2. 【昼】〜和栗のモンブラン〜
十五・秋
【昼】
放課後を告げるチャイムが鳴る。
号令係の「起立、礼」の挨拶でホームルームが終わると、担任は「体調管理も受験のうち」と、ありきたりな台詞を残して教室を出ていった。
一気にクラスがうるさくなった。
鞄のファスナーが閉まる音、椅子が床を擦る音。教室のあちこちで、クラスメイトたちが制服の襟元をぱたぱたとあおぎ始める。
うちの学校にはエアコンがない。
学校祭が終わったというのに、窓から流れ込む九月の風は、まだあの日の熱気を抱え込んでいるみたいだった。
それとは対照的に、教室の話題はすっかりピリついたものに変わっていた。
――模試どうだった?
――志望校もう決めた?
――今日も塾?
受験。
そんな言葉ばかりが、毎日教室を飛び交っている。
なんだかその言葉は、私のずっと遠くで鳴っているみたいだった。私も一応、受験生なんだけど。
帰り支度をちゃっちゃと済ませて、今日も駅前の図書館へ行く。
それが私の放課後の日課だった。
「よっ、環」
まただ。
気づけば、今年から同じクラスになった朝倉晴人が私の机に寄りかかっていた。
この人、いつの間に来たんだろう。
いつもの事ながら、気配すら感じなかった。
「問題です」
「何」
「駅前のガスタ。九月から始まった期間限定フェアといえば?」
「知らない」
「ぶぶー」
勝ちを確信した声だった。
「正解は、和栗でした」
……和栗。
私は、うかつにも顔を上げていた。
目が合った瞬間、晴人が得意げな表情を作ってみせる。
完全にしてやられた。
「環は、栗がお好き?」
「……」
私が?
まったく誰に言っているの。
洋菓子屋さんへ行けば、迷わず和栗のモンブランを選ぶ。
しかも二個。
そんな私をつかまえて、「栗がお好き?」なんて。
愚問にもほどがある。
私の頭の中にはすでに、行きつけの洋菓子屋さんのショーケースが浮かんでいた。色とりどりのケーキがずらっと並んでいて、モンブランはいつも右から三番目に置かれている。
「その顔」
晴人は満足そうに私を指さしていた。
「何」
「行きたい顔になってる」
「なってない」
「今からみんなで行くけど」
晴人が教室の後ろを親指で示す。
そこには、いつもの四人がいた。
女子たちがスマートフォンを囲んで騒ぎ、男子が「早く行こうぜ」と笑っている。気づけば、教室の輪はいつもあそこから広がっていた。
「和栗のモンブランパフェだって!」
「え、絶対食べる! 超美味しそうじゃん!」
……栗のモンブラン。しかも、パフェ。
追い打ちまでかけてくるなんて、ずるい。
そんなの聞いたら食べたくなるに決まってる。
気づけば制服の裾をぎゅっと握っていた。
……反則だ。
一年生の頃の晴人は金髪で、手の付けられない荒くれ者だったらしい。
クラスの中心で笑っている今の晴人とは、どうしても結びつかなかった。
そんな彼に話しかけられると、心無しか周りの女子の視線が痛い。
「一緒に行こう」
そう口にした晴人は私の顔を一瞬だけ見て、言葉を続ける。
「……みんなで」
くだらない話をして。
甘いものを食べて。
「帰ったら勉強しなきゃ」なんて言い合って。
そういう放課後が、きっと普通なんだ。
少しだけ……ううん、本当は結構行きたい。
「……ごめん」
鞄を肩に掛ける。
「今日も行くとこあるから」
「……また図書館か?」
胸が少し痛んだ。
駅前までは、きっとみんなと同じ道。
でも、ガスタと図書館で道は分かれる。
みんなは栗のパフェを食べながら、志望校の話をする。
私は今日も、駅前の図書館で古新聞のデータベースを開く。
あの日の真相を探すために。
私には、私のやるべきことがある。
「そっか」
晴人は笑った。
いつも通り、それ以上は聞いてこない。
「じゃあ、栗フェアが終わる前に捕まえる」
「捕まえるって」
「逃がさない」
思わず笑いそうになった。
……その約束は、できないけど。
「またね」
「うん」
晴人は友達に呼ばれ、「今行く」と手を上げて教室を出ていく。
笑い声も一緒に遠ざかった。
私は静かになった教室で鞄を持ち直す。
校門を出ると、晴人のグループが駅前へ向かって歩いているのが見えた。
私はわざと時間をずらして、その流れから外れた。
駅前までは、みんなと同じ道だから。
和栗のパフェも、きっと私を待ってはくれない。
そう思っても、「期間限定」の四文字だけは、最後まで頭から離れてくれなかった。




