第8話「烈師匠①」
夕方。
烈は個室へ戻ると、風呂に入ることにした。
浴室へ入った烈は、浴槽を見て思わず目を止める。
(風呂もでけーな……)
ここでも、日本支部との違いを感じる。
烈はスイッチを入れ、浴槽にお湯を溜めた。
3分ほどすると、お湯が溜まったことを知らせるベルが鳴る。
烈は身体を洗ったあと、ゆっくりと湯船に浸かった。
(ふぅ〜……)
全身から力が抜けていく。
そのまま湯船でくつろいでいると、ふと先ほどのハーリーの言葉を思い出した。
(ミラさん……今、かなりつれーだろうな……)
ミラの気持ちは、烈にもよく分かった。
もし自分が同じ立場だったら——
きっと、同じことをする。
ケガが治ったのなら、すぐにでも訓練を再開する。
負けた相手がいるのなら、なおさらじっとしてはいられないだろう。
だからこそ、ハーリーたちがミラを休ませようとしている理由も理解できた。
焦りや不安といった精神的な負荷は、エーテルの乱れにもつながる。
いくら身体だけを治したところで、精神が乱れたままでは意味がない。
(……本部の判断は、間違ってねーけどよ……)
烈はそう思いながら、静かに湯船へ身体を沈めた。
◆
烈は風呂から上がると、タオルで身体を拭きながら、部屋に備え付けられた冷蔵庫を開けた。
中には、様々な飲み物が並んでいる。
(これ、取っていいんだよな?)
少し戸惑いつつ、烈はその中から1本の瓶牛乳を手に取った。
ラベルには、“シャトー・レ・ブラン”と書かれている。
普段飲んでいるものより、明らかに高級そうだった。
烈は瓶の蓋を開け、一口飲む。
「!!」
濃厚なのに飲みやすく、驚くほど新鮮な味わいだった。
(うっま……!)
今まで飲んだ牛乳の中で、一番美味しいかもしれない。
烈はもう一口飲むと、瓶をまじまじと眺めた。
そして、ふとテツの顔が頭に浮かぶ。
(これ……ペット用とかねーかな?)
(テツにも飲ませてやりてぇな……)
烈はそんなことを考えながら、もう一口、瓶牛乳を口にした。
◆
烈は寝巻きに着替えると、大きなベッドに横になった。
スマカを手に取り、保存してあるテツの写真を眺める。
しばらく写真を眺めていると、ふと閃のことが頭に浮かんだ。
(閃は何してっかな?)
(……多分、ゲームだろうけど)
そんなことをぼんやり考えていた、その時——
タイミングよく、閃から着信が入った。
烈はそのまま通話に出る。
『んねぇぇ烈ちゃん?コッチ来ない〜♡?』
「キショいわ」
突然のブリブリな声に、烈は即座にツッコミを入れた。
「まぁいいや。今行く」
呆れながらも、烈もちょうど暇を持て余していた。
烈は通話を切ると、ベッドから起き上がった。
そして、そのまま閃の部屋へ向かうことにした。
◆
「よぉ」
烈が閃の部屋に入ると、閃もすでに寝巻きに着替えていた。
どうやら、閃も風呂を済ませた後らしい。
閃はベッドの上に座り、両手を前に出していた。
そのひとつひとつの指先から《電縛》を伸ばし、複数枚のトランプを空中に浮かせている。
これは閃自身が考案した、手遊びも兼ねたスキルコントロールの訓練だった。
「お、烈」
トランプを浮かせたまま、閃が言った。
よく見ると、テーブルの上にはちゃっかりルームサービスの料理まで並んでいた。
「満喫してんなぁ」
烈は呆れ半分に言った。
「食う?」
閃はその場から動くことなく、1本の《電縛》をトランプから離す。
その《電縛》を伸ばし、皿の上にあったウインナーを掴むと、そのまま自分の口元まで運び、パクッと食べた。
「器用なことしてんな」
烈は笑いながら言うと、自分もテーブルのポテトをつまみ、口に放り込んだ。
◆
「シスターズ、可愛かったねー」
閃はトランプを浮かせたまま言った。
「お前、そればっかりだな」
烈は呆れたように返す。
「烈は誰がタイプ?」
烈は少し考える。
「……うーん、やっぱミラさんかな……」
「やっぱり」
閃は納得したように頷いた。
「烈って、お姉さん系好きだよね」
「そうなのか?」
烈自身には、まったく自覚がないようだった。
そんな烈を見て、閃はニヤッと笑う。
「クレアに言っとこ……」
「バッ……!やめろ!!」
烈は顔を赤くして、思わず声を上げた。
「冗談だって。そんなムキになんなよー」
閃は楽しそうに笑った。
そして、その反応を見て、閃はふと気づく。
前の烈なら、ここでクレアの名前を出したところで、“なんでクレアなんだ?”と、ポカンとしていただろう。
それが今では、顔を赤くしてムキになっている。
どうやらクレアとの仲は少なからず進展しているらしい。
◆
「そういう閃は?」
今度は烈が聞いた。
「誰だと思う?」
閃は聞き返す。
「どうせ全員とかだろ」
烈は即答した。
「さすが烈ちゃん」
どうやら正解らしい。
「オメーは本当に昔から、可愛い子に目がねーよな」
「オスとしての本能だから仕方ない」
閃は悪びれる様子もなく答える。
「開き直んな」
烈は笑いながら言った。
閃が昔からそういう男だということをよく知っている。
可愛い女の子がいれば素直に可愛いと言う。
好意も隠そうとしない。
それでいて、中性的なルックスも相まってか、そんな閃自身も女性からよくモテる。
昔、たんぽぽ荘にいた頃——
結菜が笑いながら言ったことがある。
“ありゃタチが悪い”
烈も、その言葉には妙に納得したものだった。
もっとも——
それが嫌味にならないのは、閃の人間性によるところが大きい。
