第四話(2) 迷惑な訪問者-2
七霧山の隠れた廃寺。
狸達が住処とするこの寺は、住み込んでいた最後の住職が消息を絶った後より、八瞞が縄張りとして住み始めた。
当時からガタの来ていた寺だが、数百年余りが経った今も、その殆どが当時のまま残されている。
山門、本堂、三重塔、鐘楼──現存の建物は外観こそ古くはあるが、狸たちの手により長い年月を掛け修繕と整備が繰り返されてきたおかげで、内観はそこらの古寺より余程真新しい。
本堂に続く廊下を抜けた先には畳の敷かれた大広間がある。
その広間では、人の姿に化けた狸達が慌ただしく駆け回っていた。
時刻は8時──、朝食の時間だ。
寺に住み込んでいる狸たち全員分の食事の準備は、時間と人手がいる。
それぞれが声を掛け合い、協力して長机を広げ、手早く箸や湯呑みを並べていく。
統率の取れた無駄のない動きではあったが、狸達の様子は何処か忙しない。
狸達が慌ただしくしている理由は2つ。
いつもより朝食の時間が遅れていること、それに加え予定外の来客がいる所為だ。
「おい、体を拭けよ!そのまま畳に上がるな!」
びしょ濡れのまま室内に上がり込もうとする婀彌陀羅の片足を土のまに叩き落とし、人の姿に化けた蕨が声を張り上げる。
「まったく、何でおれがこんな奴の面倒を……」
狸達によるバケツリレーの要領で運ばれてきたタオルを1枚投げ渡すと、蕨はもう1枚のタオルを手に婀彌陀羅が濡らした畳を拭き始める。文句を言いながらも、慣れた様子で畳を痛めないよう優しく叩いて拭きあげていく。
「ほら、足を拭いたら……って、玄関先で服脱ぐな、この恥知らず!」
「うるさいぞ」
とくに逞しくもない上半身を晒してふんぞり返る宿敵の姿に蕨が頭を抱える。
その背後では、土間に投げ捨てられた着物を縞宮と千里が回収していた。縞宮は慣れた様子で、千里は全てを諦めた様子で洗濯籠へ詰めていく。化けているとはいえ、少年の姿をとっている狸たちに世話を焼かせる婀彌陀羅の姿は、そこらの子供よりもたちが悪い。
そんなことはお構いなしに、婀彌陀羅はタオルで雑に身体を拭き上げると、蕨に向け片手を差し出す。
「よし。では、なんでもいいから八瞞の服を持ってこい。できるだけ質のいい高い物を、だ」
「先生の服持ってきても、どうせお前だぼだぼで着れないだろ」
若狸たちと比べると身長は婀彌陀羅の方が若干高いが、体格はそう変わらない。しかし、八瞞と比べるのなら身長も横幅も足りなくなる。普段は着物をきっちり身にまとっているため分かり難いが、軛と同等以上に鍛えられていたりする。
「考えなくても分るだろ」と呆れる蕨に、婀彌陀羅が不服そうに押し黙る。
ずぶ濡れになった原因がまるで八瞞にあるかのような態度だが、今回に限っては婀彌陀羅の自業自得であるのは誰の目から見ても明らかだ。
まだ不服を前面に押し出す婀彌陀羅に対し、「俺の服貸してもらえるだけ有難く思えってんだ」と、蕨が手に持った布地を広げて見せる。
と、目の前で広げられた真緑のTシャツを見た婀彌陀羅が、面の下で眉を盛大に顰める。
緑色の布地の胸元には、でかでかと達筆な文字で「たぬきうどん」と描かれていた。
「それを買ってきたのは狢だろう」
「よく分かったな?」
「全員分あるんだぞ」と自慢げに話す蕨の周りで、他の狸たちが微妙な顔をしているのを本人だけが気付いていない。
婀彌陀羅でも知っている、現世で流行っている有名なレトルト商品「緑のたぬき」と「赤いきつね」を彷彿とさせるTシャツ。
