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狗憑區☆堕等々々  作者: 八々
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第三話(5) 仇返し

 どちゃ──、血まみれの肉塊が地に落ちる。

 それは無残にも羽を毟られ、首の千切れかけた鳥の死骸だった。


「これだけ捨て置けば、どうにかなるか……」


 ふうと息を吐きながら、婀彌陀羅(あびだら)はもう片方の手に握っていた狐の死骸を無造作に投げ捨てる。

 婀彌陀羅の着物は返り血に染まり、袖口から胸元にかけてはもはや取り返しの付かない有り様になっていた。その限りある面積の内、まだ比較的ましな部分で手に付いた血を拭う。


「ああ、血肉の匂いを嗅ぎつけ出て来るはずだ」


 答える(くびき)の姿も婀彌陀羅と大差ない。むしろ、それ以上に血に塗れていた。

 軛は足元に横たわる猪の死骸を片手で持ち上げ、(おもむろ)に頭と胴を鷲掴む。指先に力を込め手首を捻ると、猪の太い首はまるで瓶の蓋を開けるかのようにたやすく捩じ切られた。

 首の骨が折れる重い音と共に、引き千切られた肉の間から新鮮な血が飛び散る。

 もう染まる隙が無いほど血濡れた着物からは、染み込み切れなかった血液が滴り落ちているが、軛は気にする素振りも見せない。

 血濡れた手をぞんざいに払い水気を飛ばしながら、軛はようやく準備の整った場へ視線を走らせる。


 婀彌陀羅と軛が居るのは、薄暗く駄々広い空間だった。

 内部は薄暗く、全体は濃い灰色をしている。霞の様に揺らぐ壁面は、存在感が希薄でぼんやりしており、地面との境目さえおぼろげで奥行きが見えない。

 床一面に散りばめる様に捨てられた動物の死骸だけが、この空間の広さを伝えてくる。


 捨てられている死骸は鳥や狐、猪といった神代町郊外の山でよく見かける生き物が大半だった。

 これだけの物量を手早く回収するにあたり、一番都合がいい場所が近場の山だったという単純な理由からだ。

 どの死骸も体の一部が千切られ、あえて血が全身を覆うように首が搔き切られている。

 準備の為には仕様のない作業だとはいえ、必要とする死肉の量が多いだけに、集めるだけで手間と時間がかかった。

 常世にいる大型の妖で代用できればよかったのだが、如何せん、こちらの戦闘力に不安がある。


 軛は山で狸を狩るつもりでいたようだが、そこは婀彌陀羅が却下した。

 数だけで考えるのなら、神代町近郊でもっとも生息数が多いのは狸だろう。手っ取り早く狩をするには丁度良くはあるが──後々面倒になると分かり切っている事態を避ける程度の配慮は、婀彌陀羅とて持ち合わせている。

 それでも想定していた量を回収できただけ、成果は上々と言えよう。


 この空間は現世と常世の狭間に存在する、云わば、異次元空間と呼ばれる類のものになる。

 普段、常世の住人が移動手段として使っている通路であり、婀彌陀羅たちが現世と常世を行き来する時に使う異空間と同じものだ。


 空間内部の大きさと歪みの程度によって形状が異なり、通路のように長く曲がりくねっているものや、抜け穴の様なものもある。すべての通路に該当する訳ではないが、歩けば数日はかかる距離をほんの数分で移動でき、通り抜けるだけで現世と常世を行き来できる為、かなり利便性が高い。

