己の欲するところを人に施せ
そうして意識を失い、次に目が覚めた時に身体に巻きつけられていたのは、予想に反して奴隷用の鉄の鎖ではなく、真っ白な包帯だった。
慌てて起き上がろうとすると、それを柔らかな手が押し留める。
「急に起き上がってはダメですよ。まだ傷は癒えてないのですから」
聞いたこともない柔らかな声音に、益々混乱した。
「…ここは?」
「ここは北区にある教会で、私はシスターをさせて頂いております」
首を回せば、その柔らかな声音の主…40代後半ぐらいの女性が座っていた。
「…教会?シスター?」
「教会とは、神様に祈りを捧げる場所。神様は、人を導き助けます。そして私はその神様のお助けをする者です」
「ふーん……。で、なんで俺を助けた?」
ギロリと、威嚇するように彼はシスターを睨む。
その瞳は、如実に敵意が見られた。
「私は貴方をどうこうするつもりはありません。どうか、警戒を止めて頂けませんか?」
困ったように笑いながら、シスターは言った。けれども、彼の瞳からは未だその威嚇が取れない。
しばらく見つめあった後、シスターは諦めたようにため息を吐いた。
「…どうして貴方は人の物を盗ろうとしたのですか?」
「どうして?どうしてって…なんだよ?」
予想外の質問に、ルークはキョトンと首を傾げる。
「人の物を盗ることは、悪いことです。やってはいけません」
「…やってはいけない?なんで?じゃあ、どうしたら飯を食えるんだ?」
今度は、シスターがキョトンと首を傾げる番だった。
「お腹が空いたから、飯を食う。飯を食うために、取る。それのどこが悪いんだ?」
「それは…」
「さっきあんたは、神様っつう奴は人を助けてくれるって言ってたよな?」
シスターは、無言で頷く。
「けれども、俺を助けてくれる奴なんて誰もいなかった。なら、自分でどうにかするしかねえじゃん」
そこまで喋って、ふと自分にしては珍しく長話をしていると思った。…これ以上ここにいたところで、腹の足しにはならない。それに、得体の知れない者の側に長くいることなど危険以外の何物でもないだろう。
そう結論付けたルークは、今度こそ起き上がった。そしてベッドから降りると、ふらりふらりと出口と思わしき方へと歩き出す。
「…待って下さい」
「……何?」
シスターの言葉に、警戒しつつも足を止めた。
「ご飯を食べませんか?」
その言葉に、彼は一瞬思案する。物凄く、お腹は空いている。けれども、これ以上得体の知れない何かと関わるのは気が引けた。
「お腹、空いていますでしょう?傷も癒えていませんし。ほら、無理に立ち上がらないでここに座って下さい」
けれども、ルークは動かない。
「心配いりません。先ほど申しました通り、貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
そう言ってにこりと微笑むと、そっとルークに手を伸ばした。彼はといえば、その笑みを驚いたように固まって見ていた。というのも、今までこの様な笑みを向けられたことなどなかったからだ。
存在を無視されるか、汚いものを見る様な視線を向けられるか…はたまた、品定めをするかのように観察されるか。
けれども、この時のシスターはそのどれでもなかった。満ち足りた、優しい笑顔。結局、彼はその笑顔と傷の治療に絆されて、シスターの指し示す場所に腰を降ろした。
シスターは笑みを深めると、ベッドのサイドテーブルに置いてあった食事をルークの前に運ぶ。そして、毒味だと言わんばかりに自らが一口食べると、それを彼に差し出した。
「さ、これを食べて下さい。それから、ゆっくりと休んで傷を治しましょう」
「なんで、こんなことをする?」
「私は、シスターですから。でも、そうですね。その前に、貴方を助けたいと…そう思ったからなのかもしれません」
「……?」
要領の掴めない言葉に、益々ルークは困惑した表情を浮かべた。
「私も、上手く説明できません。ただ、そう思ったから…それだけなのです」
「…意味が分からない」
「それで良いですよ。さ、食べて下さい」
…ルークは迷いながらもそれを口にした。記憶の中では、初めて食べる温かいご飯。気がついたら彼は、それを貪るように…泣きながら食べていた。




