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第5話 残り湯についての科学的見地

 莉々華さんが缶チューハイを高らかに掲げた。


「星那ちゃんの歓迎に……かんぱーい!」

「はい、かんぱい」

「乾杯でございます、お姉さま」

「か、乾杯……」


 僕は未成年なので勿論ジュースだ。あと、琴もジュースだった。何となく同い年くらいかなと思っていたけど、その予想は当たっていたのかも。


 テーブルにはスーパーのお惣菜やお寿司、豪華な揚げ物のオードブルが並んでいた。澄夏さんが買ってきた大量のビールと缶チューハイがテーブルの半分を占領し、僕の隣はいつの間にか着物に着替えた琴が占領していた。部屋着が着物って……この子は一体どの時代から来たんだろう。


「星那って福島出身って言ったっけ?」


 澄夏さんがビールを片手に聞いてくる。


「はい、めちゃくちゃ田舎です」

「やっぱそうなんだ。でもさ、日本酒が美味いよね」

「そうなんですか?」

「あ、未成年だから知らないか」


 澄夏さんがカラッと笑う。澄夏さんの中に「未成年は飲めない」って法律はないんだろう。今飲んでいるビールの缶にも『お酒は二十歳になってから』って書いてあるはずなんだけど。


「星那ちゃん、東京は初めて?」


 莉々華さんがお寿司をつまみながら聞いてくる。


「修学旅行で国会議事堂とか行ったくらいで、ほぼ初めてです」

「そっか。分からない事あったら何でも聞いてね? 私たちもう長いから」

「ありがとうございます」


 素直にそう返すと、莉々華さんは嬉しそうに「えへへ」と笑った。こういう人がいるだけで、新天地での不安が薄れていく。本当にありがたい。


「お姉さま、こちらをどうぞ」


 気づいたら、琴が僕の皿にお寿司を並べていた。しかもネタごとに綺麗に整列させている。


「あ、ありがとう……でも自分で取れるよ?」

「お姉さまにそのようなことはさせられません」

「ジュースも注いでくれなくていいからね?」


 言った瞬間、琴の手が僕のコップに伸びていた。


「ていうか、琴、僕と同い年くらいだよね?」

「はい。琴も今年から大学生になります」

「えっ、大学どこ?」


 琴の大学は、なんと僕と同じだった。


「……え、僕もなんだけど」


 琴が少しだけ目を見開いた。それから、ふっと表情を緩める。


「では、大学でも一緒ですね。お姉さま」

「大学でお姉さまはやめてね? 本当に」

「善処いたします」


 ねえ、琴。

 善処するっていうのはね、何もしないっていうのと同じ意味なんだよ?

 知ってて言ってる訳じゃないよね?


「琴ちゃんと同じ大学なんだ! よかったね、琴ちゃん。お友達がいると安心でしょ?」


 莉々華さんが嬉しそうに手を合わせる。


「はい……とても」


 琴が小さく頷いた。そっと、僕の袖を掴む指に力がこもった気がする。


「ほんと、星那ちゃんが来てくれてよかった。この家、もっと楽しくなるね」


 莉々華さんがにこにこしながら僕の皿に揚げ物を足す。琴はいつの間にかまた僕の腕にくっついている。澄夏さんはビールを傾けながら、ぼそっと「まあ、悪くないんじゃない」とだけ呟いた。


 ……あれ。

 すごく楽しい。楽しいんだけど、一瞬だけ、逃げ場がないような気がした。

 考えすぎかな。



「はぁ~……」


 思わず、声が漏れた。

 湯船に身を沈めた瞬間、全身の力が溶けるように抜けていく。今日一日の出来事が走馬灯のようにに頭を駆け巡るけど、とりあえず今はこのお湯の気持ちよさだけを味わいたい。走馬灯って死ぬ前に見るやつだっけ。まあいいや。


 朝、バスに揺られていた頃は普通の大学生活が始まるものだと思っていた。

 それがどうだ。気が付けば、綺麗な女性三人に囲まれて生活することになっている。字面だけ見たらラブコメの主人公みたいだけど、僕の場合は「男として」じゃなくて「可愛い女の子として」扱われているので、複雑な気分だ。


 ぼんやり天井を見上げていたら、ふと棚が目に入った。

 シャンプー、トリートメント、ボディソープ。その他の僕には分からない何か。それが三人分。色とりどりのボトルとチューブ類が棚を埋め尽くしている。さっきお風呂上りの莉々華さんとすれ違った時にふわっと香った甘い匂いの正体は、多分あの辺のどれかだ。


「……うぅ」


 ……そうか。ついさっきまで、この湯船に三人が入っていたんだよな。


 考えた瞬間、さっきまで天国だったお湯が急にむずむずして落ち着かなくなる。いや何も変わってないはずだ。お湯はお湯だ。物理的には何も変わっていない。温度も成分も同じだ。落ち着け。科学的に考えろ。


 莉々華さんが鼻歌を歌いながらシャンプーを泡立てている姿が浮かんだ。やめろ。

 

 琴が着物の帯をするすると解いている姿が浮かんだ。やめろ。


 澄夏さんが湯船の縁に組んだ足をかけて、涼しい顔でビールを傾けている姿が浮かんだ。やめろ。風呂の中でビールを飲むな。


 ……完全なる科学の敗北。人は結局、そういう欲求には勝てないのか。

 

 僕は湯船に沈んで、鼻の下まで浸かった。ぶくぶくと泡が立つ。落ち着け。何も考えるな。ここは僕だけの空間だ。今だけは誰にも邪魔されない、唯一の──


「星那ちゃーん、湯加減どう〜?」

「はいっ!?」


 心臓が、飛び出しかけた。いつの間にかドアの向こうに莉々華さんの気配あり。


「あ、ごめんね驚かせちゃった? あのね、星那ちゃん、シャンプーとかまだ買ってないでしょ?」


 ……言われてみれば、確かにそうだった。今日は到着してそのまま怒涛の展開だったから、日用品なんて買う暇がなかった。


「私のでよかったら使っていいからね? 棚の右端のピンクのボトルがシャンプーで、隣の白いのがトリートメント、その隣がボディソープだから」

「あっ、ありがとうございます。お借りします」

「うん。ドライヤーは洗面台の棚にあるから〜」


 莉々華さんの足音が遠ざかっていく。


「……めちゃくちゃびっくりした」


 心臓がまだバクバクしている。ドア越しとはいえ、さっきまで想像していた張本人に声をかけられるのは心臓に悪すぎる。


 僕は湯船からまろびでてピンクのボトルを手に取った。ポンプを押すと、甘い花のような香りがふわっと広がる。当たり前だけどさっきすれ違った莉々華さんの香りがして、それがもう色々とヤバかった。


 ……明日、自分のシャンプーを買いに行こう。

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