表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Myosotis 〜 過去は、まだ引き金を握っている 〜  作者: Bpch


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/31

6

柊音無はその問いにすぐ答えようとはしなかった。


もったいぶっているわけではない。その目はどこまでも澄んでいた。

問いをどう誤魔化すかではなく、どうすれば筋道立てて、漏れなく説明できるか――そんなことを考えているようだった。

尋問される側とは思えないほど落ち着いていた。

むしろ、この場を支配しているのは音無の方に見える。


「他にもありますか?」


「二つ目だ。お前はずっとMyosotisとして情報を届けてくれた。

その情報のおかげで、いくつもの事件の捜査を進められた。

お前の手がかりがあったからこそ、捜査一課に異動できたんだ。

だから今も、お前を切り捨てずにいる。 少なくとも……」


自分の犯した罪を自覚していると信じたい――だが、それを口にしても意味はない。

光は音無から視線を逸らした。


この瞬間、見透かされているのはむしろ自分のほうなのではないか――そんな気がした。

声が低くなる。


「なぜ急に公安と接触した? 俺以外にも、誰かと繋がっているのか?」


「なるほど。どちらも重要な話ですね」


音無は頷き、指先で傘の柄を軽く叩く。


「でも、ここでは話せません。通り沿いです。

何を言っても誰かに聞かれて、話が漏れてしまいます。

特に二つ目の質問は、ここで話すには不適切です」


「じゃあ、最初の質問に答えろ」


「わかりました。簡単に言えば、TrigonotisはStyxとは無関係かもしれません。

一方で、大場譲治がStyxの人間である可能性は極めて高い。ただ、断定はできません」


「断定できない? 大場譲治の写真は見せたはずだ」


「Styxはあまりにも規模が大きいんです。いちいち顔を合わせてはいられないんですよ。 ですから、写真の人物に見覚えはありません。しかし…」


「しかし?」


「しかし、協力したことがないとは限りません。

任務のやり取りや書類で、接点はあったかもしれません。

ですから、彼と接触していたTrigonotisに話を聞きたいんです。

今日僕が同行を決めた理由の一つでもあります」


「協力した人中で、縛りに興味がある奴はいたか?」


音無はほんの一瞬だけ黙り込んだ。


今日二度目だ。

一度目は首輪の話のとき。そして今度、SMの話だった。

優しいお兄ちゃんという仮面にひびが入った。

その隙間から、本当の音無がほんの一瞬だけ顔を覗かせた。


ひどく嫌な予感が光の脳裏をよぎる。


「…いました。ですが…」


「その連中の中に、お前――Myosotisに執着していた奴はいなかったのか」


光は音無の「ですが」を遮った。


今は話を逸らされるわけにはいかない。


「……」


「嘘はつくな」


「…います」


音無は完全に息が抜けたように見えたが、体をさらに引き締めた。


「ですが、その男は大場譲治ではありません」


「なぜだ」


「……その男はもう死んでいます。九年前に」


九年前。また九年前だ。

父が死んだ年と同じ――。


豪雨の後の空には、一片の雲すらなかった。

両脇のビルだけが、二人の顔に影を落としていた。


光はふと、今さらのように気づいた。


音無が、あの黒いヴァイオリンケースを背負っていない。


いつも影のように寄り添っていたあのケース。

十四の頃に出会ってからずっと、音無の一部みたいなものだった。


今朝だって、光に手錠をかけられ車へ押し込まれながらも、音無はあのケースだけは公安へ持っていくと言って譲らなかった。


音無がケースを手放せないのか。それとも、ケースが音無を縛っているのか。

二つは表裏一体で、Myosotisという謎そのもののようだった。


今、音無の背中には何もない。

その手には黒い傘。


斜めに伸びた影を見ているうちに、光は妙な錯覚を覚えた。

――音無が握っているのは傘ではなく、銃なのではないかと。


「……その男は、どう死んだ」


「僕が殺しました。WA2000で」


やはりか。


これほど恐ろしいことを口にしながら、音無の表情は再び凪いでいた。

昨日、ヴァイオリンケースの秘密を光にさらけ出した時と同じだ。

自暴自棄にも見える。

それでいて、どこか相手に委ねているようでもあった。


まるで中身を暴かれるのを待つ箱のようだった。


言い訳をするつもりも、取り繕うつもりもない。


ただ自分をさらけ出し、相手の前に差し出している。


そして光は、不幸にもその相手に選ばれてしまった。


――本当に、ずるい男だ。


「九年前に死んだ男が大場譲治であるはずがないでしょう。

状況はさらに複雑になってきたようですが。正直、僕にも何がどうなっているのか分からないんです」


「……」


まだ何も繋がっていない。

それでも、背筋に冷たいものが走った。

光は思わず背筋を伸ばす。


「何か見えてきましたか、光さん」


