第10話「静寂」
「……!?」
気づくと、エレシャの目の前には夜の砂漠が広がっていた。
つい先ほどまで洞窟の中にいたはずなのに、まるで瞬間移動でもしたかのようだった。
エレシャはバサラヲのコクピット内で、閃の膝の上に座る形になっていた。
状況を把握した瞬間、エレシャは振り返る。
「閃!アミラたちは——」
言いかけたところで、エレシャは息を呑んだ。
閃の額には冷や汗が滲み、その表情は明らかに強張っている。
その顔を見た瞬間、エレシャは察してしまった。
それでも確認せずにはいられなかった。
「閃、アミラたちは……?」
「……アミラさんたちは……」
閃は言葉を詰まらせた。
何かを言おうとして唇を動かすが、続きが出てこない。
やがて閃は静かに目を閉じ、無言のまま首を横に振った。
その表情には、深い悲しみと、どうすることもできなかった悔しさが滲んでいた。
「……そう、ですか……」
エレシャは小さく呟いた。
◆
エレシャはそっと手のひらを閃の胸に当てた。
そして、水のエーテルを発生させる。
「エレシャ姫……?」
閃は戸惑ったように呟く。
その瞬間だった。
閃の心を覆っていた焦り、怒り、悲しみ——そんな負の感情が、ゆっくりと洗い流されていく。
まるで澄んだ水に身を委ねているような、不思議な心地よさ。
音の《安静のウィンド》にも似た感覚だった。
エレシャは、水のエーテルで閃の心を癒していた。
「閃……ありがとう」
エレシャは静かに言った。
「えっ……」
思わず閃は聞き返す。
「アミラたちのこと、そこまで想ってくれて」
閃がアミラたちと過ごした時間は、ほんの数日ほどに過ぎない。
それでも、その時間は確かにかけがえのないものだった。
エレシャには分かっていた。
閃が彼女たちの死を心から悲しみ、悔しんでくれていることを。
だからこそ、そのまっすぐな優しさが嬉しかった。
閃は胸の奥が締めつけられるのを感じた。
本来なら、一番つらいのはエレシャのはず。
長い時間を共に過ごしてきた仲間を失ったのだから。
それなのに、彼女は自分の悲しみより先に、閃の心を気遣ってくれている。
閃はそっとエレシャの手に、自分の手を重ねた。
「……ありがとうございます。エレシャ姫」
そう答えた閃の声には、先ほどまでの動揺はなかった。
その表情にも、少しずつ冷静さが戻り始めていた。
◆
閃はレーダーへ視線を向けた。
現在地から最も近いのはA拠点。
順調に進めば、3時間ほどで到達できる距離。
だが、一気に向かうのは危険だ。
動きを察知される可能性がある。
なにより、ラ・オーマの存在が気がかりだった。
あの神術がどこまで及ぶのか分からない以上、どこかから監視されているかもしれない。
だからこそ、途中で何度か進路変更や休憩を挟みながら移動することにした。
「狭くてすみません……」
閃はエレシャに声をかけた。
コクピット内は少しでも空間を確保するため、レッグアーマーを収納したレストモードになっている。
それでも2人で乗るには窮屈で、閃とエレシャはほとんど密着した状態だった。
「ううん。それは大丈夫なんだけど……」
エレシャは少し言いにくそうに視線を逸らした。
「どちらかというと……高い場所が少し苦手で……」
「もし良かったら、場所を代わってくれるかしら?」
少し頬を赤らめながらそう言う。
つまり、エレシャが後ろ、閃が前になる形だ。
「エレシャ姫がそれでいいなら」
閃としては、後ろの方が窮屈ではないかと思って前を譲っていた。
だが、そういう理由なら話は別だった。
2人は狭いコクピットの中で身体を寄せ合いながら、何とか位置を入れ替える。
そして、ようやく入れ替えが終わる。
「苦しくないですか?」
閃は真後ろにいるエレシャへ尋ねた。
「だ、大丈夫です」
そう答える声には、どこか無理をしているような響きがあった。
「あっ」
その時、閃は何かを思い出したように声を上げる。
そしてモニターの設定を操作し、表示方式を切り替えた。
閃は普段、周囲の映像をそのまま映し出す全周囲式のパノラマスクリーンを使用している。
しかし、それはまるで空中に剥き出しで浮いているような感覚になるため、高所が苦手な人には恐怖を感じやすい。
そこで表示を分割式のスプリットスクリーンへ変更した。
「どうです?」
閃は振り返らずに尋ねる。
「うん。さっきより怖くないかも!」
エレシャはそう言って微笑んだ。
「……でも、やっぱりここで大丈夫です」
その声には、どこか安心したような響きがあった。
閃も小さく頷く。
「分かりました」
夜風が機体を撫で、月明かりが果てしない砂の海を照らしていた。
◆
「閃、喉は乾いていませんか?」
後ろからエレシャが声をかけた。
「そういえば……乾いてます」
言われて初めて、閃は自分の喉が渇いていることに気づいた。
そんなことを意識する余裕すらなかったのだ。
「どうぞ」
エレシャはそう言うと、閃の顔の前へ手を伸ばした。
その手のひらから透明な水の球が生み出される。
月明かりを受けて淡く輝くそれは、まるで宝石のように美しい。
「いただきます」
閃は顔を近づけ、水の球に口をつける。
そして吸い込むように飲んだ。
(……美味しい!)
思わず目を見開く。
その水は、今まで飲んだどんな水よりも美味しかった。
身体の隅々まで染み渡り、まるで内側から浄化されていくような感覚だった。
疲労まで和らいだような気さえする。
「ありがとうございます、エレシャ姫」
「とても美味しかったです」
閃が素直な感想を口にする。
「ふふっ。良かった」
エレシャは嬉しそうに微笑んだ。
その夜は、移動を中断し、バサラヲの中で一夜を明かすことにしていた。
外は深夜の砂漠。
気温は氷点下近くまで下がり、過酷な環境となる。
だが、EDのコクピット内は常に適温に保たれており、外気の影響を受けない。
さらに、シート下のユーティリティスペースには非常食や救急用品など、有事に備えた装備も揃っている。
水の確保に関してはエレシャの水のエーテルがある。
少なくとも生存という点では、大きな不安はなかった。
もちろん状況そのものは決して良くない。
それでも、不幸中の幸いと言えるだけの条件は揃っていた。
◆
「色々お話ししたいことはありますけど……今は少し休みましょう」
閃はそう言った。
今日だけで起きた出来事は、あまりにも多すぎた。
互いに整理しなければならないことも山ほどある。
だが、今は心も身体も休ませた方がいい。
閃は、そう判断した。
「そうね……」
エレシャも静かに頷く。
その声には若干疲労の色が滲んでいた。
「3時間後に移動を再開しましょう」
「ええ」
エレシャは小さく微笑んだ。
「おやすみ、閃」
優しくそう告げる。
「おやすみなさい、エレシャ姫」
閃も返した。
その後、閃はバサラヲをオートモードへ切り替える。
周囲の警戒を維持しながら、自動で待機を続ける。
コクピット内には静寂が訪れた。
外では冷たい夜風が砂を運び、月明かりが果てしない砂漠を照らしている。
閃は、ゆっくりと目を閉じた。
背中越しに感じるエレシャの温もりが、不思議と心を落ち着かせてくれる。
こうして2人は、束の間の休息を取るのだった。