 常世の住人にとっては妖術と同様に、ごく自然に使われている移動手段であり、古い生まれの妖達はこの異空間を【(わたし)】と呼ぶ。


 だが、婀彌陀羅と軛が入り込んでいる【渡】は、移動用の通路として作られたものではなかった。

 出口となる穴も通路もない、空間の内部が拡張されただけの【渡】とも呼べない、未完成な異次元空間。

 では、この異次元空間の〝入り口〟は何所に繋がっているのかというと、──犬鳴家のすぐ裏手だったりする。


 薄暗い異空間内部──その壁には無数の小さな穴が空いていた。直径50センチ程の歪な型の穴。

 その穴の中から鳴き声が聞こえてくる。老人の声を無理やり高音にしたかのような、耳に痛い鳴き声。

 1つ1つの声はか細いが、無数にある穴の中から響く鳴き声は徐々に数を増やし、次第に大きくなっていく。


 穴の内部で何かが動く。それは小柄な生物だった。

 外へ這い出てきたのは、人間の膝丈程の大きさをした人型の妖。

 土気色の肌、頭髪の無い目玉だけがギョロリと剥いたシワのよった顔、肋骨の浮き出た骨と皮ばかりの体は腹部だけが異様に膨らんでいる。


『餓鬼』

 子鬼の一種で、常に飢えている物の怪。

 知能が低く妖力も弱い物の怪で、脆弱な能力を補う為に群れで行動する。不浄な場所に巣食い、血や腑などの死肉を好んで食す性質を持つ。

 一昔前は、現世の合戦場などで姿を見かける事が多かった。

 餓鬼にとって戦死者の死体は食料になる。労せず大量に食料を得られる戦跡地は恰好の餌場であり、戦中はカラスの様に遠くから様子を窺い、機を見て死体に寄ってくる。

 弱いが為に生き抜くための危機察知能力だけは高く、勝てると見込める獲物にしか手を出さない。


 この異空間は、餓鬼が〝巣穴〟として作り上げたものだった。

 どうして餓鬼の巣が犬鳴家の側にあるのか?──答えは、小鞠が連れ帰って来てしまったからだ。

 正確に言えば、小鞠の力に引き寄せられた餓鬼が家まで着いて来てしまったのだが、その後始末に追われる婀彌陀羅達からすれば経緯などどちらも大差ない。


「あの小娘にも困ったものだ。魔を引き寄せる能力だけは随一だな」


 死肉の臭いにつられ、巣穴からわらわらと出てくる餓鬼の数を見て、婀彌陀羅が呆れたように言う。


 小鞠は体質柄、不浄なものを集めやすい。

 それも抜きん出て厄介な者ばかり引き寄せるのだから堪らない。もはや一種の才能とも言える。

 当人は霊感がある所為で厄介な事件に巻き込まれている──ぐらいの認識らしいが、その過半数は生来の素質から来るものである。

 自分の体質について自覚が薄いのは、生まれながらにして普通の感覚を知らないからか、はたまた軛が過保護に守っているからなのか。


 そうして今回も、小鞠はその体質を遺憾なく発揮して見せた。

 家まで付いて来た餓鬼が小鞠に対し異様な執着を見せ、犬鳴家の傍に巣まで作り離れなくなってしまったのだ。

 巣をこさえた餓鬼は続々と仲間を呼び寄せ、ついには婀彌陀羅と軛が駆除に乗り出すまでとなった。

 巣に入り餓鬼を駆除するだけならば、能力を制限されている婀彌陀羅と軛だけでも造作ない。だが、巣穴の中にまで隠れてしまった餓鬼を引きずり出すのは手が折れる。

 ならば己の意思で出て来てもらうまで──と、婀彌陀羅と軛は餓鬼を巣穴から誘き出す為に、餓鬼の好む不浄な場を作り上げた。


 本来なら、餓鬼が仲間を呼び寄せる前に駆逐出来ていれば、問題にもならない低級の物の怪だったが、今回は運も悪かった。

 軛とて、犬鳴家(なわばり)に目を付けた餓鬼を見す見す許したりはしない。

 犬鳴家の敷地に足を踏み入れた時点で、その場にいた餓鬼は全て駆除していた。

 だが、軛の存在に気付き、警戒し隠れていた残りの餓鬼までは追おうとしなかった──。恐れをなし逃げ出した数匹の餓鬼など、追うまでもないと放置してしまったのだ。


 通常であれば、軛の対応でなにも問題はなかった。

 普段の食事でもおこぼれを狙うような小狡い知恵しか持たない餓鬼に、自分達よりも強い妖を相手に果敢に挑みにいくような性質など持ち合わせていない。逃げ出したのなら、もう寄ってくることはない。──その筈だったが、小鞠の体質に酔った餓鬼は正常な判断力を見失っていた。