音無は小首を傾げた。


「少なくとも最初の質問には、僕の知っている限りのことを話しました。

この情報で大場譲治がStyxの人間か、どの部署でどの役割か分かれば、僕も楽になります。

何か思い当たることがあれば、ぜひ教えてください。

公安に協力する意味にもなりますし、今までどおりの協力関係の延長です」


「……」


「まあ、名探偵・光さんの推理がまとまる前に、まず食事にしましょう」


「食事?」


光はそのあまりに飛躍した話題転換に面食らった。


「お腹空いていませんか?僕らまだ何も食べていませんよ。

昨夜は散々殴ったでしょう。僕も相当痛い目を見ましたし、お互い消耗しているはずです。

何か腹に入れておきましょう。 今夜もまた殴りたくなった時に備えて」


「馬鹿なことを……」


指の関節が少し痛み、光は思わず親指でさすった。

どういうわけか、音無が父親だけでなく、その男も殺したと聞いても、強い嫌悪感は湧かなかった。

胸に引っかかったのは、別のことだった。

相手がプロの殺し屋だと知っていたから、ある程度の覚悟ができていたのか。


それとも――音無に興味を持っていたその男が、すでに……


「……行こう」


光は考えるのをやめ、まず腹を満たすことにした。

これだけの情報では何も見えてこない。

午後には小林主任たちとも合流する。


捜査とは何度も往復し、一見関係のない手掛かりを追い続けるもの。

光は現場で二年ほど勤務し、この現実をよく知っていた。


「よかった」


音無はほっとしたように傘を片側にしまった。


「正直、僕もそろそろ限界です」


「限界だと?スナイパーなら、標的を待つために何時間も同じ場所に潜んで、ろくに飲み食いもしないのが当たり前なんじゃないのか」


「そうなのですが、なにせStyxはこんなものを僕に付けたりしませんからね」


音無は再び苛立たしげに、電子首輪をぐいと引っ張った。


「問題を起こさなくても、定期的に身体が動かなくなる薬を打たれるんです。筋弛緩剤か何かで。人体には無害だそうですが、殺人犯の身体なんて気にする価値もないんでしょう。」


光は足を止め、音無を見た。


「そこまでするのか」


「当然でしょう?

一緒に行動していて突然暴れたら、あなた、泉上光警部を殺してしまうかもしれません。

僕はStyxのMyosotis。SSS級のスナイパーで殺し屋です。前歴もあります。

光さんの父、泉上一警視正にも手をかけました」


音無の口から父親の話が出た瞬間、光の目尻がぴくりと引き攣った。


「それにしたって……人道的じゃないだろ。

お前は今、司法取引の対象みたいな立場じゃないのか。

そうじゃなかったとしても、最低限の人権くらい――」


音無は何も返さなかった。

この話を続けても意味がないと思っているようだった。


「だから聞いてるんだ。なぜわざわざ自分をこんな立場に追い込んだ?

俺の前に現れて殴られ、身体を制御される首輪。」


「僕は取り返しのつかないことをしました。罰せられるのは当然でしょう」


「だが、九年前の事件は未解決のままだ。

お前が身を隠していれば、Styxで十分やっていけたはずだ。

それとも、Styxにいられなくなったのか?

SSS級なんて呼ばれてる男が、組織でやっていけなくなるとは思えないがな」


音無は光を見た。


「…それで?」


「九年前、父が死んだあの日、何があった?

Styxはお前にどんな命令を下した?誰がやらせた? お前は今――」


――まさか、俺に償うためにここへ来たのか。


それ以外に説明がつかなかった。


「それは、今追っている大場譲治の件と関係があるんですか」


「あります。必ず関係している」


音無はようやく笑った。


今日初めて見せる、心からの笑みだった。


その笑みに、光の心臓がほんの一瞬だけ止まった気がした。


――あまりにも似ていたのだ。


十五の時だ。


音無が光の告白を受け入れた、あの日。


あの時も、凪いだ氷の殻がほんの少しだけ溶けた。

その下から覗いたのは、驚きと――今にも泣き出しそうな優しさだった。


「質問が増えてきましたね。一度にそんなに聞かれても困りますよ。 まずは食事にしましょう」


「ごまかすな」


「本当ですよ。もう歩くのもきついんです。朝から二回も打たれてますし。

Styxで鍛えられて耐性はありますが、それでもさすがにこたえます」


「……つらいのか」


「痛くはありません。ただ……気持ち悪いんです」


音無の声が沈んだ。

傘を広げ、腕を伸ばして光の頭上まで差しかけた。


「何をする」


「日除けです。随分熱心に話していましたからね。

汗をかいていますよ。ハンカチは持っていませんが」


光はひったくるように傘を奪い取り、今度は音無の頭上へ差しかける。


その時だった。


腕時計の革ベルトの下に隠れていたものが、ふと目に入った。


汗で蒸れた皮膚の上を走る、一本の白い傷跡。


自分が付けたものではない。


誰が縫ったのかも分からない、真っ直ぐな古い傷だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