第8話「襲来」
それから3日が過ぎた。
閃はすっかり拠点での生活に馴染んでいた。
兵士たちとも打ち解け、巡回や見張りの合間には雑談を交わすことも増えている。
閃が到着してから今日まで、ギシャ派による目立った動きは、いまだ確認されていなかった。
表面上は平穏そのものだった。
しかし、その静けさが逆に不気味でもあった。
誰も楽観視はしていない。
むしろ、この平穏がいつ終わるのかを警戒していた。
ギシャ派が拠点を探していることは間違いない。
だからこそ、誰一人として気を緩めることはなかった。
それは、閃も同じだった。
普段はエレシャたちと穏やかな時間を過ごしていても、常に周囲への警戒は続けている。
いつ何が起きても対応できるように。
その意識だけは、一瞬たりとも手放していなかった。
◆
朝。
閃は洗い物など、拠点内の雑務を手伝っていた。
アミラからは、“閃さんそんなことしなくていいのよ”と言われていたが、閃の方から手伝いを申し出たのだ。
実際のところ、人手は明らかに足りていない。
少しでも力になれるなら、その方がいいと考えていた。
今は昼食用の食材を下ごしらえしているところだった。
一方、エレシャはリビアから剣術の稽古を受けていた。
そして稽古を終え、汗をシャワーで流した後、リビアと共に閃の元へやって来る。
「すまないな。雑用までさせてしまって」
リビアが申し訳なさそうに言った。
「いえいえ。何か動いていた方が気持ち的にも楽ですから」
閃は笑顔で答えた。
「私、久しぶりに料理してみようかしら」
不意にエレシャが言った。
その瞬間だった。
「あ……!エ、エレシャ姫!」
リビアが珍しく慌てた声を上げる。
「料理はこちらに任せて、閃と散歩とか、神術の稽古とかしたらどうですか?」
妙に早口だった。
その反応に、閃も不思議そうな顔をした。
「うーん……」
エレシャは少し考え込む。
「なら、付き合ってくれるかしら?」
そう言って閃を見る。
「もちろんです」
閃は快く頷いた。
「ちょっと待ってて! 準備してくるわ!」
エレシャは嬉しそうにそう言うと、その場を駆け足で離れていった。
閃は、隣のリビアへ視線を向ける。
「……何かあったんですか?」
するとリビアは一瞬固まった。
そして気まずそうに視線を逸らす。
「そ、その……エレシャ姫は……あまり料理が……」
「苦手というか、その……」
言葉を濁すリビア。
「ああ……」
閃は全てを察した。
◆
閃とエレシャは、拠点から少し離れた場所で神術の訓練を行っていた。
とはいえ、閃がエレシャに何かを教えているわけではない。
同じ神術者——エーテルファクターではあっても、エーテルも属性も異なる。
実際、ファクターズの面々も誰かに教わって力を身につけたわけではなく、それぞれが試行錯誤の末に自分の力を習得してきた。
下手に自分の感覚で教えてしまえば、かえって成長の妨げになる可能性もある。
そのため閃は、助言をするというより見守る立場に徹していた。
エレシャは目を閉じ、集中する。
すると、彼女の前方に水球が浮かび上がった。
透き通った青い球体が、ゆっくりと空中を漂う。
エレシャが神術者として覚醒してから現在までで習得しているのは、この程度の力だけだという。
しかし、その水球には特殊な効果があった。
傷や疲労をわずかに癒やす力を持っているのだ。
風属性や水属性は、回復や浄化に関わるエーテルとして知られている。
しばらく訓練を続けた後、閃が声を掛ける。
「エレシャ姫、ちょっと休憩しましょう」
「……ふぅ」
エレシャは小さく息を吐いた。
「ええ」
集中を解くと、水球は静かに消えていく。
そしてエレシャは閃の隣へ腰を下ろした。
穏やかな風が吹き抜ける。
訓練中の真剣な表情とは違い、今のエレシャはどこか肩の力が抜けている。
そんな様子を見て、閃も自然と表情を緩めた。
◆
「閃って、神術——エーテルスキルをたくさん使えるんでしょ?」
エレシャが興味深そうに尋ねた。
「確かに、多い方ですね」
「自分のエーテルには性質変換って特性があるので、色々応用できるんです」
「性質変換……」
エレシャはその言葉を繰り返した。
「私には、どんな特性があるんだろう」
そう呟く声には、少しだけ羨ましさも混じっていた。
閃はそんなエレシャの気持ちも理解できた。
オルフェには、同じファクターも研究者もいる。
エーテルに関する資料や知識も豊富だ。
