第四話(3) 饅頭の行方
太陽も登りきった真昼時。
ミンミンゼワゼワと、一切の暇もなく鳴き続ける蝉のけたたましい声が周囲に満ちている。
どこ居ようと届く蝉の声は、まるで空気に乗って後ろを追いかけて来ているかのような錯覚を起こす。
そんな喧しい蝉の声を背に、軛の困惑した声が落ちる。
「……何をしている」
ここは人気のない簡素な廃神社。
その小さな神社の境内の真ん中で、一昔前の不良のように座り込んでいたのは婀彌陀羅と眩照、傳照の兄弟だ。
この夏日にも関わらず、見ている方が暑苦しくなりそうな装いで、直射日光が降り注ぐ境内の真ん中に陣取り座っている。
着物姿である婀彌陀羅もさる事ながら、眩照、傳照兄弟の恰好はそれを遥かに凌ぐ重装だ。
頭から足先までを覆った全身黒尽くめの衣装。焼けた地面に横たわる異様な大きさの手。日差しの熱を人一倍受けていそうな2メートルを超える巨体。
しかし、本人達は暑さを感じていないのか、額から垂れた白紙には汗ひとつ染みていない。
かく言う軛も、婀彌陀羅と大差ない恰好であるが、妖にとって日照りの暑さはそれほど影響はない。
軛の問いに眩照、傳照は無言。
何を考えているのか、反応もないまま黙って軛を見上げている。
長身とその奇妙な出で立ちにより、ただ黙って座っているだけだというのに、下手な破落戸よりも不気味で威圧感がある。
間に挟まれた婀彌陀羅との体格差が、その感覚をより強めて見せている。
なんの情報もなしにこの状況を見れば、他人からは婀彌陀羅が恐喝でもされているかのように映ることだろう。
だが、主導権を握っている側が、必ずしも見て呉れ通りとは限らない──。
あえて訊かずとも、軛にはこの場の中心が誰かなど、容易に察しが付いていた。
黙していた眩照と傳照が視線を交わし、合わせたように婀彌陀羅を見る。その視線が、この場の主導権を握る人物が誰かを、分かりやすく導き出している。
2人に視線で促された婀彌陀羅が、手にしていた箱の蓋をひらめかせ、印字された『ごっつあん饅頭』の文字を見せつける。
「饅頭を貰ったから、此奴らと一緒に食ってるだけだが」
そう言うと、持っていた箱から饅頭をひとつ取り、横にいる傳照に箱を回す。
軛は知る由もないが、婀彌陀羅は八瞞の縄張りを出たその足で、この廃神社にやって来ていた。
軛が懸念するような理由などない、思い付きの行動、暇つぶしの延長戦である。
普段から婀彌陀羅の行動に悩まされている軛からすれば、ただ立ち寄っただけの、何もない廃墟同然の場でも、婀彌陀羅がいるというだけで厄介事の温床に思えてしまう。
だが、その懸念も、饅頭を見せられたことにより優先事項が逆転する。
「饅頭だと?何故、俺の所に持ってこない」
「何故、無条件に貰えると思っとるんだ?」
9個入りの饅頭は、既に3人の間を一周したのか人数分減っていた。──今、婀彌陀羅が取った1つで残りは5つ。
軛が見ている間にも、箱を手渡された傳照が饅頭を手にし、一口で頬張る。
「…………」
それを見ていた軛の手が、おもむろに饅頭へ伸びる。
だが、傳照はそのガタイに似合わぬ柔軟な動きでもって軛の手を避け、箱を眩照に手渡す。
眩照は箱を受け取るなり、素早い動きで饅頭を手に取り、同じように一口で頬張った。その間、軛とは視線も合わせない。
2人からは絶対に饅頭を分け与えないという強い意志が窺えた。
「……卑しい奴等め」
「お前が言うなとはこのことだな」
忌々しそうに手を引っ込めた軛に婀彌陀羅が呆れて言えば、「もっと、言エ」「こちら、ガ、正しイ」と眩照と傳照が援護を送る。
婀彌陀羅なんぞを盾にする2人に対し、軛は鼻を鳴らす。
「饅頭の件は後でいい、それよりも──」
「後からも蒸し返すな」
と、言う文句を無視し、軛が婀彌陀羅に向き直る。
「それよりも、ここで何をしている。まさか、また面倒なことを企ん──」
「していない」
余りにも早い返答に軛が口を噤む。
「…………それは、自供と判断していいのか?」