 軛の予測を超え、餓鬼は家の傍に居付いてしまった。後悔先に立たずとはこの事だ。


 いくら嗅覚の鋭い軛と言えど、異空間に身を隠されてしまっては臭いも感知し難くなる。しかも、異空間の入り口は家の裏手──ほんの数メートルとはいえ、家の敷地(なわばり)外に出来ていた。

 さらに、小鞠は常恒的に不浄の気を纏っている。

 その所為もあって、小鞠が纏う何者かの妖気を感じていても、〝また変なモノに会って来たな〟程度にしか捉えていなかった。

 不運にも軛を欺く条件が重なっていき、軛が巣穴の存在に気付た時には、餓鬼の数は考えるのが面倒になる程にまで膨れ上がっていた。

 巣の内部がここまで巨大化したのも、初動が遅れた為だ。


 こうなれば軛1人ではお手上げ状態とのことで、婀彌陀羅が相談を受けたのが事の始まりである。

 面倒がる八瞞を婀彌陀羅が引き連れ、巣穴の位置を確認し、規模を測り──と、充分な準備をしていた筈だった。


(むじな)が調合した香があれば、餓鬼など簡単におびき寄せられたものを……」

「あの狸の話をするな」


 愚痴る婀彌陀羅に、軛が苛立った声で返す。

 今回の件に関して軛は八瞞に協力をしてもらう側であるが、そんなことは協定を結んでいる3人に関係はない。〝持ちつ持たれつ〟それが協定である。

 しかし、当日になってからの待たされた上でのドタキャン、その所為で予定になかった準備に手を焼かれ、無駄に時間を食っている。それに今回の件以上の問題事を持ってくるのが八瞞という男で、振り回される側としては餓鬼の駆除程度で帳消しに出来るものでもなく──、まるごとひっくるめて軛は八瞞が悪いと結論付けている。

 婀彌陀羅も概ね同意している為、何も言わない。面倒な手間が掛かったのは間違いないからだ。


 害獣の駆除の仕方など、鼠も餓鬼も差ほど変わらない。

 駆除するのなら、1匹残さず一気に駆除するのが鉄則である。

 居心地が良い餌場がある限り、餓鬼は際限なく集まり続ける。1匹でも逃したら、その1匹がまた別の仲間を呼び寄せてしまう。


 だが、八瞞が役目をほっぽり出した事で、餓鬼を一斉に駆除するという目下の計画は振り出しに戻っていた。


 八瞞(はちまん)は薬や香などの調合に長けている。

 専門家には劣るが扱う種類は多岐に渡り、入手し難い珍しい素材であっても必要な分量を集められるだけの伝手も持っている。

 本人が言うには、山暮らしが長いおかげで身に付いただけの技能で、それよりも副動的に薬草に体が慣れてしまった所為で、毒も薬も効かない体質になってしまった事に困っているらしい。

 ちなみに、今では調合や呪符作りは趣味に分類するそうだ。


 当初の予定では、八瞞に餓鬼の好む香を調合してもらい、これを巣に置き穴の外へ誘き出す手筈だった。

 巣穴から出しさえすれば、後は逃げられないよう穴を塞ぎ、駆除するだけ──しかし、計画の要となる八瞞が小鞠の行動で離脱してしまった。


 ──ようするに、小鞠が婀彌陀羅と八瞞を家から遠ざけようとして行った行動は、軛の()()の邪魔をする結果にしかなっていなかったという事だ。


 計画が白紙に戻り、取り急ぎ代わりとなる()()を作り上げたとはいえ、効果は充分に見られた。

 死肉の臭いに釣られた餓鬼が巣穴の中から頭を覗かせる。押し合いへし合い、巣穴の外にある獲物が何かを確かめようとしている。

 両手の数で足りない巣穴の数──、その穴の中から覗く餓鬼の数を見て、婀彌陀羅がげんなりした声を出す。


「はぁ、手間が掛かりそうだな」

「影を出す」


 そう言う軛に、「我の方には寄越すなよ」と言って婀彌陀羅が距離を取る。


 婀彌陀羅が離れる気配を感じながら軛は掌を地面に向け掲げ、掌に妖力を集中させる。

 すると影の無い異空間の床に黒いシミが浮かび上がる。シミは影の様に伸び、その中から5匹の犬が出現する。

 その見た目は、影が犬の型に立体化したように見える。5匹に個体差は無く大きさも形も全て同じであり、鋭く尖った爪や牙までが身体と同じ影で構成されていた。吊り上がった眼窩の窪みに浮かぶ眼光だけが、辛うじて生物味を残している。


