少ない友人
王城のホールに集まった貴族は、私達を見るや皆眉を顰め声を潜めた。
トノール家のオールドワインからカビが検出されたことで、今年の建国祭でワインを振る舞うことが中止となったからだろう。
父は被害にあった五人だけではなく、他の購入者からの返金対応と賠償金の支払いに追われている。
『…手紙に認めるには勇気が足りなかったのだ』
父はそう呟いた。
もしかしたら、せっかく帰宅する気になった母の気持ちを削ぐのではないかと不安になったのかも知れない。
(以前ならそんなこと思わなかったでしょうけれど…今ならお父様のこと、よくわかる気がする)
あちらこちらから妙な視線が飛んでくる。
(大丈夫)
火傷の痕は、リーンが化粧で隠してくれたのだ。そう言い聞かせて息を整える。
「こういう時こそ、前を見て胸を張るのよ」
母が私の後ろでそう呟いた。
「良い?マリーア、貴方はこの会場の誰よりも美しいの。ご覧なさい、あの人たちは貴方や私たちを蹴落とすことでしか上に這い上がれない負け犬なのよ」
「…お母様。珍しく、随分と強気なのですね」
「あら、だって、あそこに見えるじゃない。ダステムが」
「え?」
笑っているような、怒っているような複雑な表情を浮かべている。
私はあの特有の表情の訳を知っている。
(支配したいのだわ、私を)
口々にトノール家を非難する声が聞こえてくる。
「よく来れたもんだな」「何がオールドワインよ。腐ったワインの間違いじゃないの」「マリーア嬢はダステム殿と婚約を解消したんだよな」「僕はダステム殿の方から破談にしたと聞いているが?」
父は顔に出さないまでも、少し狼狽していたが、母は気丈に立っている。
私はといえば、目の前で繰り広げられている光景があまりにも滑稽で、
笑ってしまった。
シューリムで過ごした日々が、リーンの施した化粧が、リシュエルからの強い愛が、私に大きな自信を与えてくれている。
(そうだ、思い出した)
元々私はこうだったはずだわ。いつも自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
(そう、こんなふうに)
胸を張って、顔を上げて、思い切り上品な笑みを浮かべて見せる。
ホールにいた人たちは、私が一歩踏み出しただけで、しん、と静まり返ってしまった。
(私、こんなに小さなコミュニティの中で萎縮していたの?馬鹿みたい)
自信を失い、背を丸めていた私は、ここにはもういない。
貴方たちのつまらない意地や、駆け引きなんかに負けない。
(つくづく思い知ったわ、どれだけ小さな中で生きていたかってこと)
ダステムの取り巻き令嬢達が、「なによ、あれ」と言った。
私はわざと近づいていくと、彼女達は一歩二歩と後退する。
「…貴方達」
言いかけた時だった。ダステムが私の前に立ち塞がったのだ。
「……何か?」
「なんだ、別になんともないじゃないか」
「ダステム、貴方、私に火傷を負わせた事を認めるのね?」
「っ、なんのことだかな」
「まあ、貴方がした事を、私は…勿論お父様もお母様も…到底許す気になんてなれないけれど」
「は!?第一大袈裟なんだよ!ちょっと紅茶を被ったくらいで!!それよりお前の父親が僕を殴ったよなあ?そちらの方が重大……」
「そう!私の火傷は熱い紅茶によるものだわ!よく知っているじゃない」
「っっ!ちっ」
貴族たちは、ざわざわと騒めいた。
ダステムは小さく舌打ちすると、大変面倒くさそうにため息をつく。
「全く、無傷ならそう言えよ。仕方がないな、婚約破棄はなしにしてやる」
「……はい?」
「だから、お前と婚約を結び直してやると言っているんだよ」
(全然お話にならないんだけど…)
「なぜそうなるの?」
「トノール家の批判も顧みず、こうやって僕に会いに来たんだ。未練があって堪らないんだろう?」
「はあ…?」
「今回、破談になったのは、僕を殴り飛ばすような頭のおかしい父君一存なんだろう?今回だけは許してやるから、決めた日取りで式をあげてやる。日取りを取り直したら、その分金もかかるしな」
振り返って父を見ると、事態が飲み込めていないのだろう、ぽかんと口を開けていた。
ダステムは予定していた結婚式まで日にちがないことに苛立っているようだった。
「まだ招待状を配っていないんだ。ちゃちゃっと書いてくれよ」
「そんなもの…!」
「…良いか?僕の善意で許すと言っているんだ。次はないからな。もしまた面倒なことになったら、本当に結婚してやらないぞ」
「だから、貴方とは破談になっているでしょう!?第一許すって何を?」」
「全く君は…しばらく会わないうちに僕の気を引きたくて仕方がないらしい。どうせ僕に会うなと父君に言われたんだろ?そんなに未練があるなら、結婚はしてやる。その代わり、土下座して謝罪しろ」
「貴方に未練なんてないわ。一体…どういう思考回路なの?」
ダステムには全然聞こえていないらしい。大袈裟に腕を広げて、わざとらしく首を振った。
「はあ…結局お前は、僕がいないと駄目らしい。仕方がないな、僕しかこんなお前を愛してやれないんだから」
そっと頬を撫でる手つきにゾッとして、その手を払った。
「…いって……。はあ?なんだよ、何するんだよ」
私は負けじと睨み返した。
髪の毛を掴もうとしたのか、ダステムの手が伸びた時だった。
綺麗に着飾ったロメリアが私の前に立ちはだかり、ダステムと対峙した。
「…どういうこと?」
「お前には関係ないだろ。向こうに行ってろよ」
「関係なくないわ!私に求婚してくれるんじゃないの!?」
「誰が…お前なんかを」
「……え?」
「誰がお前みたいなケバい女を娶るかよ」
かつての友人がよろめいて後退する。そのまま私の肩にぶつかったので、ロメリアの肩を抱く格好になった。
傷ついた横顔は、私などまるで認識していない。目の前のクズ男をしっかり凝視していた。
悲しみと怒りに打ち震えるロメリアに対してダステムは言った。
「この際だから言っておくけどなあ、お前のような女は何人もいるんだよ」
「私だけじゃ、ない?」
「他の女どもはみんな理解しているぞ、火遊びだってな。あーあ、興醒めだ。もうお前なんかいらないな」
(なんて酷い人なの…)
青く縁取られた瞳から、涙が一つ二つと溢れていく。
「嘘…」
「ああ、一人だけ、お前との逢瀬が知れた時に詰め寄ったのがいたな」
ニタッと笑ったダステムの口から信じられない言葉が発せられた。
「キューレー夫人だよ。あの茶会はゾクゾクしたなあ。全員と初対面のフリをしながら、何人もの僕の女に囲まれてたんだ。横に婚約者が座っているのに」
「っっっ!!!」
「弁えてくれるから既婚女は扱いやすかったんだけどな。夫に尽くすフリをして、どんどん僕にのめり込んでいったからなぁ」
(じゃあ、あの時、あの男は辞めなさいと言ったのは……)
私は立っているのもやっとな程、気分が悪くなる。
視線が刺さる。その視線の先には、しっかりとこちらを見つめるキューレー夫人と…
妻に向かって何かを耳打ちしている伯爵の姿があった。横顔は暗く、表情までは伺えない。
そんなことに気がつきもしないダステムは、ロメリアに向かって言い放った。
「お前のような化粧で派手にしている女は侍らずのにちょうど良いだけ。自覚しろよ」
「…あなた、最低だわ」
ふらりとよろめき、覚束ない足取りで歩んでいくロメリアは、やがて群衆の中に消えた。
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