2 衝突
「やぁ、ベンヤミン。
1人か?」
街を歩いていたベンヤミンに声をかけたのは、マルセルだった。
「ランドルフはたぶんまたあの子のとこだよ。」
あの仮面舞踏会から1週間、ランドルフはずっと外出続きだ。
きっと連日ハリエットに会いにいっているのだろう。
「ずいぶんとご執心だな。
だが、どうもその恋はうまくいなかないと思うぜ。」
「どうしてだい?」
ベンヤミンが尋ねれば、マルセルはいつになく真剣な顔をした。
「あの子、両親がうちの兄と結婚させようとしてるって言ってただろ。
それなのに他の男ができて、しかもそれが舞踏会でルイスに恥をかかせた男だと知れば、あの子の両親はいい顔しないだろ。」
ベンヤミンは、マルセルの家がこの街で最も地位の高い貴族だということを思い出した。
悪ふざけばかりのマルセルの普段を見ていると忘れてしまう。
その由緒正しいアイデン子爵家の長男ルイスをこけにすることになるランドルフとの恋に、ハリエットの両親が反対するのも当然だ。
「ランドルフはハリエットの両親を説得するのに苦労しそうだな。
しかしこれでランドルフの素行が良くなれば、従兄弟の俺としては安心だな。」
マルセルは「そううまく行くかどうか。」と笑うが、実際この1週間、ランドルフは喧嘩や騒ぎを起こしてないのだ。
このままランドルフが落ち着いてくれるのなら、ベンヤミンはハリエットに感謝せねばならない。
ベンヤミンとマルセルが談笑しながら歩いていると、路地の先で長身の男がこちらを見ていた。
男は気づかれたと悟ると、こちらに近づいてきた。
「ランドルフはどこだ。」
ベンヤミンは「悪いが知らないよ。」と肩をすくめた。
「俺はテオ、ハリエットの従兄弟だ。
俺は奴にハリエットに手をつけたことを後悔させなきゃならんのだ。」
ギロリとこちらを睨みつけるテオに、マルセルが「まぁ落ち着けよ兄弟。」と笑いかけた。
「かわいい従姉妹に手を出されて腹が立つのもわかるが、お前が口出したってハリエットは喜ばないぜ。
なんたってハリエットの方もランドルフに惚れてるんだからな。」
テオは薄い眉を吊り上げ、「冗談はよせ。」と低い声を出した。
「モンターンの男なんかにハリエットが惚れるはずがない。」
ベンヤミンはテオの言葉の意図がわからず、「何故従兄弟のお前がそこまでランドルフとハリエットの仲に反対するんだ。」と頭を捻った。
ベンヤミンのその問いを聞いたテオは眼光をさらに強くするのだった。
「我がウェーバー家との長年の因縁は元は貴様らモンターン家が始めたこと。
モンターンの男にハリエットをやるわけがないだろう。」
「因縁って何の話だ。」
ベンヤミンはモンターン家とウェーバー家との間に因縁があるなど聞いたことはなかった。
この地で財をなす資本家同士、互いを意識し合ってるのだろうと、その程度に考えていたのだ。
しかしテオは「姑息なモンターンめ、知らぬとは言わせぬ。」と激しい憎しみを宿した目でベンヤミンを睨む。
そんなテオをマルセルは「おいおい、大丈夫かよ。」と茶化す。
「昼間から酒を飲むのはよしたほうがいいぜ、頭に血が上っちまってる。」
「ルイスの弟、お前はモンターン家に肩入れしているらしいな。
邪魔をするならアイデン子爵家の者とて容赦はせぬぞ。」
家族との間に軋轢があるマルセルはテオの言葉に顔色を変えた。
「俺のことを2度とそんなふうに呼ぶな。」
マルセルはテオに顔を近づけて凄んだ。
ベンヤミンは「やめとけよ。」とマルセルとテオを引き剥がした。
それがテオの怒りを余計に煽った。
「腰抜けめ、俺は和睦をいっとう嫌う。
いざ決着をつけん、覚悟せよ。」
テオは拳を振り上げた。
「やめろ!」
割って入ったのは、ランドルフだった。
「ランドルフ、貴様やっと顔を出したか。
悪党め、さぁ俺と戦え。」
テオはランドルフに向き直り、ポケットからナイフを取り出した。
「おい、それはやりすぎだろ。
下手すれば殺してしまうぞ。」
ベンヤミンはたまらず叫んだが、テオは「はなからそのつもりだ。」と止まらない。
しかしランドルフは「君とは戦わないよ、テオ。」と微笑みを浮かべるのだった。
「僕は君を愛さねばならない。」
「何を腑抜けたことを。」
「君たちが僕の名字を憎んでいることは知っているさ。でも、僕はハリエットのことを愛している。だからウェーバーという名前も愛しているんだよ。」
テオはぶるぶると怒りに身体を震わせた。
「貴様だけは許さない…!」
殺気立つテオに、ベンヤミンは「冷静になれよ。」と声をかけるが、テオは「これが落ち着いていられるものか!」と叫ぶ。
「いいか、此奴はハリエットの両親にことわりもなくハリエットと契りを交わしたのだぞ!」
ベンヤミンは頭を殴られるような衝撃を受けた。
マルセルは放心し、固まっている。
「ランドルフ、お前…。」
「愛した人と誓いをたてるのは当然だろ。」
ランドルフは、神の前にハリエットと結婚の誓いを立てたのだ。
誰にも言わずに。
なんと軽率で、身勝手な行動だろうか。
「馬鹿野郎!」
ベンヤミンは叫んだが、ランドルフは悪びれない。
「そんな形で結ばれても、誰からも祝福してもらえないぞ。」
「僕らが結ばれるにはこうするしかなかったんだ。」
ランドルフは、「これは僕とハリエットの2人だけの秘密だったのに、どうして君が知ってるんだ。」とテオに問う。
テオは「そんなことは問題ではない。」と一喝する。
「貴様のその愚行、地獄で後悔するがよい!」
テオはランドルフに向かって飛びかかった。
「八つ裂きにしてくれるわ!」
「やめろって!」
ベンヤミンはランドルフを引き寄せ、マルセルがテオを取り押さえた。
テオは「離せ!」と暴れ、マルセルを殴った。
じりじりとした暑さが、苛立ちを募らせる。
強い日差しに照らされて、目の前が揺らぐ。
「なぁ、テオ。
何でお前がそんなに怒ってるか、当ててやろうか。」
マルセルはテオの耳に囁く。
「お前、ランドルフに先を越されて悔しいんだろ。」
テオは目を見開いた。
「違う!」
「違わないだろ、お前、ハリエットに惚れてたんだろ。」
テオは「下劣な想像をするな!」と叫んでマルセルを突き飛ばした。
けれどもマルセルはニヤリと笑って彼を煽る。
「下劣なのはお前だろう、テオ。
お前は従姉妹のハリエットに欲情していたんだ。」
「黙れ!」
テオの叫びが響きわたる。
夏の暑さに陽炎が揺れた。
そして。
ぶわり、と飛び散る赤。
「マルセル!」
マルセルの身体に、テオのナイフが突き刺さっていた。