複顎獣(ふくがくじゅう)

 軛が影と呼ぶ、自らの〝口〟の分体だ。

 より多くの獲物を捉え、腹を満たすという目的の為だけに軛が編み出した能力であり、作り出された影狗の口内は全て軛の胃袋に繋がっている。

 犬のような姿をしてはいるが、影狗自体に意思はない。食欲のままに動き回る軛の第二、第三の自動摂取式の口顎である。


 その為、敵味方問わず腹に収められそうなものを見つけると即座に襲いかかってくる。

 当然、その対象に人も妖も分別などない。

 油断していると尻を噛まれる為、影狗を出す時には婀彌陀羅も軛から距離をとる。


「行け」


 軛が影狗を餓鬼へ放つ。

 5匹の影狗は素早い動きで次々と餓鬼を食い殺し、巣穴の外に出ていた半数がほんの数秒で地面に落ちた死骸と同化した。

 穴の外に出た餓鬼の数が減ると、影狗は巣穴の中にまで飛び込んでいく。

 巣穴の中で暴れ回る影狗に怯え、逃げ出した餓鬼が穴の外へ散り散りに飛び出して行く。


 その様子を遠目に眺めていた婀彌陀羅の前を、逃げてきた1匹の餓鬼が横切ろうとする。


「おっと」


 婀彌陀羅は餓鬼の頭部を横薙ぎの手刀で払う。

 ピギ──と断末魔も上げ終わる前に餓鬼の身体が地面に崩れ落ちる。

 その勢いのまま婀彌陀羅は地を蹴り、軽やかに飛び跳ね移動しながら、逃げて来た3匹の餓鬼の頭部を手刀で潰す。

 影狗の取り漏らしを駆除しつつ軛に目を向けると、軛は長く伸ばした爪で餓鬼の顔面を引き裂いているところだった。

 軛は目を潰され甲高い悲鳴を上げる餓鬼を掴み上げると、顔の前に放る。

 すると黒狗面の前で空間が横に裂け、軛本体の口がガパリと開き、鋭い牙の並んだ口内に餓鬼が飲み込まれ裂けた空間ごと消えていく。

 どうやら影狗を使い減った妖力をその場で補いながら駆除する事にしたようだ。

 軛と同じ方法で妖力を得られない婀彌陀羅は手刀で餓鬼を潰していく。



  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★



 単調な繰り返し作業が続き、暫くすると先程までうるさい程に響いていた餓鬼の鳴き声は鳴りを顰めていた。

 巣穴から飛び出してくる餓鬼の数もだいぶん減った。

 ここまできたら後はしらみ潰しに巣穴を壊して回れば殲滅は完了といったところだ。


 長い作業の終わりが見え、婀彌陀羅が気を緩めた時だった。

 丁度背を向けていた巣穴の中から9匹の餓鬼が一斉に飛び出してくる。

 葬られていく同胞の姿を見て、隠れるよりも逃げる方を選んだようだ。

 その数に婀彌陀羅が驚き半分、呆れ半分に呟く。


「まだこんなにおったのか」


 巣穴の周りには既に150匹近くの餓鬼の死骸が落ちている。軛と影狗達が死骸を食べていなければ、まだ数はあっただろう。

 だというのに、まだ集団で行動出来るだけの数がいた事に婀彌陀羅は素直に驚く。

 婀彌陀羅は即座に『結縛(けっばく)』を放つ。

 両袖から放たれた縄が四方へ伸び、餓鬼の周囲を囲む。腕を交差させると、伸びた縄が勢いよく引き絞られ、縄に囚われた餓鬼を纏めて引き千切った。


 だが、物言わぬ筈の肉塊が動く。

 見れば、地面に這いつくばる体勢で倒れていた一匹の餓鬼が縄の束縛から逃れていた。

 逃げるどさくさで仲間から突き飛ばされたか、慌てて転んだのか、それはどちらでも餓鬼にとって関係はない。

 生き延びた餓鬼は慌てて駆け出した。

 しかし、考え無しに逃げた先には軛が立っている。


「あ、そちらへ逃げたぞ軛」

