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足を踏んだ男(レベット・カシリオン伯爵視点)

 流行に逆らった、ナチュラルな化粧。

 口紅を必要としない、天然の赤み、蒸気したような頬。整った眉毛と、潤んだ大きな瞳。


 マリーア・トノール伯爵令嬢。

 その気品と存在感に誰もが目線を釘付けにされた。


(確か、ダステムと婚約破棄したと聞いている)


 マリーアが社交界デビューをした時、周りの令嬢との違いに、男性陣はどう扱ったら良いものか少々戸惑っていた。

 誰もが皆、マリーアから視線を外すふりをしてチラチラ見ていたのを察知して、自然発生的に牽制し合う男と、マリーアに対してつまらぬ嫉妬を向ける女。

 私はと言えば、


(欲しかった。マリーア嬢が)


 そんな私を見かねてダステムが一慶を案じた。


『ああいう天然の美人は、興味を向けられる事に不慣れだ。なるべくチャラけて相手の反応を伺ってみろ』


 チャラけて、と言われても社交の場でふざけた事などない私たちはどうすれば良いか分からない。


『ああ言う女は、社交辞令でも容姿を褒めたら下心があると思われて即見向きもされなくなるぞ。いいか、つまり好意の裏返しだ』

『ふむ、モテるお前が言うんだから間違いないんだろうが…』

『余裕のある大人の男を演じるんだ。まずはマリーア嬢よりも、立場が上であると思わせなければ』

『どう言う意味だ?』

『とにかく尊大な態度で、お前なんてまるで意識していないと言う風に演じてみろ』

『おいおい、いくらなんでもそれじゃあ嫌われるだろう』


 ダステムは『馬鹿だなあ』と言って笑った。


『だから、僕がいるんじゃないか』

『どういうことだ?』

『レベット、お前がそう言う態度を取る。で、僕がすかさずマリーアに「レベットはそう言うやつじゃない」と吹き込む』

『それでどうなる?』

『俺がレベットの良いところを一から十まで説明してやる。するとどうだ、お前と言う存在が気になって、マリーアの方から歩み寄りたくなる』

『本当にそれで親しくなれるのか?』


 あまり理解していない私のことを、ふふんと鼻で笑うと、ダステムは言った。


『僕に友人や知り合いが多いのはそう言うわけだ。あちこちの友人が、僕の狙った令嬢に『ダステムはいい奴だ』と吹聴してもらうために』

『確かに友人は多いが…』

『この戦略で何人もの令嬢と交際しているわけだ』

『なるほど…』



 だがしかし、結局マリーアが婚約したのは他でもない、ダステムだった。




 最近、酒場で見知らぬ男から、妙なことを聞かれた。


『ダステムという男を知っているか』


 友人だと即答すると、男は続けた。


『マリーア・トノール伯爵令嬢と婚約破棄したらしいが、ご存知ですか?』


 酒が入っているのもあって、私は気楽に答えた。


『もちろん知っているさ。王都の男は、どんなにマリーア嬢を欲したか。私も例外じゃない』

『壁の毒花という噂を聞いて、どんなに酷い女かと思ったのですが…』

『ああ、それはマリーア嬢に嫉妬した女が付けたんだろう』

『嫉妬?話に聞くと、随分地味で卑屈で面白味のない令嬢だと聞いているのですが』


 私はこの男に少し違和感を感じ始めた。なぜマリーアやダステムのことを聞き出したいのだろうかと。


『おい、あんた…』

『おや、酒が足りませんか?良かったらこの店で一番高いウィスキーを追加しましょう』

『なんだ、気が利くな』


 男は運ばれて来たウィスキーを私に勧めた。


『で、マリーア嬢というのはなぜ他の令嬢に嫉妬されていたのです?』

『ああ、なんてったってとにかく美しい。見た者を釘付けにしてしまう程。流行と真逆の化粧というのも鼻につくんだろう。それでいて、あまり自分を主張しない』

『ほう、やはり……』

『なんだ、やはりとは?』

『他の方にも聞いてみたんですが、どうもこのダステムという男が仕組んでいたらしいですね』


 仕組む、一体何を。

 その時にはもう、私は男との話に夢中になっていた。


『ダステムというのは、どうもマリーア嬢を手に入れるために、他の紳士を利用したと言うんですね』

『り、利用?』

『おや、貴方もお心当たりがおありで?』

『いや、そんなまさか』


 ふいに、マリーア嬢の足をわざと踏んでみせた時のことを思い出す。

 それでつい、ポロリと本音が漏れた。


『…ダステムがマリーア嬢と婚約したと聞いて、騙されたような気持ちになったのは事実だ』

『ほう?というのは?』

『マリーア嬢に酷い態度を取れと。ダステムがフォローしてくれる約束で……私はそれを信じて…』

『友人はそんなことをするような奴じゃない、本当のあいつを知れば、きっと興味を持ってくれる、ですか?』

『ど、どうして…それを?』


 高価なウィスキーの、追加の追加が運ばれて、男はまた私に勧めた。

 とても飲む気になれず、むしろ酔いが覚めるような思いだった。


『…ダステムがそのように約束していたのは、貴方だけじゃないんですよ、レベットさん』

『……え?』


 おかしいと思ったのだ、私以外の男が皆、マリーアに対して尊大だったのだから。


(みんなにその気ががないのなら寧ろチャンスだと思ってしまっていた。その実、ダステムは他の友人にも同じ約束を…)


 ウィスキーをぐいと煽る。目の前がぐらぐらした。


(ああ、今ならわかる。マリーア嬢に対して、私は周りのあいつらと同じ事をしていたんだ)


『けれど、そんな態度を二年も続けておいて、今さら急に優しくすることなんて…できなかった』




 気がついたら、屋敷のベッドで寝ていた。


(馬車で帰って来たんだろうが、記憶にない)


 窓の外はまだ夜明け前らしい。がんがんする頭をなんとか起こし、水指の水を喉に流し込んだ。


(そういえば…)


 あの男に名乗っていないはずなのに、なぜ私の名前を知っていたのだろう。

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