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Myosotis 〜 過去は、まだ引き金を握っている 〜  作者: Bpch


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どうしても光と音無の二人と話がしたい——Trigonotisはそう言って譲らなかった。


とはいえ、正直なところ光はもうかなり眠くなっていた。音無にしたって、どこかぼんやりしている。いつもの余裕を感じさせる穏やかな表情は影を潜め、白目にはうっすら血の糸が浮いていた。


それでもなんとか意識を保っている。


というより、そうせざるを得ない状況だった。理由は——


Trigonotis、もとい佐藤太郎が音無の腕にぎゅっと抱きついているのである。


音無はどうやら人と必要以上に触れ合うのが苦手らしい。

「助けてください。この子を引き剥がしてください……」

とでも言いたげな視線を何度も光へ向けてくる。


だが、光はことごとく無視した。

ちょっとした仕返しのつもりだった。

珍しくおろおろしている音無を眺めながら、光はどこか愉快な気分になる。

胸の奥にわずかな痛みが走ったが、意識的にその感情を押し込めた。


それぞれに思うところを抱えたまま、三人はローソンの前までやって来た。

そろそろここで別れる頃合いだろうと、光と音無は揃ってTrigonotisを見る。


だが、Trigonotisはそれでは満足していなかった。


怖い目に遭ったばかりだからか、それとも本当に話したいことがあるのか。

ガラス越しに店内のイートインスペースへ視線を向ける。


「Trigonotisくん、何か話があるなら続きは明日にしませんか。連絡先はお渡ししますので」


音無は穏やかな口調でそう提案した。


Trigonotisは困ったように唇を噛み、潤んだ瞳で音無を見上げる。


「一晩だけ、一緒にいてくれない?」


「一晩中ってことですか!?」


音無が思わずそんな声を上げたものだから、光は吹き出しそうになり、慌てて咳払いでごまかした。


このままではさすがに見ていられない。

そろそろ助け舟を出そうとした——そのとき。


「……」


Trigonotisがぽつりと口を開いた。


「あたし……お店に帰れないんだよねぇ。もともと、あのオジサンと泊まる約束だったから……なのに、あのオジサンが……」


うつむき、足元の小石を蹴った。


「……とにかく、今戻ったら店の人に色々聞かれちゃうし。

適当に嘘つけばいいんだろうけど、なんかそういう気分でもなくて」


要するに、客と個人的な関係になっていることを店に知られたくないのだろう。


音無は何も言わなかった。うっすら同情の色さえ浮かべている。

ただ、光には、音無が何を考えているのか手に取るようにわかった。


ああそういう事情なんですね、でもそれと僕たちは関係ありませんよね、とにかく早く離してください。


——きっとそんなところだ。


昔からそういう男なのだ。

誰にでも優しく穏やかなのに、芯のところに妙に頑ななものがある。

時折、ぞっとするほど突き放した顔を見せることもある。

そういうちぐはぐさに、当時の光は惹かれたのだった。


「まあ、あんなことがあったんだ。不安になるのも当然だよ。

それなら、さっきの署に戻るか?少し休めるよう話は通しておくし、同僚にも伝えておく。そのほうが安全だ」


ようやく光が口を開いた。


Trigonotisは黙り込む。どうやら彼はただもう少しだけ音無にくっついていたいらしい。

光は必死に口元を引き締め、音無のほうもついに観念したように肩を落とした。


「……では、僕がTrigonotisくんに付き添います。光さんは先に帰ってください」


冗談じゃない。


光は何も言わず、自分の首を指さし、それから音無の首輪を示した。


その意味は明白だった。


音無は眉間を揉む。


Trigonotisの腕をそっと緩めさせると、光と二人で青年から少し距離を取った。

深く息を吐き、背負っていたヴァイオリンケースを下ろして光に差し出す。


「なんだよ」


「ケースを預かってください。これなら僕がTrigonotisに何かする心配もないでしょう」


「馬鹿言うな。

さっきだって素手で取り押さえようとしてただろ。ちゃんと見てたぞ。

それに、お前そのまま逃げたらどうする。

……いや、むしろ俺を出し抜くつもりか?