何故、蕨だけがピンと来ていないのか?その理由は、レトルト商品を食べると身長が伸びないと思い込んでいるからなのだが……、その情報源も八瞞なのだから度し難いことこの上ない。
同時に婀彌陀羅は思い出していた。蕨が「分福茶釜」や「かちかち山」と書かれたTシャツを着ている姿を。
自分の弟子にも分け隔てなく悪戯を仕掛ける八瞞の性質の悪さを思う一方で、実に洒落の分かる男だと婀彌陀羅は評価もしていた。
どのみち本人が気に入っている以上、婀彌陀羅がわざわざ口出しをすることはない。周りも静観をつとめているため、あとは本人がいつ気付くかに委ねられている。
「ほら、これでも着てろよ」
濡れたタオルを受け取りながら蕨がTシャツを差し出す。だが、婀彌陀羅は服を受け取らず、首に巻かれた太縄を指先で叩いて見せる。
「まて。首元が開く物にしろ。縄が邪魔で首が通らんのだ」
「不便な奴だなぁ」
そう言いながら、婀彌陀羅の首に巻かれた太縄に視線を向け、Tシャツの首元に目を落とす。「確かにTシャツは着れないな」と、蕨は他の狸に声を掛ける。
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用意された代わりの服は、縞宮の物が採用された。
きっちりとしたシャツを好む千里と、前開きの少ないストリートファッションを好む秋葉の服は初めから選別から除外されていたため、選択肢があまり無かったとも言える。
普段から軽くてゆったりとした服を好む縞宮の持ち服は、甚兵衛や中華圏で馴染みのある道着が多い。合わせ目が開くので、無理に着て襟を伸ばす心配もなく、雑に扱われても後悔は少ないだろうと採用となった。
「うむ、丁度いいな」
黒の道着を選んだ婀彌陀羅は、着心地を確かめると満足そうに頷く。
ようやく一段落ついたと息を吐く狸たちを前に、周囲を見回していた婀彌陀羅が動き出す。次は何だと狸たちが目で追う中、婀彌陀羅は床に座り込んでいた縞宮を捕まえひょいと持ち上げた。
化けるのに疲れたのか、何故か狸姿に戻っていた縞宮は、無抵抗のまま婀彌陀羅の膝の上に座らされ、ぬいぐるみのように抱えられる。
膝の上に乗せた縞宮の頭部を撫で回しているのは、婀彌陀羅なりの服を貸して貰ったお礼なのだろう。それが嬉しいか嬉しくないかは別として、次なる生け贄が縞宮だけで済んだことに周りの狸たちは胸をなでおろす。
楽しそうにぐりぐりと頭を撫ぜる婀彌陀羅の手つきは、褒めるというよりもぬいぐるみの綿をこねているようにしか見えないが、縞宮に抵抗は見られない。
宿敵相手に好き放題されるがまま身じろぎ一つしない縞宮の様子に、我慢できなくなった蕨が縞宮の前にしゃがみ込む。
「縞宮お前なぁ、こいつは先生の敵だって分かってるのか?」
「…………」
無言の返答。夏毛に生え変わったばかりの毛皮を堪能している婀彌陀羅は楽しそうだが、撫でられている縞宮は無表情だ。
狸に戻っても半分閉じた状態の目が何を考えているのか、同じ狸だというのに蕨には分からない。
「わからん、何を考えてる顔なんだ?」
「嫌がってるんじゃないか?」
「眠いだけだろ?」
「おい、誰か。翻訳班呼んできてくれ」
「縞宮専用の?いないよそんなの」
千里が素気無く返す。
早々に思考を読むのを諦めた蕨は、縞宮から婀彌陀羅へ対象を変える。
「あ~……それで、お前は今からどうするんだ?ここで先生を待つのか?」
八瞞はまだ池で涼んでいるだろう。客が来ているからと支度を急ぐ男ではない。
さらには、婀彌陀羅がまだ寺に居ると予測し、いつもより長く無駄に時間をかけて戻って来るはずだ。それを見越しての蕨の問い。
