第11話「非常食」
ふと、閃は目を覚ました。
ぼんやりとした意識の中で感じたのは、柔らかく温かな感触だった。
(あぁ……気持ちいい……)
心地よさに身を委ねながら、閃は再び目を閉じる。
だが次の瞬間、違和感に気づいた。
(ん……?)
ゆっくりと目を開く。
そして、自分の状況を理解した。
閃の頭は、エレシャの胸元を枕にするような形になっていた。
さらにエレシャは、優しい手つきで閃の頭をゆっくりと撫でている。
閃はゆっくりと顔を上げた。
「……エレシャ姫、起きてます?」
なるべく小さな声で尋ねる。
「ええ」
エレシャも同じように小声で答えた。
閃はリスバで時刻を確認する。
本来なら起きる予定の時間まで、まだ1時間ほど残っていた。
「眠れませんでした?」
閃が聞く。
「いいえ、ちゃんと休めたわ」
エレシャは微笑みながら答えた。
「神術者に目覚めてから、体力の回復が早くなったの」
その言葉に閃は納得する。
ファクターへ覚醒すると、差こそあれ身体機能そのものが変化する。
エレシャの場合、その変化は回復力の向上という形で最も現れていたのだろう。
「それなら良かった……」
閃はほっと息をついた。
エレシャが少しでも休めていたことに安心する。
するとエレシャは、どこか楽しそうに微笑んだ。
「それに——閃の寝顔を見ていたら、なんだか癒されるの」
「えっ?」
思わぬ言葉に閃は目を瞬かせる。
「ふふっ。本当よ」
エレシャは小さく笑った。
その瞬間、閃の脳裏に昔の記憶がよみがえる。
“閃の寝顔……なんか癒される”——怜にそう言われたことがあった。
(そんなこともあったなー……)
懐かしさと気恥ずかしさが同時に込み上げる。
閃は少しだけ視線を逸らした。
◆
「そういえば、ごめんなさい。エレシャ姫を枕代わりにしちゃって……」
閃は申し訳なさそうに頭をかいた。
「全然、構いませんよ」
エレシャはあっけらかんと答える。
(さすが姫様……器が広い)
そんなことを思う。
普通なら気まずくなってもおかしくない状況だ。
それなのに、エレシャはまったく気にした様子がなかった。
「それより、まだ寝なくても大丈夫?」
エレシャが尋ねる。
「はい。すっかり目が覚めました」
閃は笑顔で答えた。
「そう」
エレシャも微笑む。
「お水、飲む?」
「あ、いただきます」
閃が答えると、エレシャは手のひらを軽く前に向けた。
すると、透明な水の球がふわりと生み出される。
閃は顔を近づけ、その水を飲んだ。
冷たく澄んだ水が喉を潤し、身体の中へ染み渡っていく。
「ぷはぁ……やっぱり美味しい」
「ありがとう」
エレシャは少し嬉しそうに笑った。
静かなコクピットの中に、穏やかな時間が流れていた。
◆
閃はふとモニターを起動した。
外はまだ薄暗い。
移動予定の1時間後になって、ようやく夜明けが始まる頃だろう。
砂漠は静寂に包まれ、果てしなく続く闇と月明かりだけが広がっていた。
「閃……もし良ければ、少し外の空気を吸いたいわ」
エレシャがそう言った。
数時間もの間、狭いコクピットで過ごしていたのだ。
無理もない。
「そうしましょう」
閃は頷いた。
バサラヲをゆっくりと屈ませ、コクピットハッチを開く。
その後、エレシャを抱き上げた。
「すみません。こっちの方が安全なので」
エレシャは素直に身を任せた。
やがてバサラヲの巨大な手がコクピット前まで移動してくる。
閃1人なら飛び降りるところだが、エレシャもいる以上そうはいかない。
エレシャは下を見ないように目を閉じていた。
2人はバサラヲの手のひらに乗り、そのままゆっくりと地上へ降ろされる。
「エレシャ姫、着きました」
閃はそう言うと、エレシャをそっと地面へ下ろした。
「ありがとう」
エレシャは安堵したように息をつく。
2人はその場で軽く身体を伸ばした。
凝り固まっていた身体がほぐれていく。
外はまだ肌寒い。
だが、その冷たい空気がかえって心地よかった。
