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いととり  作者: AtoRei
第一章 十五・秋

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3/5

3.【夕】〜シュレディンガーの棺〜

【夕】


 駅前へ向かう人の流れから外れ、私は交差点を左へ曲がる。

 あっちの道の先では今頃、みんながガスタで和栗のパフェを食べているのだろう。


 ……やっぱり、行けばよかったかな。


 だめだめ。

 頭を横に振り、歩く速度を少しだけ上げる。

 歩き慣れた道を足早に進むと、やがてコミュニティセンターが見えてきた。

 最近の九月は、夕方になっても暑い。黙って歩いているだけなのに、制服の背中がじんわりと汗ばんでいた。


 自動ドアが開く。

 足元を撫でる冷房の風が気持ちよくて、私は小さく息を吐いた。


 図書館は、今日も静かだった。

 カウンターの女性が、私に気づいて顔を上げる。


「こんにちは」


 私は軽く会釈だけを返し、そのまま奥の閲覧用パソコンへ向かった。 


 空いていたのは、いつもの席だった。

 椅子へ腰を下ろし、周りに人の目がないことを確認すると、汗ばんだセーラー服の襟元を指でつまんで、ぱたぱたと風を送り込む。冷房の空気が背中まで通り抜けて、ようやく人心地がついた。


 パソコンの電源を入れる。


 セーラー服って、夏は本当に暑い。一枚脱ぐわけにもいかないし……。


 画面が立ち上がるまでの間に、鞄からタイトルのないノートとクリアファイルを取り出した。


 開き癖のついた最初のページには、三年前から変わらない一文が残っている。


 『十二月十八日、午後七時十二分。市道八号線、宮坂交差点(みやさかこうさてん)


 父が事故に遭った場所と時刻だった。


 勤め先から自宅へ帰るなら、駅の東口へ向かえばいい。宮坂交差点は反対の西口側なのだから。


 母に聞いても、近くに用事があったのだろうと言うだけだった。警察から返された鞄にも、理由を示すものは残っていない。


 私は何度も入力した父の名前と日付を、今日も検索欄へ打ち込んだ。


 表示されたのは、見慣れた短い記事だった。


 『市内の交差点で、電気工事士の雨宮(あめみや)直哉(なおや)さん(二十九)が車にはねられた。病院へ搬送されたが、その後、死亡が確認された。』


 場所、時刻、父の名前。


 書かれているのは、それだけだ。


 関連記事も、事故当時の記録も、三年間で調べられるものは一通り調べた。それでも、父がなぜあの交差点にいたのかは分からない。


 今日も収穫はなかった。

 記事を閉じようとして、指が止まる。


 ――病院へ搬送されたが、その後、死亡が確認された。


 何度も読んだ一文だった。


 病院へ運ばれた。

 母が連絡を受けた。

 葬儀が行われた。


 線香の匂いも、読経の声も覚えている。

 火葬場で棺が運ばれていくところも。


 けれど。


「……あれ」


 棺の中にいる父の顔が、思い出せない。


 違う。


 忘れたんじゃない。


 私は、()()()()()


 冷房で乾きかけていた背中の汗が、急に冷たくなった。


 事故の傷がひどかった。

 そう説明されて、十二歳の私は納得したのかもしれない。


 でも、誰に説明された?


 母に。

 親戚に。

 葬儀場の人に。


 何も思い出せなかった。


 私は三年間、父が事故現場にいた理由を調べてきた。


 事故そのものを疑ったことはない。


 新聞に名前が載っていた。

 葬儀も行われた。

 母も、父は死んだと言っていた。


 それなのに私は、父の死を一度も自分の目で確かめていない。


 胸の奥で、これまでとは違う疑問が形を持った。


 あの日、父はなぜ宮坂交差点にいたのか。


 それだけではない。


 あの日、事故で死んだのは、本当に父だったのか。


 私は記事を印刷した。

 手元を見なくてもできる作業なのに、用紙を取り出す指が一度滑った。


 帰り際、カウンターの前を通る。


「……お疲れさまでした」


 女性が、いつものように声をかけてくれた。

 私はまた、軽く頭を下げるだけで図書館を出た。


 外はもう暗くなり始めていた。

 帰り道、ガスタの前を通る。

 大きなガラス窓の向こうでは、制服姿の学生たちがテーブルを囲んでいる。

 女子たちが運ばれてきたパフェを見て声を上げ、一斉にスマートフォンを向けていた。


 細く絞られた栗のクリーム。

 真ん中に乗った、大きな渋皮煮。


 ……おいしそう。


 足が止まりかけた。

 けれど、クリアファイルを抱く腕に力を入れ、そのまま通り過ぎた。

 窓の向こうへ一度だけ目をやり、私は家への道を歩き出した。


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