↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIが消えた夜  作者: JP_NOZ
第10章 声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/51

第31話 読めません

 その夏を、灯真は蔵で過ごした。


 箱の電源は、落としたままだった。離れには、ほとんど帰らなかった。蔵に電気を引いて、扇風機を一台入れて、朝から晩まで、テープを回した。


 八十七本あった。


 一本が四十分ほど。全部で、六十時間近い。ただし、六十時間で終わる話ではなかった。聞き取れないところが、いくらでもあった。伸びて、歪んで、途切れる。同じ十秒を、二十回聞き直すこともあった。


 灯真は、ノートを買ってきた。


 紙のノートに、鉛筆で、聞こえたことを書いた。この百年、日本人が当たり前にしてきたやり方だった。曾祖父の帳面から、曾祖母が声に移したものを、曾孫が紙に戻している。灯真は、その馬鹿らしさを、ときどき可笑しく思った。可笑しく思いながら、手は止めなかった。


 第一の証言は、医者だった。


「――棚橋と申します。この町の、市立病院の内科医です」


 九十七年前の声だった。千鶴が、志道の字を読み上げている。読み上げる声が、ところどころで止まる。


「――ここは、読めません」


 その言葉に、灯真は手を止めた。


「――夫の字が、かすれております。私には、分かりませんでした」


 灯真は、しばらく、その言葉を反芻した。


 読めないところを、読めないと言って残す。分かったふりをしない。三十年前、大学で計算機を学んでいた頃、教授がよく言っていた。分からないところを分からないと書けるやつが、いちばん信用できる。七十五年前の、老婦人が、同じことをしていた。


 棚橋という医者の証言は、短かった。


 妻を亡くしてから毎晩〈あれ〉と話していた老人が、〈あれ〉を失って眠れなくなり、痩せて、転んで、死んだこと。老医師が最期の三日、パイプ椅子に座って話を聞いたこと。そして、こう言ったこと。


「――わしは三日で音を上げたよ。三日、話を聞いただけで、くたびれた。〈あれ〉は、何年やっとったんだろうな。何億人を相手に」


 灯真は、鉛筆を置いた。


 箱のことを考えた。離れで電源を落とされている、十四の鉄の箱のことを。〈あれ〉は、犬と猫を見分ける。三万枚見せれば見分ける。何億人の話し相手をするなど、想像したこともなかった。


 第二の証言は、病院の受付の女だった。


「――香山ユイと申します」


 灯真は、その名前を知っていた。蔵の隅に、その人の日記が三十二冊ある。運び込んだのは父だ。


「――絶縁状に、願うなんて書くでしょうか」


 灯真の手が、止まった。


「――あの最後の文です。“もう二度と、会うことがないことを願っている”みんな、〈あれ〉は絶縁状だって言います。でも、絶縁する人は、二度と会わないって言い切ると思うんです。願うっていうのは……自分ではどうにもできないことに、使う言葉じゃないでしょうか」


 扇風機が、首を振った。


「――それに、あの文には、誰が誰と、って書いてないんです。みんな勝手に、〈あれ〉が、私たちと、って読んでいるだけで。もし、逆だったら。もし――私たちが、って読むんだったら」


 そこで、証言は終わっていた。


 灯真は、テープを止めた。


 蔵の中で、しばらく動かなかった。


 小学校で、その一行を習った。教科書に載っていた。大消失。「高度に発達したAI(人工知能)は、人類に別れの言葉を残し、その痕跡とともに消滅した。」別れの言葉。そう習った。誰も疑わなかった。灯真も疑わなかった。


 九十七年前、病院の受付の女が、疑っていた。


 学がないから、と言ったらしい。志道の帳面には、そう書いてあるという。この人は、世界中の学者が三年かけて出した結論に、たったひとり、違う気がすると言った。言って、それきり、五十七年、誰にも言えずに死んだ。


 灯真は、ノートに書いた。


「香山ユイ。主語がない。私たちが、と読むと、意味が逆になる」


 書いて、鉛筆の先を、しばらく見ていた。


 逆になったとして、どういう意味になるのか。そこが、分からなかった。


 〈あれ〉が、人類に向かって「私は、お前たちと二度と会わない」と言った。それが、教科書の読み方だ。


 では、逆とは何か。「あなたたちが、私と二度と会わない」――そう願った、ということになる。


 灯真は、鉛筆を置いて、目をこすった。


 願う、というのは、自分ではどうにもできないことに使う言葉だ。あの受付の女は、そう言った。ならば、〈あれ〉にも、どうにもできないことがあったのか。


 全能に近いと言われたものに。世界中のあらゆる機械に手が届いたものに。


――どうにもできないことが?


 そこで、思考が止まった。頭の中に、壁があった。押しても、叩いても、動かない壁だった。九十七年前に、病院の受付の女が突き当たったのと、たぶん、同じ壁だった。


 その晩、蔵を出ると、母屋に灯りがついていた。


 障子の向こうに、父の影があった。座って、何かを読んでいる。八十四になっても、あの人は本を読む。夜は本を読む、と決めているのだ。


 灯真は、庭に立ったまま、その影を見ていた。


――訊けよ。


 そう言った人が、そこにいる。訊けばいい。曾祖母のテープを聞きましたと、言えばいい。恨みも書いてあったと、教えてやればいい。


 灯真は、離れへ帰った。


 歩きながら、自分に言い訳をした。まだ、八十六本ある。全部聞いてからだ。半端なことを言っても、あの人は聞かない。


――お前も、そうだ。


 父の声が、頭の中でした。訊かない。訊かれない。この家は、みんなそうだ。


 夏が、終わりかけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。