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冷徹軍医の最愛嫁~無能の妻は、夫の愛に気付かない~  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第十話

 祝勝会から2週間が経ち、本邸を迷わず歩けるようになった頃。

 長期の暇をもらっていたはずの紫苑の元に、妖毒患者が増加しているとの一報が入った。

 軍服に身を包み、軍刀を携えた紫苑が慌ただしく玄関と向かう。

 そんな紫苑の背に千鶴は声をかける。


「紫苑様。私も連れていってくださいませんか」

「それはできない」

「私の異能は、妖毒を浄化するものなのでしょう? 私、紫苑様の役に立ちたいのです」

「……君の異能を上層部が知れば、軍部へ引き入れられるだろう」

「わかっています」


 あやかしとの戦の絶えないご時世だ。

 治癒術師でも治せない妖毒を治せる千鶴の存在は、軍部にとって喉から手が出るほど欲しいものだろう。


「あやかしとの戦は苛烈だ。あんな場所に、君を連れていきたくはない」

「そのお気持ちだけで十分です。私は異能を持つ者として、貴方の傍にいたい」

「僕は千鶴が無能者でも愛したが」

「っ!」


 当たり前のように紡がれた愛情に、千鶴の頬に熱が集まった。

 楽しげに細められた紫苑の目がわざと話題を逸らしたのだと告げる。

 千鶴は赤みの残る顔をそのままに、紫苑の袖を引っ張った。


「何があっても紫苑様が守ってくださるって聞きました。頼ってもいいと仰っていたのは嘘だったのですか?」

「ぐ……嘘ではない。何があろうと千鶴を守る覚悟はある」

「でしたら」

「はぁー。わかった」


 紫苑が観念したように大きな息を吐いた。

 目を輝かせる千鶴に、紫苑は苦笑する。


「ただし。千鶴に妖毒を浄化してもらうかどうかは行ってから決める。それでいいな?」

「はい!」

「それと軍部へ連れていく代わりに、なぜ離れの洋館で過ごしていたのか吐いてもらう」

「そ、れは……」


 途端に歯切れの悪くなった千鶴は、視線を彷徨わせる。

 それだけで、洋館で過ごしていた意味が分かってしまう。

 そもそも紫苑のいなかった三ヶ月間千鶴がどのような扱いを受けていたのか、彼はすでに知っていた。

 小夜に乗じて千鶴をいないものとして扱った女中達は離れから出さず、千鶴の前に姿を見せないよう配置している。

 すぐにでも解雇できるが処遇は千鶴の意思を問うてからだと、紫苑が自身に言い聞かせていることを千鶴が知るよしもない。


「それが約束できないなら連れていかない」

「っ、わ、わかりました。お話しします」

「よし。なら行こうか」

「はい」



 ◇◆◇



 軍部の片隅にある入院棟は、赤黒い靄がひしめいていた。

 玄関扉を開けた瞬間、紫苑が眉をしかめてしまうほどの有様だ。


「紫苑様……」

「妖毒は異能の才気を媒介して感染する。僕たちは体を異能の膜で才気を覆い感染を防いでいるんだが、千鶴はまだ膜を張れないだろう? だから今回は僕が異能の膜を張ろう」

「ありがとう存じます」

「礼には及ばん。だが、気分が悪くなったら早めに言ってくれ」

「はい」


 千鶴が頷くと、紫苑はほっとしたように眉を下げた。

 彼が千鶴の手を握ると同時に、温かななにかに包まれた感覚がした。


「この感覚が分かるようになれば千鶴も自分で膜を張れるようになるだろう」

「が、頑張ります」

「あぁ。用意ができたことだし、病室に向かおう」

「はい!」


 紫苑と共に病室に入ると、部屋の中心で祈るように異能を使う小夜がいた。

 長く伸ばした髪はひとまとめにされているが、前髪が汗で額に張り付いている。

 紫苑に気がついた小夜は異能を使うのを止め、うっすらと微笑みをたたえ近づいてきた。

 いつもと変わらぬはずのその笑みがどこか不気味で、千鶴は紫苑の背に隠れるように一歩下がった。

 紫苑も小夜も千鶴の行動に言及してくることはない。


「報告を」

「はい。祝勝会の後、爆発的に妖毒患者が増えています」

「あの戦に上級のあやかしは一体のみしかいなかったはずだが」

「原因究明中ですが、気になることが1つだけあります」


 小夜から申し訳なさげな視線が千鶴へと向けられる。

 紫苑の目が千鶴に向けられたほんの数秒、小夜の瞳の奥で憎悪がひらめいた。


「千鶴がなにか?」

「いえ、まだ確証ではないので……私の口からはとても……」


 小夜がしおらしく目を伏せる。

 彼女の意味深な言動に紫苑がわずかに眉を寄せた。


(お姉様はなにがしたいの……?)


 小夜の考えが分からず、千鶴は足下から何かが這い上がってきているような感覚に陥ってしまう。

 そっと視線を足下へ向け、千鶴は目を見張った。

 赤黒い靄が意思を持っているかのようにぐねぐねと千鶴の回りを取り囲んでいる。

 紫苑が異能の膜を張っていなければ今頃千鶴は赤黒い靄に呑み込まれていたことだろう。

 予想外の光景に千鶴は息を呑んだ。

 元を辿るとそれは近くの寝台で横になっている男性から千鶴へと向かってきていると分かった。

 千鶴に向かってきているお陰で男性から靄が薄くなっていることも。


(なにが起きているの……?)


 訳が分からず放心していると、不意に千鶴の腰に腕が回った。

 少し強引に引き寄せられ、紫苑に寄り添う形になってしまう。


「やはり元を絶ちに来たか。千鶴。僕から離れないでくれ」

「はい」


 頷いた千鶴の耳に、小さな呻き声が聞こえる。

 それは纏う赤黒い靄が薄くなった男性の声だ。

 うっすらと目を開けた男性に視線が集まる。

 彼はしばらく熱に浮かされたような目つきをしていたが、千鶴を視界に入れた途端、悲鳴を上げた。


「うわああああ! 来るな! あやかしめ! なぜ東雲様の隣にっ」


 明らかに普通ではない取り乱し方をする男性に、紫苑が呆気にとられたのは一瞬だけだった。

 紫苑が芳しくない男性に手を向けると、彼は瞬く間に寝息を立て始める。

 静まり返った病室で、紫苑が重い口を開いた。


「薬師寺。お前の言う気になることというのは」

「……こうなっては隠し立てできませんね。意識が戻った患者達が口々に言うのです。東雲様の奥方と挨拶をしてから、体調がおかしくなった……と」


 遠慮がちに紡がれた小夜の言葉に、ぐらりと足下が歪んだ気がした。

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