「チッ、真面目にやれ……!」


 婀彌陀羅の声に軛が爪を構える。だが、婀彌陀羅の声に反応したのは餓鬼も同じだった。

 軛に気付いた餓鬼は向きを変え、無人の壁の方へ走って行く。

 遅れて婀彌陀羅も餓鬼を追う軛に並ぶ。


「彼奴、外に出る気だ」

「1匹ならば──」


 軛は右腕の擬態を一部解き、元の腕に戻す事で爪の届く範囲を伸ばす。鋭い爪を構え、獣の素早さで餓鬼を追う。

 速度を上げ、軛と餓鬼との距離が一気に迫る。

 しかし、振り返りもせず必死に走り続る餓鬼の方が、壁に到達するには一歩早かった。

 餓鬼は醜く小さな手で壁を掻く仕草をする。すると、見る見るうちに壁には餓鬼一匹が通り抜けられる程の穴が開き、餓鬼が身体を滑り込ませる。


「くっ……!」


 振りかぶった軛の爪先が餓鬼の纏う布地を裂くが、寸分の差で肉を逃し、餓鬼の姿は穴の中へ消えていく。

 小さな抜け穴の前で足止めを食った軛の耳に、聞き慣れた少女の声が届く。


『えっ!なになになに!?』


「この声は……」

「間違いなく小娘の声だな……彼奴、まだ学校に行っておらんかったのか」


 声は穴の向こう側から響いてくる。

 どうやら穴の先は犬鳴家の何処かに繋がってしまったようだった。

 元々、この空間は犬鳴家の側に出来ていたものだ。意図せずとも開けた穴が犬鳴家の内部に繋がる確率はかなり高い。

 さらに運の悪い事に、その場に小鞠が鉢合わせているようだ。


 苛立たしげに舌打ちし、軛が腕を振るう。

 餓鬼の開けた小さな穴を鋭く尖らせた爪で裂き、大きく開いた穴の中へ飛び込んでいく。

 それを見送り、婀彌陀羅は溜め息を吐く。


「……毎度毎度、なんと間の悪い娘だ」


 小鞠の運の悪さはどうしようもない天命のようなものだが、それに付き合わねばならない軛も不憫である。

 何とも言いようのない気分を味わいつつ、軛を追って婀彌陀羅も外へ向かう。


 穴から顔を出し外を覗くと、そこは犬鳴家の裏庭だった。

 小鞠の姿は直ぐに見つかった。

 餓鬼に追われきゃあきゃあ叫びながら軛の名を連呼し裏庭を逃げ回っている。

 小鞠の後を追う餓鬼も小鞠の動きに合わせてちょこまかと走り回っている所為で、軛までも無駄に動き回っている。

 餓鬼を切り裂こうと腕を振るうが、予想もしない方向に小鞠が急転換する所為で、それを追う餓鬼も奇妙な動きでもって軛の攻撃を薄皮一枚の僅差で交わし当たらない。


「小鞠!くそっ、何故そっちに逃げる?!」

「く、軛ー!いやーー軛ー!」


 なんとも緊張感のない現状を目の当たりにし、なんだかもうどうでもよくなった婀彌陀羅は全てを軛に任せる事にする。

 のっそりと穴を潜り出ると、裏庭側にある縁側に向かう。

 茶でも飲んで傍観を決め込もうとするが、婀彌陀羅が縁側に腰を降ろした時には結果の分かり切っていた追いかけっこは決着が着く寸前だった。


 埒が開かないと悟ったか、軛は苛立ちで沸る頭を強制的に鎮めると、まずは小鞠の動きを止める為に大きく前方に踏み出した。

 けれど、痺れを切らしたのは餓鬼も同じらしく、軛が踏み出すのと餓鬼が小鞠に飛び掛かかったのはほぼ同時だった。


「きゃあ!」

「小鞠っ」


 小鞠に飛びかかった餓鬼の前に、軛が身体を滑り込ませる。

 餓鬼を正面に捉えながら、背後から小鞠の制服の襟首を掴み左手で地面に引き倒し、右手で襲い掛かった餓鬼の体を引き裂く。

 赤紫色の血をまき散らしながら、餓鬼だったものが地面に落ちる。

 裏庭に乾いた拍手が響く。見事に飼い主を守り切り、餓鬼を仕留めた軛の仕事ぶりを讃え、婀彌陀羅が適当な拍手を送る。

