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泉上光が電装屋に駆けつけた頃には、通り沿いの店はほとんどシャッターを下ろしていた。
ただ一軒、色褪せた看板を掲げた小さな修理店だけが、半分ほどシャッターを開けたままになっている。ショーウィンドウには年代物の電装部品が所狭しと並んでいた。
「失礼します」
声をかけ、身をかがめてシャッターをくぐった。
店内は狭く、部品や工具であふれていた。雑然としているようで、どこに何があるのかはきちんと把握されているらしい。
壁一面の棚には、取り外された古いカーナビが所狭しと並んでいた。DENSO、Carrozzeria、ALPINE――改造車好きなら誰もが知っているブランドばかりだ。中には薄く埃をかぶったものも混じっている。
作業台の前では、寝癖だらけの年配の職人が腕を組んでいた。その向かいで、柊音無がしきりに頭を下げている。
足元には、黒いヴァイオリンケースが立てかけられていた。
「夜分遅くに、本当に申し訳ありません……」
「いいっていいって。運がよかったな。うちにはまだ昔使ってた機材が残ってる。それに――」
そこで店主は入口の人影に気づき、老眼鏡越しに光を見据えた。
「おい、お前さんも修理か?もう閉店だぞ。続きは明日にしてくれ」
「い、いや……」
光は慌てて手を振った。
「ハードディスクの件は、俺が頼んだんです」
「なるほど。また厄介な客が来たのかと思ったよ」
店主は鼻を鳴らして作業台へ座り直すと、マウスを軽く動かした。眠っていた画面がふっと明るさを取り戻す。
「今夜はやけに賑やかだな」
作業台には、むき出しのハードディスクが置かれていた。銀色の筐体から何本ものケーブルが古びたパソコンへ伸び、静かな店内に冷却ファンの低い唸りが響いている。
「板金屋はナビユニットを外しただけなんだよ」
店主は画面を操作したまま、振り返ることなく続ける。
「ナビはもう死んでる。でもハードディスクはまだ生きてる」
そう言って、店主は作業台のハードディスクを軽く指さした。
「読めるうちに中身は丸ごとコピーしておいた。ほら、自分で見てみろ」
光はすぐに画面を覗き込んだ。白い光がその横顔を照らした。
フォルダには「走行履歴」と「検索履歴」が並んでいる。
「復旧できたのは、ここまでだ」
光は深く息を吸い込み、店主へ深々と頭を下げた。
「……本当に助かりました」
「光さん、USBメモリはお持ちですか」
音無が遠慮がちに尋ねる。
光は慌ててポケットを探った。鍵、スマホ、財布。尻ポケットから出てきたのは、レシートと期限切れのスクラッチくじだけだった。
「あぁ……」
思わず情けない声が漏れた。
音無も気まずそうに目を逸らした。
店主は大きくため息をつき、作業台の引き出しから黄ばんだUSBメモリを取り出した。
ほどなくコピーが終わり、店主はUSBメモリを抜いて光へ差し出した。
光はすぐには受け取らず、作業台のHDDへ目を落とした。
「……元のほうは?」
「読み出しが終わってからは、一切書き込んでない。安心しろ」
それを聞いて、光はようやくUSBメモリを受け取った。
二人はもう一度頭を下げると、連れ立って電装屋を後にした。
背後で、店主が客を追い立てるようにシャッターを下ろした。夜道に響く大きな音に、二人は揃って振り返った。
「あの親父、一体何者なんだ……」
「山下さんですか。情報官だった頃に世話になった修理屋ですよ」
「はあ!?あの人もStyxの人間なのか?あちこちに関係者が出てくるけど、世界征服でも企んでるのかよ」
「まさか。ただの一般人ですよ」
音無は光をちらりと見て、口元に笑みを浮かべた。
「スナイパーから情報官に移ったばかりの頃、班の連中から嫌がらせを受けましてね。ノートパソコンに水をかけられたり、報告書の提出前にデータを消されたり。そんなことがしょっちゅうあって、あの頃は本当に参りましたよ」
光はしばし黙り込んだ。
「……とんでもない組織のくせに、身内で足を引っ張り合うところだけは、妙に子供っぽいんだな」
「ええ。人が集まれば、くだらない争いはどこにでも起きます。Styxも例外じゃありません。当時の僕はまだ十六、七でしたし、SSS級のスナイパーからD級の情報官へ移ったばかりでしたから」
二人は街角を曲がった。
街灯をくぐるたび、二人の姿は光と影を行き来した。
両側の民家はほとんどが灯りを落とし、数軒の窓からぼんやりとした明かりが漏れているだけだった。
「データのほうは無事でしたが、パソコンに入っていた専用ソフトだけは戻せませんでした。あれはライセンスや認証がないと再インストールできないんです。だからノートパソコンを抱えて、一軒一軒修理屋を回りました。何軒も断られて、最後にたどり着いたのがあの店でした」
「Styxで直さなかったのか?」
「もちろんできました。でも、その必要はなかったんです。こんなことで組織を頼るようでは、自分の負けだと思っていました。それに、また同じことがあった時、自分でどう対処すればいいのか知っておきたかったんです」
そう言いながら、音無は光へ顔を向けた。
「それに、あの親父さんは口こそ悪いですけど、根はいい人なんです。途方に暮れていた僕を見かねて、悪態をつきながら直してくれました。対処の仕方まで教えてもらいましたよ」
「ていうか、殺し屋だろ。ああいう連中なら、やり返せばよかったんじゃないのか?」
「そうもいきません。Styxでは同僚を殺すことは禁止されているんです。処分は……かなり重いですよ」
重い処分――。
光の目が、音無の右手首へ吸い寄せられた。
二人はまたしばらく無言で歩いた。
街灯がひとつ、またひとつと背後へ遠ざかり、二人の影を長く引き延ばしていった。