「朝食、食べていきます?」
無言だった縞宮が、婀彌陀羅を見上げて言う。
「今日は麦飯に味噌汁、卵焼きとイワシですよ」
「むぎ茶と緑茶は選べます」
縞宮に続き、まるで朝食に誘うかのような態度を見せる千里と秋葉に、蕨が慌てて間に入る。
「いやいや、百歩譲って先生を待つのは分かるけども!お前達はなんでもて成そうとしてるんだ!」
信じられないとでも言いたげな顔をする蕨の手には、まだ濡れたタオルと選ばれなかった真緑のTシャツが握られている。
説得力の無い姿に、全員が今更感を感じていたが蕨にだけは自覚はない。
「だってなぁ」と、3人が顔を見合わせ、口を揃える。
「「「いつもの事だし」」」
「お前らなぁ……」
「そうカリカリするな、ほら蕨も来い」
そう言って、婀彌陀羅は自分の空いた膝を叩く。
婀彌陀羅の膝から降り、ちょこんと座り込んでいた縞宮が蕨を見上げる。
「……行ってくれば?」
「いくか‼︎」
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「あれ、俺のとこたくあんないぞ?」
「卵焼きにカラ入ってる」
「今日のおかわりは1人2杯までー、2杯までー」
「みそ汁の具がワカメとネギに小松菜って、どうよ」
「みそ汁じゃなくて青汁だよね」
「うげ、食事中に言うなよ。先生がいたずらで作った青汁思い出した」
「ご飯が不味くなるからやめよう」
大人数で囲む食卓。
ガヤガヤと響く声と食器の触れ合う音。
これを煩わしいと捉えるか、賑やかと捉えるかで食事の味わいは変わるのだろう。
婀彌陀羅は並べられた料理の中から、1番に目の止まった卵焼きに箸を伸ばす。
分厚く艶のある真黄色の卵焼き。一口食べるとだし巻きとは違った砂糖の甘みが口内に広がった。
「うまい」
溢した言葉に周りの狸達が反応する。
味を褒められ嬉しがる者、自慢げに山で飼っている鶏について語る者、それぞれ反応は違うがどれも好意的な対応と言える。
先程まで敵対していた相手に対する対応ではないが、狐と狸の関係など付かず離れず毎度こんなものだ。
婀彌陀羅が狸たちと料理について話していると、声の間に木戸の開く音が混じる。
見れば、戸口には八瞞立っていた。今日は随分と戻りが早い。
水浴びの後だからか、単衣のみの軽装。普段は頸で纏めてある後ろ髪は一括りにされ、狸面以外の装飾も外されていた。
戸口近くに座っていた婀彌陀羅は、啜っていた味噌汁から口を外し、八瞞に声を掛ける。
「おー、先に食べているぞ」
「ふつーに馴染むな」
狸と一緒になって食卓を囲んでいるのが気に食わなかったか、八瞞の口がへの字に曲がる。
「思ったよりも早かったな」
「誰かさんのために、朝食冷ますのも嫌だからね」
「それは殊勝な心掛けだな」
狸達の余計な気遣により、明らかに意図して空けられていた婀彌陀羅の向かいの席に座る。
八瞞が席に着くと同時に、炊事係りが注ぎたての飯と味噌汁をテーブルに並べ、卓上に準備してあったおかずと合わせ1人分の配膳が直ぐに整った。
それを見ていた八瞞の隣に座る若狸が動き、麦茶を注ごうと卓上の薬缶に手を伸ばす。だが、八瞞は「いいよ」と手で制し薬缶を受け取り自分で注ぎ入れる。
若狸達は八瞞を師と仰いでいるが、その関係性は師と弟子というよりも家族に近い。
給仕を断られた狸も、師である八瞞が隣にいて緊張する様子もなく、向かいの席に座る狸と談笑している。