 けれど、追いかけっこの観戦者は婀彌陀羅だけではなかった。


 先程、餓鬼が作った穴の中から、巣穴に残っていた数匹の餓鬼が顔を出し一部始終を見ていたのだ。

 無惨に引き裂かれた同胞の姿を見て、残りの餓鬼が我先にと逃げ出していく。

 仲間意識というものが無い餓鬼は、我先にと方々に散開し、それぞれが新しい穴を開け別次元へ逃げ込んでいく。


「くそっ……」


 苦労して誘き出した餓鬼を逃がし、軛が犬歯を鳴らす。


「いたた……」


 地面に倒れていた小鞠が身じろぎ、上体を起こす。

 軛はざっと小鞠の体に目を通し、小鞠の状態を確認する。引き倒された時に擦りむいたのだろう、膝から僅かに血が滲んでいたが、それ以外に外傷は見られなかった。


「他に怪我はないのか?」


 小鞠を見下ろしたまま、軛が問う。


 手ずから抱き起こすような真似はこそしないが、軛の声からは小鞠を心配しているのが伝わってくる。

 軛が心配をする程に関心を寄せる相手はそう多くない。けれど、その少数の中に自分が含まれている事も小鞠は自覚していた。

 軛から向けられる特別に、緩んでしまいそうになる顔を必死に取り繕いつつも、見上げた小鞠の表情が一瞬で驚愕に代わる。


「ひぃええ、く、軛の方が血だらけなんだけど!だ、大丈夫なのこれ?!婀彌陀羅さん!ちょっとどういうことか説明をしてください!」

「騒ぐな小娘、ただの返り血だ。我も血塗れだろうが」

「ひいっ、そんな格好でそこ座らないでくださいよ!!」

「もう遅い」


 廊下に落ちた乾いて粉になった血を指先で掬い、パラパラと散らして見せる婀彌陀羅に、小鞠が「あぁ!!」と悲鳴を上げる。

 血の粉が風に舞い上がり廊下の奥まで飛んで行くのを見て、


「ちょっと!誰が掃除すると──、」


 婀彌陀羅に言い募ろうとした小鞠の上に影が差す──と、同時に聞き慣れた低く籠った声が割り込んだ。


「あーあ、可哀想ニー。わんわんが乱暴するから膝擦りむいちゃってるジャン」


 小鞠の前に立っていたのは八瞞だった。

 普段と変わらぬ様子で横に立つ八瞞に、軛が押し殺した声で問う。


「……いつから居た」

「今だよ」


 ぬけぬけと答える八瞞の様子に、軛のこめかみに血管が浮き上がる。

 軛の問いには、〝いつから戻って来ていた〟という意味も含まれている。

 計ったかのように全てが終わったタイミングで現れた八瞞に、もっと前から様子を窺っていたのではないかと疑ぐっているのだ。

 そして、八瞞の享楽趣味を知る者からすると、この予想はあながち外れもしていない。しかし、八瞞が素直に認める筈もないので、疑いは疑いのまま決着の目処もない。


「俺達を待たせるだけ待たせた挙句裏切っておいて、よくもヌケヌケと此方側に立っていられるな」

「やだな~女の子優先なのは当然デショ?」


 憤る軛を手でシッシッと無碍にあしらい、八瞞は小鞠の前にしゃがみ込む。


「女の子には優しくしないと、ネ」


 優しい声音でそう言いながら、袖口から取り出した1枚の布を適当な大きさに折り曲げると、出血している小鞠の膝に巻き付ける。


「傷が残ったら大変だかラ」

「は…はぁ……」


 小鞠から困惑した声が漏れる。

 異性に怪我を手当てされるなんてシチュエーション、本来であれば恋に夢見る小鞠が喜ばないはずは無いのだが、その相手が防腐面を着けた顔も分からぬ妖で、しかも動物園の狸の写真を見て意気揚々と女あせりに会いに行くような相手では嬉しくもなんともない。

