第5話「エレシャ」
洞窟の外へ出ると、空は茜色に染まり始めていた。
沈みゆく夕日が周囲を優しく照らし、昼間とはまた違った雰囲気を作り出している。
「カカロ様、リビア様。夕飯の準備はもうすぐ終わりますよ」
そう声を掛けてきたのは、ふくよかな体格をした年配の女性だった。
穏やかな笑顔が印象的で、どこか母親のような温かさを感じさせる。
「あら、その子は……例の?」
女性は閃を見ながら尋ねた。
「あぁ。こちらは閃だ」
リビアが紹介する。
「私はアミラよ。よろしくね」
アミラはにこやかに言った。
「アミラさん。よろしくお願いします」
閃は丁寧に頭を下げた。
アミラはいかにも面倒見が良さそうな雰囲気をまとっており、初対面にもかかわらず自然と安心感を覚える。
「まさか、こんな可愛い子が来るとは思ってなかったわ」
アミラは目を細めながら言った。
「アミラ、エレシャ姫は?」
「姫様なら“おめかし中”ですよ」
アミラは楽しそうに答える。
「そうか。道理で長いと思ったよ」
リビアも苦笑しながら返した。
どうやらエレシャ姫の準備は、まだ終わっていないらしい。
その会話を聞きながら、閃の胸の鼓動は再び少しだけ速くなった。
◆
(いい香りだなぁ……)
漂ってくる夕食の匂いに、閃は思わず鼻をひくつかせた。
香ばしい香りと食欲をそそる香辛料の匂いが混ざり合い、空腹を刺激する。
「閃さん、ソランティス料理は初めてかい?」
アミラが尋ねた。
「初めてです」
閃は素直に答える。
昼にギャッツと訪れたレストランは、一般的なエジプト料理の店だった。
ソランティス王国独自の料理を口にするのは今回が初めてになる。
「お口に合うといいけどね」
アミラは優しく微笑んだ。
「絶対合います!」
「もう、すごくいい香りですし!」
閃は元気よく答えた。
その様子にアミラも思わず笑みをこぼす。
香りだけでも、美味しいことが伝わってくる。
ソランティス王国では、加工食品が主流となった現代においても、今なお天然食材を中心とした食文化が根付いている。
広大な農地と豊かな水源に恵まれていることもあり、野菜や果物、家畜の多くを国内で生産している。
そのため、食事の質は非常に高い。
閃の期待はますます膨らんでいくのだった。
◆
「あら、姫様」
アミラがそう言った。
閃がそちらへ視線を向ける。
そこには、1人の女性が立っていた。
エレシャだった。
透き通るような黒髪に美しい褐色の肌。
非常に整った顔立ち。
そして、自然と人を惹きつける気品。
その美しさはモニター越しでも十分に伝わっていたが、実際に目の前で見る彼女は、その何倍も美しかった。
閃は思わず息を飲み、そして——完全に硬直した。
そんな閃を見るなり、エレシャはぱっと表情を輝かせた。
「閃!あなたが閃ね!」
エレシャは駆け寄ってくる。
「私はエレシャです!」
「あなたに会いたかった!」
満面の笑みを浮かべたエレシャは、閃の手を両手で掴むと、そのまま勢いよく上下に振った。
「は、はひ……」
閃の思考は完全に停止していた。
「姫様。閃さん、びっくりしてますよ?」
アミラがくすくすと笑いながら言った。
「閃。戻ってこい」
リビアも面白そうに笑っている。
その言葉で、ようやく閃の意識が現実へ引き戻された。
「し、失礼しました……」
閃は慌てて姿勢を正す。
「オルフェ研究機関の上矢閃です。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた。
「こちらこそごめんなさい」
エレシャも少し恥ずかしそうに笑う。
「アミラの言う通り、いきなり驚かせてしまいましたね」
「あぁ! いえ、そんな——」
閃は慌てて首を振った。
その時、閃はエレシャから、ある感覚を覚える。
