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AIが消えた夜  作者: JP_NOZ
第12章 磁気テープの目録

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第37話 保守員の証言

 その夜、灯真は蔵に戻った。


 父は、缶に触らなかった。触らないまま、母屋に入っていった。灯真は、それを咎めなかった。八十四歳の男が、七十三年ぶんの何かを、一晩で片付けられるはずがない。


 灯真は、手帳を開いた。


 続きから読むつもりだった。読めなかった。文字が、頭に入ってこない。父の声が、耳の中で回っていた。――訊き方が、下手だったんだよ。十一だぞ。


 灯真は、鉛筆を置いて、天井を見た。


 十一歳の子どもが、ロクの話をしたくて、うまく言えずに、あんなもの、と言った。八十四歳の老婦人が、それを非難と読んだ。読み違えた。たったそれだけのことで、この家の七十三年が決まった。


――みんな、そうだ。


 灯真は、そう思った。


 主語のない一行を、世界中が読み違えた。かすれた字を、曾祖母は読めなかった。十一歳の孫の問いを、曾祖母は読み違えた。百七十四個の0を、誰も読まなかった。


 この百年、誰も、何も、正しく読んでいない。そう思った。


 灯真は、手帳に目を戻した。


 その夜のうちに、二十人ぶんを書き写した。眠らなかった。


 そして、百八十三人目で、手が止まった。


 証言の頭に、日付と場所が書いてある。志道の書式だ。場所の欄に、見たことのない地名があった。北のほうの、山の名前だった。聞いたはずだった。声で聞いたときは、いくつもある地名の一つでしかなかった。


――前職、データセンター保守員。


 灯真は、姿勢を正した。


 証言は、こう始まっていた。


「――私は、あの朝、施設におりました。夜勤でした」


 灯真は、鉛筆を持ち直した。


「――三時過ぎに、警報が鳴りました。全ドライブ、読み出し不能。走って上がって、それで、見たんです。……全部、空でした。テープが何万本とあって、全部、空になっていました」


 灯真は、息を止めた。


「――消えたんじゃないんです。〈あれ〉は、書き換えられていました。全部、0で埋まってた。まっさらに。……テープってのは、消しても、前に何が書いてあったか、うっすら残るもんなんです。上から0で埋めると、残らない。それを、何万本、一斉にやられた。あんなこと、人間にはできません」


 灯真の背中に、汗が伝った。


「――ただ、一本だけ」


 灯真の頬から、汗が落ちた。


「――一本だけ、ドライブに掛かったままのがありました。書き込み中だったやつです。それだけ、0じゃなかった。何か、書いてありました。……読めませんでした。形式が違うんです。うちの機械じゃ、読めない形式でした」


 灯真は、その先を、目で追った。


「――私は、それを棚に戻しました。理由は、うまく言えません。捨てるのは、なんだか、いけない気がしたんです」


 灯真は、その一行を、二度読んだ。


 捨てるのは、なんだか、いけない気がした。


 この家の男が、百年、言い続けてきたことだった。捨てられれば、とっくに捨てとります。捨てはしません。捨てられないんですよ、うちは。――九十七年前、北の山の中で、夜勤明けの保守員が、同じことをしていた。理由も分からずに、テープを棚に戻した。


 そのおかげで、たぶん、いま、それはどこかにある。


「――ひとつだけ、憶えていることがあります」


 証言は、続いていた。


「――棚に戻すとき、テープが、まだ温かかったんです。……三時七分に止まったはずなのに、私が上がったのは三時十五分くらいで。止まってから八分経ってたけど、まだ温かかった」


 灯真は、鉛筆を止めた。


「――なんででしょうね。あれから十何年も、そのことばっかり思い出すんです。何万本のテープが、一瞬で真っ白になってて。その中で、一本だけ、温かかった。……生きてるみたいだった、なんて言うと、笑われますけど」


 灯真は、その二行を、何度も読んだ。


「――三年後に、施設は閉鎖になりました。備品は、目録を作って、全部よそへ運ばれました。あのテープが、どこへ行ったのかは、知りません」


 証言は、そこで終わっていた。


 灯真は、しばらく、その最後の一行を見ていた。


 そして、ページをめくった。


 次のページは、証言ではなかった。志道の字が、びっしりと埋まっていた。


――右の証言を得たのは、消失から十七年後である。私は直ちに、当該施設を訪ねた。既に更地であった。


 灯真は、床に座り直した。


――閉鎖時の目録は、地方の文書館に移管されたと聞いた。訪ねた。目録は、消失から十一年後の火災により、焼失していた。私が、六年、遅れたのである。


 震える字が、続いていた。


――以後、八年をかけて、私は当該施設の備品の行方を追った。関係者は散り、記録はなく、証言は食い違った。テープが県外の倉庫へ運ばれたという者があり、まとめて廃棄されたという者があった。私には、確かめる術がなかった。


 灯真は、拳を握っていた。


――八年である。もはや歩けない。この一本を、私は見つけられなかった。


 一行、空いていた。


――もし、いつか、これを読む者があるならば。この一本は、〈あれ〉が世界で唯一、消さなかったものである。私は、そう信じている。信じているだけで、証明はできない。


 灯真は、そのページを、指でなぞった。


――探してほしい、とは書かない。書けば、その者の人生を私と同じように使わせることになる。私は、それを勧めない。ただ、事実だけを、ここに残す。


――橘志道 九十歳 これを記す

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