第24話「Home」
気がつくと、閃はエメラルドグリーンの光に包まれた、不思議な空間を漂っていた。
まるで無重力のように身体は軽く、穏やかな風が静かに吹き抜けている。
どこか懐かしく、心が安らぐ場所だった。
(エレシャは……?)
ふと、その姿を探す。
すると、遠くに一つの人影が見えた。
閃は自然とその人影へ向かう。
近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。
「エレシャ!」
思わず名前を呼ぶ。
「閃!!」
エレシャも閃に気づき、嬉しそうに駆け寄ってきた。
2人は互いのもとへ駆け寄り、そのまま強く抱きしめ合う。
「良かった……無事で」
閃が安堵の声を漏らす。
「閃も……」
エレシャも抱きしめる腕に力を込めた。
互いの温もりを確かめ合うように、しばらく抱き合ったまま動かない。
やがて2人はゆっくりと顔を上げ、自然と唇を重ねた。
その感触は、温かく、確かなものだった。
◆
ふと、閃は目を覚ました。
目の前には、音の顔があった。
正確には、閃が音を抱き寄せるような体勢になり、そのままキスをしていた。
「???」
閃は状況がまったく理解できなかった。
音もまた、完全に硬直している。
「……音?」
「……これ、夢?」
閃はゆっくりと唇を離し、小さく呟いた。
「……ゆ、夢じゃないよ?」
音はずれた眼鏡をかけ直し、頬を真っ赤に染めながら答えた。
閃は周囲を見渡す。
そこは、オルフェ研究機関の医務室だった。
全身には包帯が巻かれ、ベッドの上に寝かされている。
部屋を照らしているのは、小さな間接照明だけ。
室内には、音と閃の2人しかいない。
閃は目をぱちぱちと瞬かせた。
まだ意識がぼんやりしており、現実と夢の区別がつかない。
頭の中は真っ白なまま、呆然と音を見つめていた。
◆
「ここ……日本?」
閃は、まだ状況を理解しきれないまま音に尋ねた。
「うん!閃くんが眠ってる間に、日本に帰ってきたんだよ」
音は嬉しそうな笑顔で答えた。
閃の記憶は、ラ・オーマを倒したところで途切れている。
感覚としては、つい先ほどまでソランティス王国にいたようなものだった。
日本へ戻ってきたという実感は、まるで湧かない。
それでも、見慣れた内装から、ここがオルフェ研究機関の医務室であることは間違いなかった。
何より、すぐそばには笑顔を浮かべる音がいる。
「閃くんの傷を塞ぐために、ずっとここにいたの」
音が言った。
「そっか……」
閃はようやく納得する。
先ほど夢の中で感じていた心地よい風や、傷が癒やされていくような感覚。
あれは、音の《治癒のウィンド》の影響を受けていたのだろう。
「それでね……」
「急に閃くんがガバッて起き上がって……いきなりチューしてきて……」
音は頬を赤らめ、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「ごめん……」
閃は先ほどの状況を思い出し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ううん!」
音はすぐに首を横へ振る。
そして、いつもの明るい笑顔を閃へ向けた。
「そんなことより、閃くんが目を覚ましてくれて良かった!」
その声には、心からの安堵と喜びが滲んでいた。
◆
時刻は、すでに深夜3時を回っていた。
閃がオルフェへ運び込まれたのは、今から7時間ほど前のことだった。
輸送中、医療班による懸命な処置が施されていたため、オルフェへ到着した頃には容体もかなり安定していたという。
傷の治療については、音が自ら名乗りを上げた。
それからずっと、閃のそばを離れずに《治癒のウィンド》を使い続けてくれていたらしい。
「そっか……ありがと、音」
一通りの話を聞き終えた閃は、改めて礼を言った。
「ううん」
音は笑顔で首を横に振る。
「エレシャは——ソランティスはどうなった?」
「それ以外のことは……わたしも分からないの」
音は申し訳なさそうに答えた。
どうやら、音もまだ詳しい状況を知らされていないようだった。
閃は、自身が倒れた後に何が起きたのか、今すぐにでも知りたかった。
だが、今は深夜3時を過ぎている。
状況を確認しようにも、しばらく待つ以外に選択肢はなさそうだった。
「音は、疲れてない?」
閃が心配そうに尋ねる。
「大丈夫だよ!」
「ちゃんと休みながら回復してたから!」
音は明るく答えた。
その笑顔を見て、閃は安心した。
◆
「……音がいると安心する」
閃は、心の底からそう思った。
「わたしも、閃くんがいると安心する」
「他のみんなも、きっとそう思ってるよ」
音は、優しく微笑んだ。
「……おかえりなさい。閃くん」
その一言に、閃も自然と笑みを浮かべる。
「ただいまでやんす」
「ふふっ」
「さっき、チューしてごめんね?」
閃は少し気まずそうに頭をかいた。
「びっくりしちゃったよぉ」
そう言いながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。
少し間を置いて、音は悪戯っぽく微笑む。
「……ただいまのチューってことで……ね?」
閃は、とりあえずアホ毛を揺らした。
そして、何かを思い出したように口を開く。
「俺、何か寝言とか言ってなかった?」
「う〜ん……」
音は首を傾げながら考える。
「“ポコッコ”?って言ってたかなぁ……」
「あぁ……」
閃は額に手を当て、小さく苦笑した。
「ポコッコって何?」
音は不思議そうに尋ねる。
「ソランティスのご飯」
閃は笑って答えた。
静かな医務室には、2人の穏やかな笑い声だけが響いていた。
◆
閃はふと、全身に巻かれた包帯へ視線を落とした。
肩の包帯を指先で少しだけめくり、傷口を確認する。
「あー……だいぶ塞がってる」
閃は安心したように呟く。
音も隣から身を乗り出し、傷口を覗き込んだ。
「でも、まだ残ってるね」
傷は確実に回復している。
それでも完全には塞がっていなかった。
音の《治癒のウィンド》をもってしても治し切れない。
それだけ、魔獣による傷は特殊だった。
「あとは自然治癒で治るよ」
閃は笑顔で言った。
「うん」
音もほっとしたように微笑む。
「シャワーでも浴びに行こうかな」
そう言って閃はベッドから降りようとした。
しかし——
「うわっ」
足を床につけた瞬間、身体が大きくふらつく。
「あっ!」
音は慌てて閃の身体を支えた。
間一髪で転倒は免れる。
「あれ……?」
「まだ横になってた方がよさそう……」
音は少し心配そうな表情で言った。
「そうする……」
閃は素直に頷く。
無理をしても仕方がない。
再びベッドへ腰を下ろし、ゆっくりと身体を預けた。