俺を引き離して、その間に何かするつもりだったりしてな。

Trigonotisがお前の仲間なんじゃないかって気までしてくるよ。

MyosotisにTrigonotis、名前も似てるし。」


「そんなわけないじゃないですか……」


音無は困ったように額を押さえた。


「……じゃあ、どうしろと?」


「署に送って警察に預ける。聞きたいことがあるなら明日こっちから会いに行く。お前は俺と一緒に帰るんだ」


光は音無の首輪へ視線を落とした。


「お前も疲れただろ。さっきも反応してただろ、その首輪。一晩でいろいろありすぎた」


音無は黙った。

そっと手を伸ばして光の腕に触れた。


「なんだよ」


「このあと、僕とTrigonotisの間にいてもらえませんか」


光は思わず吹き出した。


「ずいぶん懐かれてるじゃないか。月夜に現れた救世主様ってやつだな。

まあ、そういうのにときめく気持ちはわかる。」


「からかわないでください……」


「自分でなんとかしろ。俺は知らん」


「……」


そんなやり取りをしているうちに、二人はTrigonotisのもとへ戻った。

Trigonotisも二人の様子から結論を察したらしい。

店に戻って根掘り葉掘り聞かれるくらいなら、警察署で一晩過ごしたほうがまし。

青年はしょんぼりと肩を落とし、もう一度音無の腕に抱きつこうとした。


その前に、光がさりげなく二人の間へ入る。


音無は思わずその背中を見た。

光は振り返らない。


「行こう」


Trigonotisへ顎をしゃくってみせた。


「話は明日にしよう。俺のほうから店に行く」





アパートに戻ってきた。

配属以来、これほど濃い一日はなかった。

刑事なんて元々走り回る仕事だが、それにしたって今日は色々ありすぎた。

二丁目、廃ビル、屋上の狙撃ポイント。

そして、突然現れた拳銃持ちの男。

何より、ずっと隣にいるこいつ――音無。

知れば知るほど、わからなくなる男だった。


ともかく、光は寝ることを最優先にすると決めた。

これ以上考えたら頭がおかしくなりそうだった。

そう自分に言い聞かせながら鍵を差し込み、扉を開ける。


音無はおとなしくその後ろについてきた。


照明をつけると、部屋の中は相変わらずの惨状だった。

散らばった灰、乾いた血痕。


そして、畳の上に放り出されたままの端末。

――もう必要ない。

手がかりを送り続けていた相手なら、もう後ろにいる。


部屋のあちこちに昨夜の騒動の跡が残っている。

目を逸らすわけにもいかない。光は思わず気まずそうに顔をしかめた。

とはいえ、自業自得だ。


「……風呂入ってくる」


光はそれだけ言い残すと、さっさとバスルームへ逃げ込んだ。


ドアの向こうに光の背中が消えるのを確認して、音無はようやく息を吐く。

ゆっくりとヴァイオリンケースを床に置き、それから左腕をぎゅっと掴んだ。

ついさっきまでTrigonotisに触れられていた場所だ。


音無は歯を食いしばる。


まるで腕ごと引きちぎろうとするかのように、執拗に擦り続けた。

腕が赤くなるほど擦り続けて、ようやく手が止まる。

だが、自分の行動が行き過ぎていると気づいたからではない。

高まった心拍を首輪が検知したのだ。

電流か、薬剤か。制御のための処置が始まる、その予兆に気づいたからだった。


音無はぎゅっと目を閉じ、深く息を吸った。

必死に鼓動を落ち着かせる。

スナイパーとして叩き込まれた基礎が、こんなときに限って役に立つ。

なんとも皮肉なものだ。


畳に膝をつき、昨夜散らかったままの部屋を片付けはじめた。

勝手なことだとはわかっていたが、物を整理しているうちに少しずつ気持ちが落ち着いていった。

バスルームから水音が聞こえてくる。


光はもうちゃんと湯に浸かって息をつけているのだろう。


がんばらなくちゃ。

すべての真相を解き明かしてくれたら、そのあとなら僕を殺してもかまわない。


――違う。殺してもかまわないじゃない。


必ず殺してほしい。


そう思いながら、塩を少し撒き、流し台に置かれていた歯ブラシを手に取った。

事件のことを考え込むあまり、光がうっかり灰皿をひっくり返して慌てる姿を想像すると、少しだけ気持ちが落ち着く。

さっきまでざわついていた首輪もようやく静かになり、青いランプも呼吸に合わせるように明滅している。


音無は畳の隙間に入り込んだ煙草の灰を歯ブラシで丁寧にかき出していく。

ふと顔を上げたとき、棚の上に置かれた小さな茶色の写真立てが目に入った。

この殺風景な独身部屋のなかでは、数少ない彩りだった。


それは、泉上一の写真だった。


音無の指が止まる。


――そういえば、自分は光の父親の顔を知らない。


一度も会ったことがなかった。


当時の任務資料に添付されていた写真は意図的にぼかされていたし、恋人同士だった頃も家族に紹介されることはなかった。


音無のほうにも会わせる家族はいなかったから、その話題になることもなかった。

一方の光は、相手が男だというだけで頭の固い親父に怒鳴られると思っていたらしい。


「バレたら親父に蜂の巣にされる。俺の命が惜しいからな、今はやめとくわ」

そんなことを言っていた。


当時の音無は光の父親が警察だったことすら知らなかった。

だから、ただ笑っていた。

光の話を聞いているだけで嬉しかったからだ。


音無は立ち上がり、写真立てを手に取った。

そこに収められていたのは一目で継ぎ接ぎだとわかる写真だった。

泉上一は警察官の制服を着ている。

だが、写真の左側だけが破り取られていた。

その空白を埋めるように、光自身の制服姿の写真が差し込まれていた。


音無はしばらく、継ぎ接ぎにされた父子の写真を見つめていた。

右手にはまだ歯ブラシが握られていて、知らずに指先に力がこもった。

口元や顔立ちはよく似ている。目元や鼻はそれほど似ていない。


なぜ、この写真は破られているのだろう。


「先に出たぞ。風呂入れるからお前もさっさと入って――何見てるんだ」

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