第23話「その身、血に染めて」
エレシャは、マリガン王妃の私室の前に立っていた。
廊下は静まり返っている。
もちろん、ギシャがこの部屋にいるという確証はない。
だが、エレシャには確信にも似た予感があった。
静かに息を整え、そっと扉へ手を添え、ゆっくりと力を加える。
すると——
扉は音もなく開いた。
エレシャは一瞬だけ目を見開く。
鍵が掛けられているものと思っていたからだ。
それでも、エレシャはためらわない。
静かに覚悟を決めると、一歩ずつ部屋の中へ足を踏み入れた。
◆
マリガン王妃の私室。
そこには——ギシャがいた。
「やはり、ここにいたのですね……」
エレシャは静かに呟く。
ギシャは月明かりが差し込む窓辺に腰掛け、夜空を見上げていた。
「……そうか」
「これも、アガンニーヤのお導き……」
月を見つめたまま、静かに言葉を漏らす。
エレシャには、兄へ伝えたいことが数え切れないほどあった。
しかし——
今なお王宮では戦いが続いている。
命を懸けている仲間たちがいる。
もう、立ち止まっている時間はなかった。
「ギシャ王子——お覚悟を」
エレシャは静かに剣を構え、その切っ先を兄へ向けた。
ギシャはゆっくりと振り返る。
そして静かに立ち上がった。
その表情には、怒りも、憎しみも——失望もない。
どこか、すべてを受け入れたような表情だった。
エレシャはそんな兄の顔を、初めて見た。
ゆっくりと剣を構え直す。
(これで終わりです……兄上……)
その時だった。
「エレシャよ」
ギシャが静かに口を開く。
「立派な女王になれよ」
そう言い残すと、ギシャは両腕を静かに広げ、目を閉じて天を仰いだ。
自らの最期を迎えるように。
「はい……兄上」
次の瞬間——
エレシャの一太刀は、迷いなくギシャの首を斬り落とした。
鮮血が舞い、エレシャを赤く染める。
首を失ったギシャの身体は、その場へ静かに崩れ落ちた。
部屋には再び静寂が訪れる。
エレシャは倒れた兄を静かに見つめた。
(兄上……見事な最期でした)
その頬を、一筋の涙が静かに伝っていった。
◆
エレシャは静かに呼吸を整えた。
そして、倒れたギシャのもとへ歩み寄る。
左手で兄の首を静かに持ち上げると、そのまま部屋を後にした。
「リビア!!」
廊下へ響くように、エレシャは叫んだ。
「エレシャ姫!」
少し離れた場所で待機していたリビアは、その声を聞くなり駆け寄る。
そして、その光景を目にした。
返り血を浴びたエレシャ。
その左手には、切り落とされたギシャの首。
エレシャの表情には、勝者の喜びなど微塵もない。
あるのは、深い悲しみと、極度の疲労。
今にもその場へ崩れ落ちそうなほどだった。
リビアは、その姿を見ただけですべてを悟る。
「……姫様」
何も尋ねることはしなかった。
ただ静かに歩み寄り、エレシャを力強く抱きしめる。
「リビア……」
エレシャは小さく呟いた。
「終わらせましょう」
「兵士たちと一緒に……」
声を振り絞るように言う。
その瞳には、まだ王女としての強い意志が宿っていた。
「はい」
リビアは力強く頷く。
王宮の戦いは、いよいよ終幕を迎えようとしていた。
◆
「では……いくぞ」
リビアの合図とともに、兵士たちは一斉に太いロープを引いた。
重厚な鐘の音が、王宮から王都全域へと響き渡る。
その音は、夜空を震わせるように、どこまでも広がっていった。
鐘の音を聞いた兵士たち、そして王都の人々は、一斉に王宮の屋上を見上げる。
「あ、あれは……!!」
そこには——
右手に剣を携え、左手にはギシャの首を掲げた、返り血に染まるエレシャの姿があった。
「エレシャ様だ……」
「エレシャ様が……勝たれたのか……?」
誰かが震える声で呟く。
その瞬間——
王都は歓喜に包まれた。
まるで王国そのものが震えるほどの歓声が、一斉に湧き上がる。
「女王様が……誕生した!!」
「エレシャ様ぁぁぁ!!」
「戦いが終わったぞぉぉぉ!!」
ギシャ派の兵士たちも、その光景を目にすると静かに武器を下ろした。
剣を捨て、鎧を脱ぎ、戦う意思を失っていく。
王宮に響く鐘の音。
それは、新たな王の誕生を告げる鐘でもあった。
戦いは——終わった。
エレシャの勝利によって。
人々は何度も、何度もエレシャの名を叫び続ける。
共に戦い抜いた兵士たちは、張り詰めていた糸が切れたように、その場で声を上げて涙を流していた。
リビアは静かにエレシャの背中を見つめる。
血に染まりながらも、まっすぐ前を見据えるその後ろ姿を、決して忘れまいと胸に刻みつける。
王都を包む歓声は、いつまでも鳴り止むことはなかった。
◆
王宮に鐘の音が響いた、その瞬間だった。
カカロとガラガは、拳を止めた。
そして同時に、その場へ倒れ込む。