「してないと言っとるだろうが!」
日頃の行いの所為で信用値が0を振り切っている婀彌陀羅に代わり、眩照が間に入る。
「安心、しろ。今日ハ、まとも、ダ」
こう言った受け答えに関しては弟の傳照よりも、眩照が率先して動く。
沈着な性格をした眩照が動く方が、物事の進みがよくなると知る程度には、世の中を理解しているようだ。
対照的に、傳照は感情的で意志がはっきりしているため、荒事には兄よりも率先して動く場合が多い。
外見は全く同じ2人だが、会話をしてみると意外に区別は付くものだ。
「そうだぞ。我は此奴らに金の稼ぎ方というものを伝授してやっていただけだ」
「金……、こいつらに仕事でも斡旋するつもりか?」
「違ウ」
「この場に、居テ、出来ルこと」
眩照と傳照が同時に首を横に振る。
「そんな都合のいい仕事が本気であると思っているのか?」
「こいつが、有ルと、言っタ」
次の問いに、今度は縦に首を振る。
「こいつの、非、人道的、思考ハ、役にたつ」
「性格、ノ悪さ、ハ、誰よりも、信頼できル」
どうやら長年の付き合いで、婀彌陀羅は2人からおかしな方向に信頼を得ているらしい。
呆れる軛を横に、2人からの後押しもあり、婀彌陀羅が中断させられていた話に戻る。
「よし、では話を戻すぞ?冬から春にかけての話は理解できたな?だが、ここで注意すべきは、季節によって狙い目は変わるということだ。
そして今は夏。盆と夏休みで爺婆からたんまりと金をせしめた子供がわんさかだ。──要するに、森にいるカブトムシとクワガタを捕まえれば、元手無しで子供に売り放題という一攫千金のびじねすが出来る!」
教鞭を振るう教師かのように、婀彌陀羅が声高らかに弁舌を振るう。──この時点で、軛は婀彌陀羅の話が聞くに値しないくだらないものだと即座に判断した。
だが、こんな話にも聞く耳を持つ者がいるから、詐欺はなくならない。
「子供達ノ、ナケナシ、の、金ヲ貪れと?」
「オマエに、血は流、レて、いるのか?」
「その子供達を気遣うよりも前に、貴様らの酷い家をどうにかするのが先だろうが」
婀彌陀羅の指摘に、眩照と傳照が顔を見合わせる。
「ヌ……、どう、思ウ?兄ジャ」
「一利アル、ト、思う」
「いいか?貴様らがこの地に居座り、人間から崇拝されようと努力するのは勝手だが、施しというものはまず、自分が満たされてから行うものだ。己を無下にした無償の善行など傷の舐め合いと変わらん。自分が満たされた後こそ、真の博愛の精神は培われるのだ。
さらに、この社が復活し参拝者が増えれば、それだけお前たちが人間に与えられる恩恵は強くなるのだから、そのための準備、そのための一時的な搾取は悪ではない。よって遠慮はいらん!全てを貪り尽くせ!」
婀彌陀羅の熱を持った力説に、眩照と傳照から感嘆の声が上がる。
「オォ……!」
「勉強ニ、なる!」
「……毎度思うが、お前達に他人を疑う思考はないのか?」
軛の真っ当な指摘にも、何に対し呆れられているのか理解できずにいる2人の姿に、軛はこの光景を見るのも何度目だろうかと記憶を辿る。
眩照と傳照には、婀彌陀羅の体のいい暇つぶしの道具として使われている自覚が薄い。
そろそろこの2人を婀彌陀羅から解放してやるべきではないかと思わなくもないが、そうすればまた次の道具を見つけてくるのだから軛の手に負えない。
眩照と傳照を正気に導こうとする軛を、婀彌陀羅が強い言葉で制す。
「軛、お前は黙っていろ」
「はぁ……お前がぺらぺらと弁を垂れる時は、大抵考え無しの思い付きばかりだろうが。──そもそも、虫など郊外に行けば捨てるほど捕まえられるというのに、金を落とす馬鹿がいるか」
神代町から郊外までは少なからず距離がある。だが、決して子供が行って帰れない距離ではない。
山を迂回する道路を避け、裏道を通れば歩いてでも辿り着ける。自転車を使えばさらに短時間で着くだろう。
事実、夏休みともなれば、郊外には子供の姿が至るところで見られるようになる。
