温かな御手
「ほう。子供を育てる為に、妾の護衛の時間を減らしたい…と?」
翌日、彼女は護衛対象である人物に事の次第を伝えた。
「妾はそなたにとって、護るに値しないと?そなたにとって、イスト教とはその程度であったのか?」
その人物の言葉が、彼女の胸に突き刺さる。彼女が護衛するその人物は…イスト教の至宝。だからこそ、国を跨いで彼女が態々護衛しに来ている。
彼女の護衛を僅かな時間でも離れたいというその願いは、教皇の命令違反である上、イスト教を軽く見ていると取られても仕方ない。それは自分の故国への裏切りも同じであった。
自分で自覚していたことであったとはいえ、その人物に言われると心に鉛が落ちてきたような心地がした。
彼女が唇を噛みしめ俯いていると、その人物の笑い声が聞こえてくる。
「ふふふっ……ははははっ!」
感情を露わにするのが珍しいその人物の、突然の笑いに彼女は唖然とした。
「冗談じゃ。思う存分、やるがよい」
「…良いのですか?」
「うむ。だいたい、妾は護衛が必要ない。歴代の教皇らが勝手に気を回してきただ けのことじゃ」
ほう、とため息を吐く。次いで、その人物は嬉しそうに彼女の顔を覗き込んだ。
「それにしても、そなた中々良き顔つきになったの」
「そう、ですか?」
「うむ。今までそなたは、歴代の守役らと変わらず、何を考えているのか分からぬつまらない奴じゃった。それが、どうしたというのじゃ?…顔つきがしっかりしておる。自分の足で大地を踏みしめようとする意思が感じられるの」
「…ありがとうございます」
「礼を言うのは、こちらの方じゃ。本来、妾らが率先してせねばならぬことである故」
「いえ。貴方様が自由に動けぬことは、存じております」
彼女がそう言うと、その人物はどこか自嘲気味に微笑んだ。
「そなたの言う通りじゃ。いつの間にか妾は自由がなくなり…囚われの身となってしもうたの」
「姫様…」
「おっと…そなたまでそのような顔をする必要はない。囚われの身と言うても、随分優雅な暮らしをさせてもらおうておる。それより、その件頼むぞ」
「はい…っ!」
そうして、晴れて許しを得た彼女は教会でルークと名付けたその少年と暮らしつつ護衛も務めるという生活を始めた。
時が経つに連れて徐々に傷が癒え、痩せぎすった体が丸みを帯びていく。
そのことをはたから見て嬉しく思いつつ…ただ1つだけ、気になることがあった。それは、相変わらずルークが心を開いてはくれないということ。
彼の生い立ちを考えると仕方が無いと理解はしているものの…看過はしたくない。
かといって、その解決策を思いつくことができないでいた彼女は、その日 も護衛へと城へ向かいつつ悶々と悩んでいた。
…その、帰りのことだった。
役目を終えた彼女は、市場へと目ぼしい食材を買いに行っていた時…ふいに、鴉が裏路地に集まっていることに気がつく。
…何で、あんなに集まっているのでしょう?と気になった彼女が見てみると、そこには、生まれたての赤子がいた。
「…え?」
その赤子は、弱りつつも確かに生きている。
大方、産み捨てられたその赤子を狙って鴉は待機していたのだろう。
…ゾッとした。
もし仮に自分がそこを通りかからなかったら…の赤子は人知れず息絶えていたのかもしれないのだから。彼女は悩む間もなくその子を抱いて、教会へと帰った。
途中、ルークがどんな反応をするのか気にならなくもなかったけれども…それよりも、今は消えかかっている命の方が遥かに心配だった。
彼女は教会に帰ると、これまた強引に彼にその赤子を紹介する。けれどもルークは怪訝そうにしつつも、その赤子をしっかりと受け取った。
そして、その赤子に向かって…微笑んだのだ。
それは、彼女が始めて見た…彼の心からの笑み。
“温かいな…”
そう、彼は呟きながら。
その笑みと言葉に、彼女は泣きそうになった。
言葉にならない、切なさや哀しみ、愛おしさが彼女の胸を掻き毟り…それらの気持ちが、涙となって溢れそうになる。
今まで、彼にとって人とは敵でしかなかった。心を開くどころか、側に近寄ることすら警戒していた。けれども…今の彼は、その繋がりを感じてくれている。人の温かみを、尊さを肌で感じている。
それが自分のことのように嬉しくて…それまでの彼の環境を思えば切なさを感じていたのだ。
彼女は涙を流すことを堪え、その光景を目に焼き付けようと思っているかのように、その様子を見守り続けていた。
…この日。彼らは、確かに“家族”となったのだ。