八瞞の性格を知っている者であれば、到底信じられないであろう、穏やかで隔たりのない関係。
側から見れば八瞞が若狸達を使役している様に思えるが、共同生活の場で家事の分担として炊事洗濯などを若狸が当番制でやっているだけで、その他の雑事は主に八瞞が担っている。
単に、若狸では荒事や難しい書類などの手続きが対処できないだけとも言えるが、役割分担としてはこれで上手く回っていたりする。
人に化けていても、群れで暮らす狸の習性は変わらない。
箸を手に取った八瞞が、その流れのまま軽く手を合わせ、湯気の出る味噌汁に手を伸ばす。
周りの賑やかさとは打って変わり、婀彌陀羅と八瞞の間に会話はない。
八瞞の普段のお喋りで軽薄な態度は鳴りを潜めている。
押しかけて来た婀彌陀羅に対し怒っているからではなく、自分の縄張りの中でまで演じるのが面倒なだけだ。
むしろ、今の状態の方が肩の力を抜いていると捉えるのが正解なのかもしれない。
どうせなら常日頃からこの状態で居ればよいと婀彌陀羅は思うが、どちらにしろ八瞞の中身は変わらないのだから、気にするだけ無駄である。
八瞞の性格の悪さ、その性質は、長い付き合いの婀彌陀羅でも完全には把握できない程、複雑で面倒なつくりをしている。
黙々と箸を動かしていた八瞞が魚の身をほぐす間、ついでの様に婀彌陀羅に話を振る。
「瀞煦のじじいがたまには顔を見せろだとよ」
「ふっ、顔を見せろ?十数年会わない間に、やけに気安い仲に発展しているではないか」
「呼び出し無視して、また陸まで上がって来られる前にどうにかして」
淡々と話してはいるが、八瞞の言葉に婉曲さはない。
早めに事を済ませて欲しいのは本心の様だ。
「ふむ……用件はなんだ。確か最後に会った時は、鬼共と遊んでいたと思ったが……」
「その遊びの誘いじゃね」
「まだ続けておったのか」
意外そうな婀彌陀羅に、八瞞は味噌汁を啜りながら軽く相槌を打つ。
情報収集能力だけは信憑性が高い八瞞が言うのだから、鬼族関係の話であることは確かなようだ。
面倒な話を振られたが、言付け通りに行動してやる義理も無い。一旦保留を決めた婀彌陀羅に、それを察した八瞞が文句を言ってくるが、最後の卵焼きと共に飲み込んだ。
空になった椀の上に箸を置いた八瞞の向かいで、婀彌陀羅も箸置きに箸を戻す。
ほぼ同時に朝食を食べ終えたところで、八瞞は改めて婀彌陀羅に問う。
「それで、何しに来たの」
「暇だから来ただけだが?」
婀彌陀羅の返答を聞き、八瞞が静かに深く深く息を吸う。
長いようで短い間を置き、八瞞は斜め前の席に座っていた千里に目配せし指示を送る。
言葉もなく、面越しの視線のやり取りだけで、八瞞の指示を違える事なく察した千里が静かに席を立ち、すぐに戻ってくる。
手に持っているのは紙製の箱。
「…………これあげるから帰えって」
千里から手渡された箱を八瞞がそのまま婀彌陀羅に渡す。
渋い唐草模様の包装紙には、ポップな文字で『ごつっあん饅頭』と描かれていた。
「あ〜、あれ後で食べようと思っ──!」
「シッ!」
声を上げる蕨の横腹を肘で殴打し、千里が立てた人差し指を顔に突きつける。
「あれ消費期限5日前のやつだから」
いくら声を潜めようとも、これだけ近場で話されれば、元が獣である婀彌陀羅には筒抜けだ。
なんなら師である八瞞にも聞こえているだろうが、何食わぬ顔で座っている。この程度のことは許容範囲らしい。
視線だけで八瞞の意図を正確に読み取り、期限切れの菓子を持って来る千里は、やはり若狸の中では一番優秀だと婀彌陀羅は改めて思った。




