いえいえ。どうぞどうぞ」老人は、慌てて立ち上がった。「珍しいもんですから。ここ、年に二人か三人ですよ、来るのは」
台帳に、名前を書かされた。前のページを、灯真はちらりと見た。前の記入は、三ヶ月前だった。
「何をお探しで」
灯真は、用意してきた言葉を言った。
「昔の施設の、備品の記録を。祖父の勤め先だったもので」
まったくの嘘ではなかった。曾祖父の、と言わなかっただけだ。しかし、勤め先ではなかった。灯真は、自分の心臓の音を聞いていた。封印条約は、生きている。この国では、〈あれ〉に関わる調べものをした人間が、いまも刑務所に入る。
老人は、何も疑わなかった。
「施設の備品。ああ、そういうの、たくさんありますよ。第三棟です。案内しましょう」
第三棟の扉が開いたとき、灯真は、息を呑んだ。
暗かった。高い天井まで、棚が並んでいた。棚の上に、木箱と、段ボールと、鉄の箱が、詰められている。奥が見えなかった。
「電気、つけますね」
蛍光灯が、順番に、遠くまで点いていった。
棚は、四十列あった。
「……全部、備品ですか」
「そうです。九十年ぶんの」老人は、平然と言った。「あの頃、いろいろ運び込まれたんですよ。閉鎖になった施設の、机やら、椅子やら、機械やら。捨てるに捨てられなくてね。目録を作った人はいたんですが、その人が死んで、続きが分からなくなって、そのままです」
灯真は、棚を見上げた。
「九十年、誰も来ませんでした」
老人は、そう言って、老眼鏡を上げた。
「というのは言い過ぎですが、たまに、学生さんが来ます。昔の机の写真を撮って、帰ります。……お客さん。何をお探しかは訊きませんが、一つだけ言っておきますとね」
「はい」
「見つかりませんよ、たぶん」
灯真は、老人の顔を見た。
「ここはね、探す場所じゃないんです。置いておく場所なんです」老人は、埃の匂いのする空気を、手で軽く払った。「置いておくために、九十年、電気代を払ってるんですよ、県が。誰も見ないものに。……ときどき、何のためだろうと思いますけどね」
灯真は、その言葉を、しばらく噛んでいた。
置いておく場所。
蔵と、同じだ。四代、誰も捨てられなかった。捨てられないから、鍵をかけて、次に渡した。この県は、九十年、それをやっている。誰も見ないものに、電気代を払って。
「……無駄だと思いますか」
灯真は、訊いた。
老人は、少し考えた。
「思いますよ」あっさりした答えだった。「思いますけどね。捨てましょう、って書類を回す人がいないんです。誰も、自分の判子で捨てたくない。……それで九十年です。人間ってのは、そういうもんですな」
灯真は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。閉庁は五時です」
老人は、そう言って、帰っていった。
灯真は、一列目の、いちばん下の箱を、引き出した。
誰も判子を押さなかった。それだけのことで、九十年、これが残った。曾祖父の帳面と同じだ。捨てられれば、とっくに捨てとります、と祖父は言ったという。捨てられない人間が、四代と、県庁と、北の山の保守員に、いた。
そのおかげで、いま、自分がここに立っている。
その日は、七箱、開けた。中身は、古い椅子の脚と、事務の書類と、意味の分からない金具だった。
二日目は、十一箱。三日目は、十四箱。
椅子。机の天板。電線。工具。名前の分からない部品。誰かの湯呑み。ほとんどが、九十年前の、どうでもいいものだった。人が働いていた場所から出た、どうでもいいものが、九十年、丁寧に保管されていた。
宿は、駅前の安い旅館を取った。一週間の予定で来ていた。
三日目に、灯真は、予定を変えた。旅館を出て、保管庫の近くの、月極の部屋を借りた。冬が始まろうとしていた。
十日目に、灯真は、自分が何を探しているのかを、紙に書き出した。
一.北の山の施設の備品であること。
二.磁気テープであること。
三.棚に戻された一本が、その中に紛れていること。
書き出して、三番目に、鉛筆で線を引いた。
紛れている。それは希望だ。事実ではない。保守員は棚に戻したと言った。三年後に施設は閉鎖され、備品は運ばれた。だが、棚に戻した一本が、そのとき箱に入ったかどうかは、誰も言っていない。捨てられたかもしれない。別の場所へ行ったかもしれない。誰かが持ち帰ったかもしれない。
灯真は、線を引いた三番目を、消しゴムで消した。
そして、書き直した。
三.それでも、探す。
理由は、書かなかった。書ける理由がなかった。曾祖父は八年かけて、この建物に辿り着けずに死んだ。鵜飼は四十年かけて、この建物の名前を突き止めて、何が入っているかを知らずに死んだ。二人が、九十七年かけて、ここまで運んできた。
続きは、自分の足でやるしかない。
十七日目の午後、十九列目の、上から二段目の棚で、灯真の手が止まった。
木箱の蓋に、色褪せた紙が貼ってあった。手書きの字だった。
――磁気テープ 一括




