第6話「アガンニーヤ」
ソランティス王国には、“アガンニーヤ”と呼ばれる守護神が存在する。
はるか昔、ソランティスは長期間にわたる深刻な干ばつに見舞われた。
河川や井戸は枯れ果て、農作物は壊滅状態となり、多くの人々が飢えと渇きに苦しんでいたという。
そんな絶望の中、アガンニーヤは神術によって大地に恵みの雨を降らせたと伝えられている。
この奇跡は後に「アガンニーヤの聖雨」と呼ばれ、王国の歴史に深く刻まれることとなった。
以来、アガンニーヤはソランティス王国の守護神として崇拝されている。
もっとも、その正体については様々な説が存在する。
中でも最も有力視されているのが、アガンニーヤは古代に実在した水のファクターだったという説だ。
伝承に残る数々の奇跡も、彼女が持つ圧倒的なエーテルによって引き起こされた現象ではないかと考えられている。
もちろん、それを証明する術はない。
だが、伝承の内容と現代のエーテル理論を照らし合わせると、十分に説明がつくことから、多くの研究者がこの説を支持していた。
そのためソランティス王国では、古くからエーテルコードを“神血”、エーテルファクターを“神術者”と呼ぶ独自の文化が根付いていた。
神血を宿す者は、守護神アガンニーヤの力を受け継ぐ存在——
その価値観は王国の文化や思想に色濃く残り続けているのである。
◆
ラゼフ国王の第四王妃・マリガンの娘として生まれたエレシャは、神血——すなわちエーテルコードだった。
ソランティス王国の歴史においても、ましてや王族として神血を持って生まれた者は、エレシャが初めてだった。
そのためエレシャは、生まれた瞬間から特別な存在として扱われ、王位継承争いにおける有力候補として担ぎ上げられることとなった。
エレシャには、異母姉であるポポロム第一王女がいた。
ポポロムは王族の中で唯一のエレシャ派であり、幼い頃から常に彼女の味方だった。
権力争いが渦巻く王族の中にあって、ポポロムはエレシャにとって数少ない理解者であり、心の支えでもあった。
2人の仲は非常に良好で、姉妹として深い絆で結ばれていたという。
しかし、その幸福な時間は長くは続かなかった。
ポポロムは後に何者かによって毒殺されてしまう。
犯人は明らかにならなかった。
だが、王族内の権力争いが背景にあったことは誰の目にも明らかだった。
唯一の理解者を失ったことは、エレシャに計り知れない悲しみと絶望を与えた。
そして——
ポポロムの死をきっかけに、エレシャは神術者——エーテルファクターとして覚醒する。
覚醒後に判明した属性は、水属性だった。
それは伝承において、アガンニーヤが操ったとされる力と一致していた。
この事実は瞬く間に国内へ広がる。
もともと神血として特別視されていたエレシャだったが、水属性への覚醒によって、その評価はさらに大きく変化した。
やがて人々の間では“エレシャ姫はアガンニーヤの生まれ変わりではないか”——という噂が囁かれるようになる。
その噂は王国中へと広がり、いつしか信仰にも近い熱狂的な支持を生み出していった。
こうしてエレシャは、王国の未来と希望を象徴する存在として見られるようになっていったのである。
◆
エレシャの口から、これまでの出来事が語られた。
幼少期のこと、王族内の権力争いのこと、そして——神術者として覚醒した経緯。
話している間、エレシャの表情はどこか寂しげだった。
「エレシャ姫……そんなことがあったんですね……」
閃は静かに言った。
“もし全員がエレシャ姫のようなお考えだったら、争いも犠牲者も出ずに済んだだろうからね”——ふと、ギャッツの言葉が脳裏をよぎる。
「あっ!ごめんなさい!」
不意にエレシャが明るい声を上げた。
「暗い話ばかりしてしまいました」
「い、いえ!そんなこと……!」
閃は慌てて首を横に振る。
エレシャはそんな閃を見て、くすりと笑った。
「うふふ。そういえば閃、お清め——じゃなくて、お風呂に入る?」
「そういえば、入りたいですね」
閃は頷いた。
長旅の疲れもあり、ちょうど汗を流したいと思っていたところだった。
「なら、こっちよ!」
エレシャは立ち上がると、自然な仕草で閃の手を取り、そのまま歩き出した。
「エエエ、エレシャ姫……!?」
突然のことに、閃の顔がみるみる赤くなる。
しかし、エレシャは全く気にしていない様子だった。
「ほら、早く行きましょ!」
楽しそうに笑いながら歩くエレシャ。
閃はされるがまま、その後をついていく。
「姫様、嬉しそうね」
その様子を見ていたアミラが微笑んだ。
「姫様も年頃だからなぁ」
近くにいた男性も笑いながら言う。
「ははは。違いない」
別の兵士も頷いた。
◆
一方——洞窟内。
カカロとリビアは向かい合っていた。
辺りには静かな空気が流れている。
「ここ最近……不気味なくらい静かだな」
リビアがぽつりと呟いた。
カカロは腕を組んだまま、無言で頷く。
その表情は険しい。
元々、エレシャ派の拠点は4ヶ所存在していた。
だが、そのうち1ヶ所はギシャ親衛隊の襲撃によって壊滅している。
多くの仲間を失ったあの日のことは、今でも忘れられなかった。
「他の拠点も、ここも……時間の問題かもしれないな」
リビアは重い口調で言った。
兵力だけで見れば、エレシャ派は明らかに劣勢だった。
「……そうだな」
カカロが静かに答える。
短い言葉だったが、その重みは十分に伝わった。
この静けさは平穏ではない。
嵐の前の静寂——2人とも、それを本能的に感じ取っていた。




