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冷徹軍医の最愛嫁~無能の妻は、夫の愛に気付かない~  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第十一話

「その話、詳しく聞かせてもらおう」


 千鶴を疑う小夜の言葉に続いて聞こえてきたのは、威圧感のある低音だった。

 ばっと扉の方を向くと、恰幅のいい男性が立っていた。

 人の良さそうな顔だが貫禄があり、纏う軍服には勲章が複数付けられている。


「久我総司令官」

「興味深い話をしているな。私にも聞かせてくれたまえ」

「それは構いませんが、この場でというわけにはいかないでしょう」


 紫苑が問うと久我は重々しく頷いた。


「そうだな。東雲夫妻と薬師寺、司令室へ向かうぞ」

「承知しました。千鶴、行こうか」

「は、はい」


 紫苑が千鶴の手を取って、歩き出した久我の後ろをついていく。

 時たますれ違う軍人達が、紫苑と千鶴を見て僅かに驚いていたように見えた。

 その度、最後尾を歩く小夜へと同情の視線が集まる。

 どうしてそのような目が小夜に向けられるのか、千鶴には分からなかった。

 だが何故だか司令室に向かう足取りが重くなる。

 その度に紫苑の指が慰めるように手の甲を撫でて励ましてくれた。


 ◇◆◇


 司令室に入ると、そこは予想以上に広い空間だった。

 会議室と言われた方がしっくりとくるほどで、その中心には巨大な作戦盤が据えられている。

 帝都周辺の地図と駒が並ぶ光景に、千鶴はそわそわしてしまう。

 作戦盤を囲むように並んでいるのは、将官たちだ。

 よくみると千鶴が挨拶した将官たちがずらりと並んでいる。

 少し顔色の悪い彼らに違和感を覚え、千鶴は観察するように見つめた。

 凝視していると僅かに赤黒い靄が漂っているのが見えた。目を凝らさないと気づけないほどの靄だ。

 千鶴が目を丸くしていると紫苑の腕が腰に回った。


「薬師寺はそこへ、東雲夫妻はワシの隣に立つといい」

「御意」

「……承知しました」


 下座を示された小夜は一瞬顔を悔しげに歪ませたが、何事もなかったかのように頷いた。

 小夜が定位置についたのを確認した久我は真ん中に、そして紫苑と千鶴は彼の隣に並ぶ。


「ふむ、これは邪魔だな」


 久我が少し考えるように首を傾げ、指を鳴らす。

 すると目の前にあったはずの作戦盤と駒が消えた。

 あたかも元々何もなかったような床が現れ、千鶴は目を見開いた。

 ぽっかりと空いた空間だけが、作戦盤があったことを知らしめているようだ。


「そんなに驚かなくともよい。ワシの異能なんでな。いまからの話し合いでは不必要だから消しただけよ」

「そうなのですね。不躾に失礼いたしました」

「よいよい。雑談はこのぐらいにして、先ほどの話に戻ろうか。単刀直入に聞く。薬師寺。東雲の奥方が妖毒増加の原因であると考えられる理由は?」


 ざわりと空気が揺れる。

 視線が千鶴に集まり、居心地が悪い。

 逃げ出したいほどの威圧感に息が詰まりそうだ。

 だが、千鶴は背を丸めることなく、前を向いていた。


(私はやってない。だから、何も俯く必要はない、はず)


 膝の上で固く握った手に、大きな手が重なる。

 それは紫苑のもので、大丈夫だと言わんばかりだ。

 千鶴が小夜へと目を移すと、彼女は久我の問いに小さく頷いた。


「確証はありません。ですが、感染者の共通点は祝勝会で千鶴に挨拶をしていることだけでした」


 口を開こうとした紫苑だったが、久我の視線だけで制され、言葉を呑み込んでいた。


「ふむ」

「先ほど一時ですが目を覚ました患者が、千鶴を見て怯えた様子を見せました。千鶴を……その、あやかし、とも言っていて……」

「あやかし、か。穏やかじゃないな」


 眉をピクリと反応させた久我が考えるように腕を組む。

 重い沈黙が司令室を包み込み、息をすることすら憚られた。

 それだけ小夜が口にしたあやかしという言葉は重い。

 軍部にとってあやかしは天敵だ。

 長年にわたる攻防で積み上げられた帝都の平穏は、帝都内にあやかしが入り込んでいなかったため実現している。

 風向きを図るような静けさを終わらせたのは紫苑だった。


「あやかしが関与しているのは間違いないでしょう。現に先ほど、千鶴が狙われていた」

「ほう? あやかしと言われたはずの奥方が狙われるのは些か疑問が残るな」

「恐れながら……私が狙われていたとは、どういうことでしょう?」


 恐る恐る手を上げた千鶴に、紫苑は少し驚いた顔を向ける。

 予想外だったのは久我もだったようで、彼は僅かに目を細めていた。

 紫苑が少し言い淀んだ後、言葉を選びながら話し始める。


「患者から漏れ出る妖毒が千鶴へ向かってきていた。僕が異能の膜を張っていたからからね、悪意があるかどうかぐらい判別がつく」

「先ほど私に向かってきた靄のことでしょうか」

「あぁ」

「おや。奥方は靄が見えるのか」


 驚きと感心が混ざったような久我の声に、千鶴は彼へと顔を向けた。

 ようやく緊張が落ち着いてきた千鶴へ周りの目が向けられている。

 その視線に含まれるのは、驚愕のみだ。

 ただ一人、小夜を除いて。

 今までは瞳の奥でくすぶる程度だったはずの憎悪が表に出ている。

 しかし、周りにいる誰一人として小夜の変化に気がついていない。

 千鶴の返事を待っていると気がつき、慌てて口を開く。


「はい、見えています」

「ふむ。あやかしは赤黒い靄を発している。そう言ったのは東雲軍医総監(そうかん)だったか」

「そうですね」

「奥方。貴女の噂はかねがね聞き及んでいるつもりだ。東雲軍医総監との結婚理由も」

「はい」


 噂というのは、千鶴が無能者だということだろう。

 その上、異能婚であることも知っている。


(疑うのも無理のない話だわ。私だって、いまだに信じられないもの)


 千鶴は異能を持たなかった。否、持たないと誰もが信じて疑わなかった。

 手のひらを返すような異能の発見に、当事者である千鶴ですら現実味がない。


「彼の言う赤黒い靄をワシもここにいる者達も見ることができない。靄を見ることのできる東雲軍医総監がいなければ、我らは妖毒によって滅ぼされていた可能性もあるだろう」


 重い言葉に、千鶴はごくりと息を呑んだ。

 冷や汗の伝う体とは裏腹に、千鶴の心は冷静だった。


(妖毒が見えるということはつまり、妖毒に対抗するなにかを持っていると言っているようなものだと言いたいのね)


 屋敷を出る前に紫苑から告げられた言葉が思い出される。

 彼の言う通りとなった展開に、千鶴は思わず頬が緩んだ。

 心配そうな紫苑を安心させるように、重ねられた手を握り返す。


「はい。私には妖毒を浄化する異能があります」


 覚悟と共に紡いだ言葉は、静まり返った部屋に凜と響いた。

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