夜の砂漠は幻想的だった。
月明かりに照らされた砂丘が淡く輝き、風が砂を優しく撫でていく。
どこまでも続く静寂。
まるで世界に2人しかいないかのようだった。
「綺麗……」
閃は思わず呟く。
その視線の先にあったのは、砂漠の景色——そして、その景色の中に立つエレシャだった。
幻想的な風景とエレシャの美しさが不思議なほど調和していた。
「え?」
エレシャが振り返る。
「えっ?」
閃も我に返った。
どうやら無意識に声に出してしまっていたらしい。
「エレシャ姫、綺麗だなぁって……」
素直に答えた閃に、エレシャは小さく笑った。
その笑顔もまた、綺麗だった。
◆
「閃、夜の砂漠はムラサキウロコワニの活動時間でもあります」
エレシャは周囲を見渡しながら言った。
「砂の中に潜みながら獲物を待ち伏せする習性を持っています」
「ただ、こちらから動き回らなければ襲われることはほとんどありません」
「あのワニ、夜行性なんですね」
閃は感心したように頷く。
「そういえば、お腹は空いていませんか?」
閃はエレシャへ尋ねた。
「そうね……少し空いたかも。食料あるの?」
「ありますよ!」
閃は自信満々に答えた。
「ユーティリティスペースに3日分の非常食があります」
「まぁ、便利ね!」
エレシャは目を輝かせた。
非常食や応急用品の搭載は、EDだけでなくSDでも一般的な仕様だ。
決して特別な装備ではない。
「一緒に食べましょう」
「ありがとう」
エレシャは嬉しそうに微笑んだ。
閃は、バサラヲのコクピットへ駆け寄ると、勢いよく乗り込み、シート下のユーティリティスペースを開いた。
数秒後——
「……あ゛!!!」
悲鳴が響く。
「ど、どうしました!?」
エレシャが慌てて声を上げる。
閃が青ざめた顔でコクピットから降りてきた。
その表情は、敵に囲まれた時より深刻そうだった。
「あ、あの……エレシャ姫……」
「はい?」
閃は気まずそうに視線を逸らした。
そして恐る恐る説明を始める。
「非常食が……半日分しか残ってませんでした……」
「え?」
「たぶん、いつかの任務の時につまみ食いしてて……」
「その後、補充するのを完全に忘れてました……」
最後の方は消え入りそうな声だった。
沈黙が流れる。
「あら……」
エレシャはぽつりと言った。
「すみません……」
閃は肩を落とす。
「そこまで落ち込まなくてもいいじゃない」
エレシャは思わず笑ってしまった。
「少なくとも、食料がゼロじゃなくて良かったわ」
そう言われて、閃は少しだけ救われた気分になる。
「それに、本当に困ったら私も協力します」
「だからそんな顔をしないで」
エレシャは優しく微笑んだ。
◆
「あっ!」
何かを思いついたように閃が声を上げた。
「いざとなれば、ワニとっ捕まえて捌きましょう!」
「それは危ないです!」
エレシャは即座に否定した。
あまりにも躊躇のない提案だった。
「大丈夫ですよ。昔、生身で魔獣を倒したことがありますし」
閃はあっさりと言う。
「え、えぇ……?」
エレシャは思わず戸惑った声を漏らした。
到底、一般人がどうこうできる相手ではない。
そんな相手と戦い、しかも勝ったというのだから、確かにムラサキウロコワニ程度は脅威にならないのかもしれない。
「で、でも閃、無理をしては駄目ですよ!」
エレシャは真剣な表情で言った。
「もちろんです。エレシャ姫の護衛が最優先ですから」
閃は笑顔で頷く。
その返答に、エレシャは少し安心したように息を吐いた。
「なら良かったわ……」
「ということで——まずは非常食を食べましょう」
閃は気持ちを切り替えるように言った。
「ええ、そうね。いただこうかしら」
エレシャも微笑む。
バサラヲのそばに腰を下ろした。
2人はエレシャの発生させた水の球に口をつけて飲む。
そして、食事を始めた。
冷たい夜風が吹き抜ける。
静かな砂漠の中で、2人だけの小さな食事の時間が流れていた。