(あれ……?エレシャ姫……まさか……)
「さぁ、夕飯にしましょ!」
閃が考え込もうとした時、アミラが明るい声で言った。
一行は食事の準備が整った場所へと向かうのだった。
◆
夕食には、ソランティスの伝統料理が並んでいた。
“ランマー”と呼ばれるミール状の主食。
色鮮やかな野菜や果物。
そして、ムラサキウロコワニの肉料理だ。
(ムラサキウロコワニって、確か前にオルフェで食べたな)
閃は思い出した。
ムラサキウロコワニは砂漠地帯に生息する夜行性の動物である。
その肉はソランティスを代表する食材の一つとして知られていた。
世界的には高級食材として扱われているが、原産地であるソランティスでは一般家庭の食卓にも並ぶほど身近な存在だ。
ただし、日本では流通量が少なく、あまり馴染みのない食材でもあった。
閃とエレシャは隣同士に座る。
やがて全員の前に料理が並べられた。
すると、誰もが食事に手を付ける前に、水の入ったコップを手に取った。
「ソランティスでは、食事の前にお水を飲む習慣があるのよ」
隣に座るエレシャが小声で教えてくれる。
「そうなんですね」
閃もコップを手に取った。
そして皆に合わせて一口水を飲む。
それを合図に、食事が始まった。
閃もさっそく料理へ手を伸ばす。
「美味しい……!」
思わず声が漏れた。
ランマーは優しい味わいで、どんな料理ともよく合う。
野菜や果物も驚くほど新鮮だった。
そして何より、ムラサキウロコワニの肉料理が絶品だった。
以前オルフェで食べたものも十分美味しかったが、本場の味はさらに格別である。
柔らかく、それでいてしっかりとした旨味があり、噛むたびに肉汁が広がった。
夢中になって食べているうちに、閃は別のことにも気付く。
(みんなメル並みに食うなぁ……)
ソランティスの人々の食事量が、とにかく多いのだ。
オルフェ一の大食いであるメルと比べても遜色ない。
もっとも、ソランティス人の平均身長は180センチを超えている。
その体格を考えれば、この食事量も不思議ではなかった。
そして、その中でも特に目を引いたのがカカロだった。
分厚く焼かれたムラサキウロコワニの肉を豪快に掴み、そのまま丸かじりしている。
まるで野生動物のような食べっぷりだった。
◆
「閃。あなたのこと、たくさん教えて?」
隣に座るエレシャが目を輝かせながら言った。
「えぇ、いいですよ」
閃は少し照れながら答える。
近くで見れば見るほど、エレシャは綺麗だった。
そのため、視線が合うたびに妙に緊張してしまう。
それでも閃は、自分のことを話し始めた。
オルフェでの生活、仲間たち、訓練の日々。
そして、これまで経験してきた様々な任務。
エレシャは終始興味津々といった様子で耳を傾けていた。
時には驚き、時には笑いながら、楽しそうに聞いている。
閃も自然と話しやすくなった。
◆
やがて食事は終わった。
皆で後片付けを済ませた後、閃とエレシャは少し離れた木陰へ移動していた。
夕日はすでに沈みかけており、辺りは穏やかな夕闇に包まれている。
心地よい風が吹き抜ける中、2人は並んで腰を下ろしていた。
初対面だったはずなのに、不思議なほど会話は弾んだ。
気付けば、すっかり打ち解けていた。
そして閃は、ずっと気になっていたことを口にする。
「あの、エレシャ姫」
「もしかして姫も——自分と同じですか?」
エレシャは静かに閃を見つめた。
その表情から笑みが消える。
代わりに、どこか覚悟を決めたような真剣な眼差しが宿った。
「……えぇ」
エレシャはゆっくりと頷く。
「私は神術者——」
そして、真っ直ぐ閃を見つめながら続けた。
「閃と同じ、エーテルファクターです」
その言葉に、閃はやはりという思いを抱いた。
食事の前に感じた、あの感覚。
あれは間違いではなかったのだ。