「ゲホッ……ゲホッ……」
ガラガは血を吐き出した。
顔は腫れ上がり、原形を留めていない。
「相変わらず……タフなガキだ……」
「……アンタもな」
カカロも荒い息をつきながら答える。
その顔もまた、ガラガに負けないほど傷だらけだった。
「歳の割には……しぶとい」
「手負いのガキ相手に、ここまで手こずるとはな……」
ガラガは悔しそうに言った。
「……アンタだって、手負いだろ」
カカロは静かに返した。
ガラガの身体には目立つ外傷はなかった。
しかし、閃の《雷撃》をまともに受けた影響で、全身にはまだ強い痺れが残っていた。
そのせいで動きが普段より明らかに鈍くなっていたことを、カカロは戦いの最中から見抜いていた。
もっとも——
真正面から拳を交えられる相手など、この王国ではガラガしかいない。
「……また一から鍛え直しだな」
ガラガは天井を見上げ、呟く。
「……なら、俺が鍛えてやろうか?」
カカロは口元をわずかに緩めた。
「……チッ、生意気なガキめ」
ガラガも口角を上げる。
そこへ兵士たちが慌てて駆け寄ってくる。
「ガラガ様!」
「カカロ様!」
もはや敵味方の区別はなかった。
元ギシャ派の兵士たちも、2人を支え起こし、救護へ当たる。
長きにわたる戦いは、ようやく終わりを迎えたのだった。
◆
歓声が鳴り止まない中、エレシャはゆっくりと歩き始めた。
数歩進んだところで、その手から剣が滑り落ちる。
続いて、ギシャの首も静かに地面へ転がった。
そして、エレシャの身体が大きく揺らぐ。
「エレシャ様!!」
リビアは咄嗟に駆け寄り、崩れ落ちるエレシャを抱き止めた。
エレシャはすでに意識を失っていた。
周囲の兵士たちも慌てて駆け寄る。
「……大丈夫だ」
「気を失っていらっしゃるだけだ」
リビアは冷静にエレシャの容体を確認すると、兵士たちへ告げた。
その言葉に、兵士たちは安堵の息を漏らす。
リビアは静かにエレシャを見つめた。
(エレシャ姫——)
(いや……エレシャ女王)
(お見事でした)
その時、リビアへ通信が入る。
ナオミからだった。
「こちらリビア」
「ああ、戦いは終わったよ」
リビアは短く応答する。
「……閃はどうだ?」
通信の向こうから返ってきた報告を聞いた瞬間、リビアの表情が引き締まる。
「——!!」
「……分かった」
「こちらもエレシャ様が気を失っているが、命に別状はない」
「こちらは任せて、閃を頼む」
そう言い残し、通信は終了した。
「リビア様……!」
近くにいた兵士が不安そうに尋ねる。
「閃様は……?」
リビアは一瞬だけ目を閉じ、静かに答えた。
「生きている」
「——が、かなり危険な状態だ」
その言葉に、兵士たちの表情から笑みが消えた。
張り詰めた空気が流れる。
だが、リビアは落ち着いた口調で続けた。
「大丈夫。後のことはオルフェのエージェント——“G.H.O.S.T.”に任せよう」
Global Hazard Orphe Surveillance Team——通称“G.H.O.S.T.”。
オルフェに所属する特殊エージェント部隊である。
今回の作戦では、閃とは別行動で潜入・救出任務を担当していたロックとナオミも、その一員だった。
リビアは2人の実力を、この目で見ている。
だからこそ、任せられるという確かな信頼があった。
現在、王都郊外で待機していたオルフェの特殊支援チームも、王宮へ向かっている。
医療班、黒い灰の除去班——そして、ラ・オーマの遺体回収班。
戦いは終わった。
これから始まるのは、王国の再生と、それぞれの未来へ向けた新たな戦いだった。
◆
ほどなくして、オルフェの特殊支援チームが王宮へ到着した。
それぞれが迅速に持ち場へ散っていく。
王宮の外では、リビアがロックとナオミに合流していた。
「ロック、ナオミ」
リビアは2人をまっすぐ見つめる。
「改めて言わせてくれ」
「今回の働き、本当に感謝する。ありがとう」
「気にすんなって。お互い様だろ」
そう言いながら、ロックの視線はリビアの腕の中へ向く。
そこには、静かに眠るエレシャの姿があった。
リビアもその視線に気づく。
「エレシャ様は大丈夫だ」
そして、少し間を置いて続けた。
「閃を、頼む」
その言葉には、深い信頼が込められていた。
「ああ」
ロックは静かに頷いた。
その言葉を聞き、リビアは小さく息を吐いた。
「じゃ——俺たちも、そろそろ行くわ」
「ああ」
リビアは力強く頷いた。
「お前たちは、私たちの戦友だ」
「次は、私たちが力になる」
その言葉に、ロックは笑みを浮かべる。
「その時は、よろしくな」
隣に立つナオミも、小さく微笑みながら軽く頷いた。
2人はそのまま振り返ることなく歩き出す。
それぞれが、それぞれの場所へ向かっていくのだった。