誰かを弄ぶために近づいたり、好意を利用したりするような人間では決してない。
ただ、素直なだけ。
それを烈は、昔からよく知っていた。
◆
烈と雑談していると、不意に閃の部屋のコールが鳴った。
「ん?」
閃はそのままコールに出る。
『エミリーです』
聞こえてきたのは、エミリーの声だった。
「おー、エミリー。どした?」
閃も気さくに答える。
『今、何してるのかなー?って思って』
「烈と部屋でだべってた」
『そうなんだ!』
少し間を置いて、エミリーが続ける。
『ねぇ、よかったらさ、あたしとユインでそっちに遊びに行ってもいい?』
「ちょっと待ってて?」
閃は一旦受話器から顔を離し、烈を見る。
「エミリーとユイン、こっち遊びに来ていい?って」
「俺はいいぜ」
烈はあっさり了承した。
閃は再び受話器に戻る。
「いいよー」
『やったぁ♡』
エミリーの嬉しそうな声が返ってきた。
『10分くらいで着くね!』
そう言うと、エミリーは通話を切った。
◆
10分後。
部屋の呼び出しベルが鳴った。
閃が扉を開けると、そこにはエミリーとユインが立っていた。
「さ、入って入って」
「お邪魔しまーす!」
2人は元気よく言うと、閃の部屋へ入っていった。
「あっ、烈さん!」
エミリーが烈を見つける。
「師匠!」
ユインもすかさず呼んだ。
「お、おぅ……」
烈はまだその呼び方に慣れない様子で返した。
エミリーとユインは、そのままソファにボフッと腰を下ろす。
「2人の部屋も、ここと同じなの?」
閃が聞いた。
それは烈も気になっていた。
「そだよー」
エミリーはあっけらかんと答えた。
「すげーな……」
烈は改めて部屋を見渡す。
「私とエミリーは同室なんだ」
ユインが言った。
つまり、エミリーとユインは普段から、この部屋と同じ広さの部屋を2人で使っているということだ。
「そうなんだ。他の3人は?」
閃が聞いた。
「ソフィーとアリシアも、あたしたちと同じダブルタイプで同室」
「ミラはシングルタイプで1人だよ」
エミリーが答えた。
どうやら、この部屋はダブルタイプと呼ばれているらしい。
ならば、シングルタイプもかなり広いことは容易に想像できた。
「普段から高級ホテルみたいな生活してんだな」
烈が言った。
「確かにねー」
エミリーは笑う。
「私たちも最初はびっくりしたんだ!」
ユインは言った。
「2人がオルフェに来たのって、どれくらい前?」
閃が尋ねた。
「うーんと……5年前くらいかな?」
「あたしとユインは、同じ時期にここに来たの」
エミリーは答える。
「その前は、それぞれ違う“オルフェ保護施設”にいたんだ」
ユインが続けた。
オルフェ保護施設——
オルフェ研究機関が運営する、エーテルコード専用の保護施設である。
オルフェによって保護されたエーテルコードは、基本的にこうした施設で受け入れられる。
ただし、エーテルファクターやハーフファクター、あるいはオーキュラムによって覚醒値が高いと判断された一部のエーテルコードは、本人の意思を確認したうえで、保護施設ではなく研究機関で生活する場合もある。
閃と烈も、その存在自体は知っているが、実際に保護施設を見たことはない。
エミリーとユインは、それぞれ別の保護施設で暮らした後、5年前にイギリス本部へ移ってきたらしい。
一方、ミラ、ソフィー、アリシアの3人は、閃たちと同じように以前から研究機関で生活していたという。
「5年前ってことは、俺らより先輩やな」
閃が言った。
烈も頷く。
2人がオルフェに来て、もうすぐ3年。
所属する場所こそ違うが、オルフェで過ごした年数だけで見れば、エミリーとユインの方が先輩ということになる。
「えっ!そうなの?意外だなぁー」
エミリーは目を丸くした。
どうやら、閃たちファクターズの方が自分たちより長くオルフェにいると思っていたらしい。
「エミリー先輩、ユイン師匠……」
閃は、不意にボソッと呟く。
「ぶっ!」
「きゃはははっ!何それー!」
エミリーとユインは顔を見合わせると、揃って爆笑した。
「お前がユインの弟子になるのかよ」
烈も思わず笑った。
◆
「てか、何で俺が師匠なんだ?」
烈は改めてユインに尋ねた。
「烈師匠は、私の憧れ!!」
ユインはハッキリと言い切った。
「炎を纏った、あの力強い戦い方!」
「そして、あの“獣王”レンゴク!」
ユインは身を乗り出し、目をキラキラと輝かせる。
「全部かっこいい!!」
「そ、そっか……ありがと……」
烈は、その勢いに若干押されていた。
とはいえ、これほど真っ直ぐな瞳で褒められて、悪い気はしない。
烈は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「でも俺、師匠ってガラじゃねーよ……?」
「誰かに何か教えたりするの、苦手だし……」
それは謙遜でもなんでもない。
実際、烈は誰かに何かを教えるということが致命的に苦手だった。
感覚で覚え、感覚で動くタイプなので、それを言葉にして説明するのが苦手なのだ。
しかし——
「教えてくれなんて、とんでもない!」
ユインは烈の言葉を遮るように、手をビシッと突き出した。
「え?」
「技術は盗むもの!」
ユインは自信満々に言い切った。
「あー……」
烈は返す言葉が見つからなかった。
その隣では、閃が2人のやり取りを眺めている。
(烈、完全に押されてんなぁ〜)
出会って間もない女の子に、終始圧倒されっぱなしの烈だった。