分からないことがあれば相談できる相手もいる。
だが、エレシャは違う。
周囲に同じ神術者はいない。
ソランティス王国も、エーテル研究が盛んな国ではない。
神血や神術者として崇拝する文化はあっても、その仕組みを科学的に研究しているわけではなかった。
だからこそ、エレシャがエーテルについて詳しくないのも当然だった。
「エーテルって、本当に不思議ですね」
エレシャがぽつりと呟く。
その視線は遠くを見つめていた。
「本当……そう思います」
閃も静かに頷いた。
エーテルの存在自体は、はるか古代から確認されている。
だが、長い歴史を経た現代においても、その正体はほとんど解明されていない。
“人類には扱いきれない力なのではないか”——そう主張する学者も少なくない。
なぜエーテルが存在するのか。
なぜ特定の人間だけがエーテルを持つのか。
なぜ神術者——エーテルファクターが存在するのか。
これまで数え切れないほどの仮説が提唱されてきた。
しかし、そのどれも決定的な証拠はない。
結局のところ、誰にも分からないのだ。
閃は空を見上げた。
エレシャも同じように視線を向ける。
2人は偶然にもエーテル保持者として生まれた。
だが、その理由を説明できる者は世界のどこにもいない。
◆
夜。
食事を終え、シャワーも済ませた後、閃とエレシャは洞窟内で他愛のない会話をしていた。
その時だった。
「敵襲です!!」
兵士の叫び声が洞窟内に響き渡る。
その一言だけで、空気が一変した。
全員が即座に立ち上がる。
(ついに来たか……!)
リビアは表情を引き締めた。
いつかは来ると思っていた。
だが、思っていたより早かった。
その時——
洞窟内に重低音が響く。
ホバー走行特有の振動音。
しかも、複数——いや、大量だ。
「ま、まさか……!?」
兵士が顔を青ざめさせる。
「カカロ様!!リビア様!!」
別の兵士が叫んだ。
そして、次の瞬間——
洞窟の入口方向から、巨大な影が現れる。
ギシャ親衛隊のナックだった。
次々と姿を現し、列を成して進入してくる。
やがてその数は、洞窟の出入口を完全に塞いだ。
「ここまで侵入されるまで、なぜ誰も気付かなかった!?」
リビアが鋭く声を上げる。
それは、この場にいる誰もが抱いた疑問だった。
本来、敵が接近すれば、拠点に到達する前に、見張りの兵士から必ず連絡が入る。
なのに、今回は何もなかった。
あまりにも異常だった。
まるで最初から見張りなど存在しなかったかのようだった。
閃は即座にエレシャの前へ立つ。
侵入してきたナックの軍勢を睨みつけた。
その時だった。
先頭にいる機体へ視線が止まる。
隊長機のサーナック。
そして、その巨大な手のひらの上に1人の男が立っていた。
「兄上……!!」
エレシャが息を呑む。
——ギシャだった。
王都を支配する、エレシャの実兄。
その表情には勝利を確信したような余裕が浮かんでいる。
だが、閃が注目したのはギシャだけではなかった。
サーナックの肩部。
そこにもう一つの人影が立っている。
全身を紫色のローブで覆った人物。
顔は深く隠され、その素顔は見えない。
(あれが……ラ・オーマか)
そして、閃は直感した。
(間違いない、ファクターだ)
ラ・オーマもまた、閃を見下ろしていた。
向こうも気付いている。
同類の存在がここにいることを。
洞窟内の空気が張り詰める。
◆
ギシャとラ・オーマを乗せたサーナックは、ゆっくりと膝をついた。
重い駆動音が洞窟内に響く。
やがて機体から、2人の人影が地面へ降り立った。
(ギシャ王子が前線に出てくるとは……!!)
リビアは内心の動揺を隠せなかった。
これまでのギシャは違う。
常に王都の奥深くに身を置き、自ら危険な場所へ姿を現すことはなかった。
それが今、こうして自ら最前線へ出てきている。
その事実が、事態の異常さを物語っていた。
洞窟内は静まり返っている。
誰も軽々しく動けなかった。
そんな中、ギシャがゆっくりと口を開く。
「……まさか」
その声は静かだった。
だが、はっきりと全員の耳に届く。
「“本当に”こんな場所に身を潜めていたとは——」
ギシャは周囲を見渡した。
そして、ギシャは口元を歪める。
「まるでネズミよ」
嘲るような声音だった。
その言葉に兵士たちの表情が険しくなる。
洞窟内の空気はさらに張り詰めていく。
もはや、この場はいつ戦いが始まってもおかしくない状況だった。