 口の端を引攣らせ、頑張って愛想笑いを浮かべる小鞠に気づいているのかいないのか、


「あ、それト──、」


 八瞞は布の結び目をぎゅっと締めながら話を続ける。


「?」


 八瞞の動きを目で追っていた小鞠は、その指先に力の入った締め方に違和感を感じた。

 足に巻かれた布には厚みがあった。薄布のハンカチやガーゼ等とは違い、しっかりと結び目に力を込めないとすぐに解けてしまう程度の厚みがある。

 そこまで思考が巡り小鞠は気付く。自分の足に結び付けられた布の色と材質にやたらと既視感がある事に。


(あれ?この布ってまさか……)


 既視感の正体に気付いた小鞠の頭がじわじわと現状を理解し始める。

 そう、毎日の様に見慣れた、今も身に付けている制服と同じ生地──。


「あの写真、1枚アライグマだったヨ」


 平坦な声で告げられた言葉を聞くや否や、小鞠の背筋にぞわりと悪寒が走る。

 同時に、自身の異変に気付いた小鞠の肩が跳ねた。

 背後がやけにスースーする……主に腰から臀部にかけて──。

 異様に風通しの良くなった自分のスカート部分を恐る恐る振り返り、小鞠が声にならない悲鳴を上げる。

 目に入るのは、今朝自分で選んで履いたレースの下着。

 信じられない事に、スカートの後ろ部分が大きく正方形に切り取られ、尻が丸出しになっていた。

 反射的に両手を広げお尻を隠そうとするが、小鞠の掌程度の大きさでは面積が足らない。

 その臀部に婀彌陀羅と軛の視線が向かっている。

 いつの間にか縁側から離れ軛の横に立っていた婀彌陀羅が小鞠の尻を指先し軛に問う。


「あれは、婆婆色というやつか?」

「ベージュだ」


 婀彌陀羅に対し冷静に訂正している軛の言葉に、小鞠の顔が熱せられた鉄の様に真っ赤に染まっていく。


「──ぃ、いやぁあぁあーーー!!!!」


 今年一かと思える渾身の叫びに、婀彌陀羅たちが揃って耳を塞ぐ。

 小鞠は猫が飛び跳ねるかのような勢いで立ち上がると、器用にも尻を手で覆い後退りながら裏庭から逃げて行く。角を曲がり、家屋の壁で姿が見えなくなったところで、どさっという音に続き「ぐげっ!」と、悲鳴が聞こえて来た。──どうやら石にでも躓いて尻餅をついたようだ。


