第26話「母」
ソランティス王国・王宮。
ギシャとの決戦から数日が過ぎていた。
ラ・オーマの《ネクロマンス》によって操られていた兵士たちは、王国軍の手で丁重に埋葬された。
人造魔獣が残した黒い灰も、オルフェの特殊処理班によってすべて回収・処理が完了している。
戦いの爪痕は、少しずつではあるが確実に癒え始めていた。
一方、ギシャの遺体は王家の墓所へ納められるまでの間、国葬のため特別保管施設へ安置されていた。
兄は最後まで王族として遇されることになった。
そして——
エレシャの体調も、すっかり回復していた。
肉体の傷だけでなく、心も少しずつ前を向き始めている。
さらに、オルフェから一報が届く。
閃の状態だ。
命に別状はなく、意識も回復したという知らせだった。
その報告を受けたエレシャは、小さく目を閉じ、胸に手を当てる。
「……良かった」
その一言には、心からの安堵が込められていた。
◆
ラゼフ国王と、それぞれの王妃たちは、王位継承戦の間は王国内を離れていた。
それは、王位継承戦の公平性を保つためである。
そして、王位継承戦が終結した今、国王と王妃たちは王宮へ帰還していた。
エレシャは、ラゼフ国王から静かに労いの言葉を受ける。
「よくやった」
短い一言だったが、その言葉には父として、そして国王としての想いが込められていた。
「ありがとうございます」
エレシャは深く頭を下げた。
その後——
エレシャは母、マリガンのもとを訪れた。
「母上……」
久しぶりの再会だった。
だが、その胸中は複雑だった。
兄・ギシャの首を討ち取ったのは、自分自身。
王族の掟に従ったとはいえ、マリガンにとっては、2人ともかけがえのない我が子だった。
どんな言葉を掛けられるのか。
エレシャは静かに身構えていた。
しかし——
マリガンは何も言わなかった。
ただ静かに歩み寄ると、優しくエレシャを抱きしめた。
その温もりに、エレシャは思わず目を見開く。
「母上……私は……」
震える声で言葉を紡ごうとした、その時だった。
「エレシャ……」
マリガンは娘を抱きしめたまま、涙をこぼした。
「長い間……ずっと辛かったでしょう?」
その優しい声が胸に染みる。
「あなたが無事で、本当に良かった……」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたエレシャの心が、音を立ててほどけた。
「……母上……」
エレシャもまた、母の胸で静かに涙を流した。
◆
その後、マリガンはギシャの遺体が安置されている保管所を訪れた。
「ここから先は、1人で行かせて」
静かな口調でそう告げる。
案内をしていた兵士と付き添いの侍女たちは、深く一礼すると、その場を離れていった。
静寂だけが残る。
マリガンはゆっくりと歩を進め、ギシャのもとへたどり着いた。
そっと死体袋を開く。
そこには、ギシャの胴体と、丁重に納められた頭部が横たわっていた。
マリガンは静かに、その頬へ優しく手を添える。
「ギシャ……」
その声は、とても穏やかだった。
「ゆっくりと、お眠り」
ギシャは、誰の目から見ても過激な思想を持つ王子だった。
その行動によって、多くの人々を傷つけ、命を奪った。
彼を憎む者は決して少なくない。
それでも——
母であるマリガンだけは知っていた。
ギシャが自分を慕う気持ちだけは、一度たりとも偽りではなかったことを。
その愛情は、本物だった。
マリガンは静かに目を閉じる。
そして、小さく歌い始めた。
それは、ソランティスに古くから伝わる子守唄。
幼い頃のギシャが大好きだった歌だった。
何度もせがまれ、そのたびにマリガンは、優しく頭を撫でながら歌って聞かせていた。
今も同じように——
マリガンはギシャの頭をそっと撫でながら、静かに歌い続ける。
その歌声は、静まり返った保管所に優しく響いていた。
◆
その夜。
エレシャは王宮の自室で静かに過ごしていた。
この部屋へ戻るのは、本当に久しぶりだった。
見慣れた調度品。
窓から差し込む月明かり。
そのすべてが、どこか懐かしく感じられる。
閃が無事であることは、すでにリビアから聞いている。
それでも、閃の声を聞きたい。
その顔を見たい。
無事を——この目で確かめたい。
きっと、閃も同じことを思っている。
そんなことを考えながら、部屋で静かにくつろいでいると、控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、マリガンだった。
エレシャは穏やかに微笑み、部屋へ招き入れる。
マリガンも微笑み返し、ゆっくりと椅子へ腰掛けた。
「エレシャ、もし良かったら……」
「あなたのこれまでのお話を聞かせてくれる?」
その優しい言葉に、エレシャは静かに頷く。
「はい、母上」
それからエレシャは、ソランティスを離れてから今日に至るまでの出来事を、丁寧に語り始めた。
拠点での日々。
仲間たちとの生活。
そして——閃との出会い。
彼に何度も救われたこと。
共に戦い、支え合った時間。
いつしか互いを大切な存在として想うようになったこと。
そのことだけは、マリガンに包み隠さず打ち明けた。
すべてを聞き終えたマリガンは、優しく微笑む。
「ロマンティックね……」
その一言に、エレシャは少し照れたように笑った。
「そう……でしょうか?」
「ええ」
マリガンは嬉しそうに頷く。
母と娘は、そのまま時間を忘れて語り合った。
離れていた年月を埋めるように。
穏やかで、温かな夜が静かに更けていった。
◆
次の日。
朝食を終えたエレシャは、王宮の廊下を歩いていた。
その途中、後ろから声を掛けられる。
振り返ると、そこにはリビアが立っていた。
「どうしたの?」
エレシャが尋ねると、リビアはどこか嬉しそうに微笑む。
「エレシャ様宛に、オルフェから通信が入っております」
「えっ……!」
エレシャは思わず目を見開いた。
リビアはその反応を見て、くすりと笑う。
その笑みだけで、誰からの通信なのか察した。
間違いない。
胸が高鳴る。
今すぐ会いたい。
今すぐ声を聞きたい。
そんな気持ちを抑えきれず、エレシャは通信室へと急いだ。
扉の前で一度立ち止まり、大きく息を吸う。
「……よし」
呼吸を整え、ゆっくりと扉を開いた。
通信室へ入り、端末の前に立つ。
そして、通話をオンにした。
その瞬間——
『エレシャ!』
一番聞きたかった声が、部屋いっぱいに響いた。
そのたった一言だけで、胸に張り詰めていたものが一気にほどける。
「閃……!」
エレシャは笑顔を浮かべながら、止めどなく涙をこぼしていた。
(エジプト篇 完)