さらに付け加えるのなら、寺や神社が乱立する神代町において雑木林など珍しい物ではなく、ある程度の昆虫採集ならば、山にいかずとも簡単に出来る。
軛の説明を聞き、ようやく頭が働いたか「言われて、みレバ、確かニ……」と、眩照が呟く。
そんな事にも気付けない眩照と傳照は、やはり仕事に就くには向いていない。
騙されたと理解した2人が婀彌陀羅を睨み付ける。
「また、ダマさレる、ところダった」
「お前ハ、やハり、嘘つキだ!」
「貴様ら!親身になってやっとる我ではなく、此奴の方を信じるのか!先程までの我への信頼を何処にやった!」
この漫才のようなやり取りも毎度のこと。
軛があえてわざとらしく長い溜息を吐いてやれば、味方を奪われた婀彌陀羅が軛に食ってかかる。
「邪魔をするでない軛!このぼろぼろの社を見ろ、ごきぶりも住まん有り様なのだぞ!」
この意見に対しては軛も異を唱えるつもりはない。
──見れば分かる程、年季の入った古い社。
掃除はされているのか落ち葉や埃は目立たないが、木製の社──その木目や賽銭箱などは砂埃で白くなっている。
屋根は一部が外れ、壁にはヒビどころか穴まで空いていた。雨漏りを防ぐどころか、これからさらに暑くなれば、虫の侵入率も格段と上がるだろう。
確かに婀彌陀羅の言う通り、酷い有り様だった。
だが、住処を貶された眩照と傳照は、熱り立って反論する。
「そこ、まで酷く、ハ、無い!」
「そうダ!カタ、つむリ、は、いた!」
「それは、そこに植っている紫陽花にだろう?外ではないか」
婀彌陀羅が境内の脇に植っている紫陽花を指せば、図星を突かれたか2人の勢いがとたんに弱くなる。
悔しげに、しかし何も言い返せないでいる眩照と傳照を置いて、婀彌陀羅が軛に詰める。
「どうだ!我の正論であろう」
胸を張る婀彌陀羅の横で、軛は興味なさげに一通り周囲を見回し──、
「お前の住処とそう変わらんだろう」
と、辛辣に切り捨てた。
人が住める状態でないことは確かだ。だが、当事者にとっては些細な違いがあるらしく、「一緒にするな!」と婀彌陀羅喚いている。──その背後で、何かが崩れるような音。
婀彌陀羅と軛が振り返ると、そこでは眩照がショックを受けた様子で地面に項垂れていた。
「……そんな、ニ、酷い、有り様、ナノか?」
「兄ジャ……‼︎」
それを見て、軛はこの2人が婀彌陀羅の縄張りを、その現状を知っていたことを把握する。
眩照と傳照は、この廃神社に勝手に住み着いているだけで、縛られてはいない。
自分たちを神だと信じ、神社から離れたがらないが、外を動き回れない訳ではないのだ。
「婀彌陀羅!兄ジャ、ヲ、悲し、マセルナ!」
「我はなんもしておらんわ!」
兄が沈められたことに怒った傳照が婀彌陀羅に向かっていく。
その矛先が多少ズレてはいたが、原因となった軛に婀彌陀羅を庇う動きはない。元を辿れば全ての発端は婀彌陀羅であるのだから、訂正してやる謂れはないという考えからだ。
怒りの矛先を向けられた婀彌陀羅が、ビシリと傳照に指を突き付ける。
「兄者兄者とうるさいぞ傳照!そういうのを世間ではブ…、べ……?──あ、らじこんというのだ!」
「ブラコンだ」
「ブラコンと言うのだ!」
軛の訂正を受け、もう一度ビシリと指を突き付ける。
「また、知らん、言葉ヲ、ベラベラと!」
「ふん、こんな言葉も知らんのか?いま若者の間で流行っている、兄崇拝と言う蔑称だ」
「蔑称ダと?兄ヲ、崇拝するこトの、何ガ、蔑称か。我ハ、兄ジャのモノで、あるから、次からハ、敬意ヲもって、ぶらコンと、呼ぶといイ」
「もはや、どこから正せばいいか悩む所だな」
軛の冷静なツッコみにも反応する者はいない。
ブラコンを宣言した傳照の言葉に、なにやら考え込んでいた眩照が首を向ける。
「傳照、そうなると、我ノ、呼ビ名も、ブラこん、ニ、ならナイか?」
「兄ジャ、ハ、兄で、弟では無イ。この言葉ハ、弟のみ、が、使用デきる」
