第15話「青い旗」
閃はエレシャと、熱いひとときを過ごしていた。
エレシャはこれまで、何度も深く傷つき、何度も心が折れそうになってきた。
それでも、自らの立場を理由に弱音を吐くことはなかった。
命を落とした仲間たちを思い、自分が気丈でいなければならないと、ずっと心に言い聞かせてきたのだ。
いや——弱音を吐くことさえ、できなかった。
エレシャはこれまで、心の拠り所を一つ、また一つと失ってきた。
だからこそ、もう二度と、大切な人を失いたくない。
その想いは、誰よりも強く胸に抱いていた。
◆
エレシャにとって、閃の存在は希望そのものになっていた。
共に過ごした時間は、決して長くはない。
それでも、不思議と昔から知っている人のような安心感を覚える。
彼の優しい人柄、穏やかな声、まっすぐな眼差し。
そのすべてが、エレシャの心に安らぎと癒やしを与えてくれた。
そして、閃の持つ強さは、絶望の中でも前を向く勇気を与えてくれる。
閃はいつでもエレシャを最優先に考えてくれていた。
それは単に任務だからではない。
彼自身の意思でそうしていることが、言葉や行動から伝わってくる。
◆
エレシャがまだ15歳だった頃。
ポポロムは、趣味で占星術を嗜んでいた。
ある日、エレシャを占ったポポロムは、こんな言葉を残した。
「心の底から助けを求めたとき、あなたを守る戦士が必ず現れます」
「その戦士は、これまで一度も会ったことのない、思いもよらない場所からやって来るでしょう」
「その戦士はあなたとよく似た魂を持つ、近しい存在です」
「そして——あなたたちは、強く惹かれ合う運命にあります」
その言葉は、当時のエレシャにはどこか現実味のない話だった。
だが今なら分かる。
あの時、ポポロムが語った戦士とは——間違いなく、閃のことなのだと。
◆
砂嵐がようやく収まった頃には、外はすっかり日が落ちていた。
閃は食料を確保するため、1人で洞窟の外へ出ていた。
エレシャはテントの中で帰りを待つ。
万が一、何かあっても心配はない。
バサラヲがオートモードで周囲を警戒しているため、不意の襲撃にも対応できる状態だった。
それから30分ほどが経った頃。
「エレシャー!」
洞窟の入口の方から、閃の声が響く。
「閃!」
エレシャはすぐにテントを飛び出し、入口へ駆け寄った。
そこには、仕留めたムラサキウロコワニの尻尾を掴み、ずるずると引きずりながら歩いてくる閃の姿があった。
「閃……よく1人で運んでこられましたね……」
エレシャは思わず目を丸くする。
成体のムラサキウロコワニは600キロを超える巨体だ。
この砂漠で、道具も使わずに運ぶとなれば、ソランティスの屈強な男性でも最低3~4人は必要とされる。
それを閃は、1人で平然と引きずってきたのだ。
「ちょっと重かったけど、このくらいならまだ大丈夫!」
閃は、いつもの笑顔で答えた。
その光景を目の当たりにし、エレシャは改めて実感する。
エーテルファクターの身体能力は、常人とは比較にならないほど規格外なのだと。
◆
「じゃ、捌こう!」
閃が笑顔で言った。
「ええ!」
エレシャも微笑みながら頷く。
2人とも、すっかりお腹が空いていた。
閃とエレシャは、サバイバルキットに入っていたナイフを使い、協力してムラサキウロコワニを捌き始める。
「こういうことするの、初めて」
閃が言った。
「初めてとは思えないくらい、お上手ですよ」
「閃は本当に器用なんですね」
エレシャは感心したように微笑む。
「刃物自体は慣れてるからね」
閃は手を動かしながら答えた。
「私も、捌くのは久しぶりです」
「王族はそんなことをしてはいけないと、周りからはよく言われていました」
「でも実は——こっそりカカロから教わっていたんです」
エレシャも手際よく作業を進めながら、小さく笑った。
「エレシャらしいね」
閃は思わず笑った。
2人は息を合わせながら、皮を剥ぎ、必要な部位を切り分けていく。
下処理を終えれば、あとは焼くだけだった。
閃はサバイバルキットの中から、小型の電気プレートを取り出す。
内部バッテリー式の携帯モデルで、特別な装備ではなく、一般的によく使われているものだった。
切り分けた肉をプレートへ並べる。
焼き上がるまでの間、2人は自然と見つめ合っていた。
やがてエレシャが静かに距離を縮める。
閃も何も言わず、その想いを受け止めた。
2人はそっと唇を重ねる。
それは、温かな口づけだった。
もちろん、この時間は2人だけの秘密。
立場も、身分も、背負うものも全く違う。
そのことは、お互いによく分かっていた。
◆
「はぁ……美味しかった」
閃は満足そうに息をついた。
「本当に」
エレシャも穏やかに微笑む。
2人は食事を終え、ようやく空腹を満たしていた。
束の間ではあったが、心も身体も少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
「それじゃあ、C拠点へ向かおう」
閃が立ち上がる。
「ええ!」
エレシャも力強く頷いた。
閃は周囲を見回し、設営したテントや備品へ視線を向ける。
「設置したものは、一旦このままにしておこう」
「また使うことになるかもしれないし」
「そうですね」
エレシャも同意した。
必要な装備だけを持ち、2人はバサラヲへ乗り込む。
ハッチが閉じると、バサラヲは洞窟の外に出た。
そして、砂漠へ向かって一気に駆け出した。
◆
C拠点。
辺りはまだ夜の闇に包まれていた。
「……ん?」
見張りに立っていた兵士の1人が、遠方から近づいてくる影に気づく。
兵士はすぐに双眼鏡を構え、倍率を上げた。
(……あれは、鎧機兵?)
しかし、その機体には見覚えはない。
兵士は目を凝らす。
そして、ある可能性に思い至った。
(……まさか!)
慌てて通信機を取り出し、拠点内へ連絡を入れる。
「見たことのない鎧機兵が1機、こちらへ向かっている!」
「おそらく——オルフェの協力者だ!」
『なんだって!?』
通信の向こうから驚きの声が返ってくる。
『なら、姫様は——分かった!』
通信はそこで切れた。
見張り兵は再び双眼鏡を構え、夜の砂漠を駆けてくる機体を見つめ続けた。
◆
「あっ!」
不意にエレシャが声を上げた。
「どうした?」
閃が尋ねる。
「あそこを見てください!」
エレシャは前方を指差した。
閃はすぐにモニターの映像を拡大する。
そこには、1枚の青い旗が大きく振られていた。
「……あれは!」
エレシャの表情が一気に明るくなる。
「良かった……!」
「閃、C拠点は無事です!」
その声は、安堵と喜びに満ちていた。
「あの旗は?」
閃が尋ねる。
「無事を知らせる合図です」
「それと、味方を迎え入れる時にも使われます」
エレシャは嬉しそうに答えた。
閃もようやく肩の力を抜く。
A拠点のような惨状になっていなかったことに、心から安堵した。
「もう少しですね」
「よし!」
C拠点までは、あとわずか。
バサラヲはさらに加速し、夜明け前の砂漠を一直線に駆け抜けた。