 まさに脱兎の如く逃げ出した小鞠を見送り、八瞞が態とらしく首を傾げてみせる。


「アララ、まずかったかナ?ちょうどいい布が無かったから娘っ子のを拝借したんだけド」

「悪意しか無いだろう」

「完全なる善意だヨ」

「良くやった狢。彼奴は最近ちょーしに乗っておるからな、これぐらい痛い目をみせんと」

「だから善意だってバ」

「小鞠よりもまず先に反省すべき奴が何を言っている。貴様に善良な部分などないだろうが」


 忌々しげに八瞞を顎で指し訴える軛の様子を見て、婀彌陀羅は八瞞を見上げる。


「ふむ。これに関しては、後でじゃんけんで決めるか」

「決まりだな」


 意見が取り入れられ軛が満足そうに頷き、八瞞が軽い舌打ちを打つ。けれど、八瞞に反省は見られない。


「ハ~、次はもうちょっと、ぽっちゃりした娘がいいナァ」

「「…………」」


 小声で呟かれた願望に、婀彌陀羅と軛が黙り込む。抑揚のない声に八瞞の本気度が伺えるのが嫌だった。


「……まぁいい。狢が戻ったのなら元の計画通りに進められる。小生意気な小娘も少しは懲りただろうし、次は邪魔すまい」

「……厳密には小鞠は何もしてないのだがな」


 小鞠がした事といえば、動物園に行き写真を3枚用意しただけ。

 女を優先したのも、約束を反故したのも、全て八瞞がした事だ。

 だが、軛の呟きに同意する者はいない。軛と家から追い出されようとした者では立場が違うようだった。──逆恨みもいいところだ。


「もうっ、いやーこんな生活――――!!!」


 犬鳴小鞠は、普通だと思い込みたい────変わった女子高生だ。



  ☆★☆★☆★☆★☆★☆★



 ぶわりと軛の体が膨脹する。

 腕や足が太く伸び、顔が長く伸び、全身が濃い灰色の毛で覆われていく。

 現れたのは巨大な犬の姿──、これが軛の本来の姿だ。

 面積の広くなった頭部に合わせて形を変えた狗面の覗き穴からは赤い眼光が鈍く光っている。


 獣の姿となった軛が、唸りを上げ勢いよく餓鬼の群れに襲いかかる。

 小さく脆い骨ばかりの餓鬼の体は、一噛みで引き裂かれていく。

 両足で餓鬼を踏み潰し、尾で逃げ惑う体を引き倒し、いたずらに肉を引き裂き骨をかみ砕く。


 ぎおっ ぎゃあ ぎゃぎひっ


 悲痛な断末魔もろとも大勢の餓鬼が腹の中へ飲み込まれていく。

 血肉で汚れた裂けた口端が吊り上がり、鋭い犬歯が剥き出しになる。

 威嚇か、脅しか──、けれどその顔はまるで笑っている様にも見える。

 この場に似つかわしくない、狂った(イカレタ)笑み。


「おお、コワ♪」

「軛め、遊んでいるな……」


 軛は逃げようとする餓鬼を前足で踏み付け、殺しもせずに体重をかけたまま他の餓鬼を食い荒らしている。

 逃げられないと判っているからか、随分と余裕の見える狩りだった。


 側で待機している婀彌陀羅と八瞞は、異空間に残っていた獣の死骸を積んで腰掛け、餓鬼の駆除を完全に軛に任せてくだらない会話で暇を潰す。


「やっぱりSっ気あるよネ、あの犬」

「えすつけ?」

「加虐性があるって意味」


 八瞞の言葉に婀彌陀羅は何かを言おうとして止める。「何か言いたそうだけどナニ?」と問う八瞞の声を聞き流す。

 八瞞から逸らした視線を軛の方へ戻し、楽しそうに腹を満たしている様子を見て溜め息を吐く。


「……長くなりそうだな」

「婀彌ちゃんが声かけたら渋々止まるとおもうけど」

「むしろ、止めに入った我ごと喰われそうだが?」

「ん〜、五分かナ」

「五分か」


 五分の確率で喰われると分かっていて近づく馬鹿はいない。

 そうなれば、残された選択は一つしかなくなる。

 婀彌陀羅は頬杖をつき餓鬼と戯れる軛を眺める作業に戻る。


「気の済むまでやらせてやれ。子の成長は黙って見守るのものだ」

「お前は何を育ててんノ?」


 軽口に婀彌陀羅は欠伸で返す。

 餓鬼の悲鳴が不協和音を奏でる中、少しの間を置いて八瞞が口を開く。

 何の感情もこもらない、静かな声。


「──こんなのとよく一緒に暮らせるよネ、あのポニテ娘」

「ふっ……、本人たちが望んだ結果だろう?」


 婀彌陀羅が喉を鳴らし、心底可笑しそうに嗤う。

 その性質の悪い笑みに釣られ、八瞞の口端も上がる。

 そして、婀彌陀羅に向き直ると、至極楽しそうな声で言う。


「なぁ、餓鬼の出所探して来てやろうカ?」


 探してやろうか?と口にしてはいるが、ニヤニヤと嗤う八瞞の様子からは、既に餓鬼を仕掛けた元凶が誰なのか検討が付いているようだった。

 小鞠は憑かれやすい。妖にも好かれやすく、今回のような騒動は珍しくない。しかし、意図的に小鞠が餓鬼と引き合わされたとなればまた別の問題が出てくる。

 だが、婀彌陀羅はそれに答えない。

 八瞞の言葉を無視し、ぐっと大きく伸びをする。


「まぁ、こんな日もあっていい。たまに余興でもなけれは…………ふぁ〜、暇で暇でやってられん」


 餓鬼の苦鳴が響く中、婀彌陀羅はゆるい欠伸を溢した。

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