これだけは譲れないとばかりに眩照に圧を掛ける傳照に、婀彌陀羅がどうでもよさそうに吐き捨てる。
「お前たちに兄も弟もなかろう」
「有ル!!」
即座に反応する傳照──だが、傳照が一歩近づいたその距離を超えて、婀彌陀羅の体が後退する。
見れば、背後から伸びた軛の手が婀彌陀羅の襟首を掴んでいた。
「邪魔をしたな」
婀彌陀羅を捕まえた軛に対し、「オマエも、大変、なのダな」と傳照が同情を向ける。軛の行動を、婀彌陀羅を諫めるためのものだと好意的に受け取ったようだ。
野良猫のように首から吊るされた状態で、離せと暴れ掴む手を叩いてみるも、軛は既に眩照と傳照の方を向いてもいない。
その様子に、もやは何を言っても無駄かと婀彌陀羅も観念する。
「仕方ない。飼い犬の散歩の時間のようだ」
「そウか、帰レ。もう、来ルナ」
「神、ヘの、拝礼ならバ、許そう」
婀彌陀羅の言葉に眩照が頷く。
別れの言葉と共に、眩照と傳照の身体が糸の切れた人形のように同時に動きを止め、軸を失い傾いた体制のままズブズブと地面に沈み帰って行く。
2人の姿が完全に消えた所で婀彌陀羅が声を上げた。
「饅頭の箱がない」
「持って行かれたか」
「まだ我は2つしか食べておらんというのに!」
そうは言いつつも婀彌陀羅の声に勢いはない。どうせ呼んでも暴れても眩照と傳照が素直に出てくることはないだろう。
住処を見て分かる通り、婀彌陀羅の私生活以上に眩照と傳照の暮らしは逼迫している。
たかが饅頭、されど食い物。2人にとっては貴重な食料だ。
だからこそ、婀彌陀羅も饅頭を手土産とする相手に選び、眩照と傳照もお呼びでない来客を迎えていたのだが……。
貰い物の饅頭を無理矢理奪い返すほど、婀彌陀羅も人手無しではない。
廃神社を出たところで軛が婀彌陀羅を解放する。
掴まれたせいでズレた着物を整えながら、婀彌陀羅が振り向く。
「それで、何か用があったのか?それとも、また我を探し回って徘徊していたのか?」
「──また?毎度お前を探しているような口ぶりはやめろ。散歩をしていたら、たまたま見かけたから声を掛けたまでだ」
「毎度言い訳を考えるよりも、いっそ認めた方が楽なのではないか?」
「事実を述べたまでだ。お前が、また突拍子の無い問題を起こしていないか気にするのは当然の流れだと思うが?」
「我がいつ問題を起こした?我が直接の原因となった事例を挙げてもらいたいものだ」
「そのやり口がことをさらにかき乱している自覚を持てと……、はぁ……そうではない。面倒を引き起こす奴が、面倒な奴らに関わるなと言っているだけだ」
そう言って、いま出てきた神社を振り返る軛に、婀彌陀羅がやれやれと緩く首を振る。
婀彌陀羅には軛の懸念が理解できていた。
眩照と傳照は妖とはまた異なる類の生き物だ。存在的には妖怪よりも魔物に近い。
妖の間でも魔物は対話が難しいとされ忌避される。人に害を加えることが多い魔物が、何故神を気取り人の世界に居つこうとしているのかは不明だが、積極的に関りをもつような存在ではない。
軛が婀彌陀羅を諫める理由もそこだ。警戒心の強い軛は、当初から関りを持たぬよう繰り返し言っていた。
先ほど強制的に引き離された原因も、あの2人に縄張りを知られていることがバレたことで、軛の警戒を強めたのだろうと、婀彌陀羅は確信めいた予想を立てる。
「彼奴ら程度で面倒だなど、お前は余程平和な人生を謳歌しているらしいな?」
「お前が横に居て平和に過ごせるとでも?毎度巻き込まれる俺の身になれ」
「仲間に入れてやらねば拗ねる奴がなにを言う」
聞き捨てならない言葉に軛が反論しようと口を開きかけたところで、空から聴き馴染んだ鐘の音が割り込んでくる。
正午を知らせる学校のチャイムだ。
遅れて、遠くから教会の鐘の音も聞こえて来る。
「もうそんな時間か」
時間を気にする軛に、婀彌陀羅が顔を向ける。
「何かあるのか?」
「小鞠が帰ってくる」
その短い返答で、婀彌陀羅は今日が何の日かを思い出す。
「そうか、今日は終業式だったな」




