11話 過去の告白
「げっ」
扉の先にグリンセットが立っているのを確認したハインツの喉からついて出た言葉。ふいに出てしまったとはいえ、ハインツはしまったという雰囲気をまとったまま一歩後ずさった。
「お久しぶりですね」
グリンセットは特に気を悪くしたという様子もなく寛人たちを一瞥する。
「グリンセット、この人たちは僕のお客さんだから。みんなにもそう言っておいてくれないかな」
「かしこまりました。ではすぐに準備を――」
「いや、僕の部屋に通すから気は使わなくていいよ。用があったら僕のほうから声をかけるから」
「かしこまりました」
一言、それだけ言うとグリンセットは一礼し、静かにその場を去った。
再び静寂が支配しだした雰囲気を払うようにチークがマーズに、
「よかったの? 言ってしまえば私たち素性が知れない不審者でしょ? マーズは次の当主みたいな立ち位置なのに」
「大丈夫ですよ。グリンセットたちに準備させずとも、客人をもてなすことくらい僕にもできます。それに――」
マーズは一拍おくと
「僕はいつでも見られてますから」
マーズはどこか困ったように笑うと、部屋に案内すると歩き出した。見られているというのはおそらく『監視』という意味の見られているだろう。次世代の指導者になりえるマーズはいつ何たる時も監視され、期待されているはずだ。先を歩くマーズの背に今までも、そしてこれからも血の重圧がのしかかっているように見えた。
足音をほとんど吸ってしまう落ち着いた色の絨毯の上をしばらく行き、階段を上がった正面がマーズの部屋だった。これまた立派なドアを開いてマーズは寛人たちを中に通す。
「それほどきれいでも広くもないですが……」
マーズのその言葉を寛人たちは一様に否定する。マーズの自室は入り口から部屋の全体が見渡せないほど広く、潔癖症の人間が見ても掃除するところはないと言うくらい掃除が行き届いている。これが個人の部屋だというのが信じられないほどだ。壁に備え付けられた大きな本棚にはびっしりと本が詰め込まれている。
「広い部屋だな……てか、これ部屋か?」
「これでも姉の部屋より狭いくらいですよ。皆さんはこちらで待っていてください。今お茶を入れますから」
マーズが勧めてくれたいかにも高そうな椅子におっかなびっくり腰を落ち着けた寛人は部屋の四方のうち二方を占める本棚を眺めた。背表紙にはこちらの世界での公用語なのだろう、日本語の題が印字されている。数百じゃすまないだろう本は年季が入ってぼろぼろのもあれば、まだ手に取られたばかりのようにきれいなものもある。
「マーズは読書家なのね。これ全部読んだの?」
お茶を入れるマーズの背にチークは感心したように言う。四人分の紅茶を入れたマーズはトレイにカップを乗せ、落ち着いた手さばきでそれを寛人たちに配ると、
「まぁ、僕は姉と違って時間が有り余っていますから。本を読むくらいしかやることがないんです」
マーズは一口紅茶を飲み、そして息を吐いた。
「皆さんは姉に会いに来たと、そうおっしゃっていましたよね?」
突然の確認に、寛人たちは顔を見合わせ、揃って首を縦に振る。
「そうであるなら、僕たち兄弟のこと、そしてソレイユ家について語らねばなりません。どうして姉が冒険者をしていて、そしてまたここに戻ってきたのかも」
「何かのっぴきならない理由があるってことか」
「そうです。だから姉に会う前にまず、話を聞いてほしいんです」
マーズはまっすぐ、寛人たちを見据える。ルナに向き合うために、まず目の前の少年、そしてこの家にも向き合う必要があるらしい。寛人たちは目線のみで確認を取り、マーズの話を促した。
「少し長くなってしまうと思います。そうだな……まずは――」
◇
「僕には母との記憶も、思い出もありません。僕がまだ生まれて間もないころ、死んでしまったんです。母は優れた軍人だったそうです。そしてある戦場で命を落としてしまいました。だから僕の脳には母のぬくもりという感触はこれっぽっちも刻まれてないんです。でも、寂しくはありませんでしたよ。父と姉、そしてグリンセットをはじめとするみんながいつもいてくれました。もちろん、何で自分には母親がいないのかといくども疑問に思い、何とも言い表せない孤独を知って、自分の運命を呪うこともありました」
「自分で言うのもあれですが、僕は愛されて育ちました。何不自由なく。でも、僕には欠けているものがあったんです。――一言でいうのであれば力。僕は生まれつき体が弱かったんです。小さいころはいつも咳ばかりしていたのを覚えています。冒険者の皆さんに笑われてしまうでしょうけど、少し運動しただけでも倒れてしまう始末で。今はある程度の体力が付きましたが、それでも同年代の子に比べたら全然でしょう」
「今のソレイユ家の当主は僕の父です。その子である僕たち兄弟は姉と僕しかいませんから、必然的に男である僕が家を継ぐことになるはずでした。一応、今でも僕が家を継ぐと、外見上は取り繕っていますが、それは違うんです。先ほど言った通り、僕には力がない。ソレイユ家は代々帝国に仕える将軍を輩出してきた名家ですから、本来なら長男である僕がその座に収まるはず。でも僕は次期将軍としては力がなさ過ぎました。そこで白羽の矢が立ったのが姉だったんです」
「僕がいつまでたっても病弱なことで父は僕に後を継がせることをあきらめたんでしょう。父は姉に家を継がせようと決めました。姉は父に似て頭もよくて、運動神経も抜群ですから。姉は嫌ともいわずに黙々と勉学に励みだしました。いつも僕の相手をしてくれて、そしてそれ以外の時間はずっと厳しい訓練や退屈な授業。姉が気持ちを押し殺しているのが幼い僕でもわかりました。でも姉は絶対に弱音を吐いたりはしませんでした。気持ちでも本当に強かったんです。悔しかったです。見ていることしかできない自分が。力のない自分が」
「そんなある日、いとこのアルートという人がふらりとやってきたんです。いまから五年位前だったと思います。アルート兄さん――僕たちはそう呼んで慕ってました。その人は冒険者でした。家のしがらみから逃れ、自由を手にした、いつも笑顔で、頼もしい。本当の兄のように僕たちに接してくれました。アルート兄さんは僕たちにいつも冒険者の話をしてくれました。世間、世界というのをほとんど知らなかった僕たちはいつも兄さんの話に心躍らされ、夢を見ました。姉はその夢を本当にかなえたいと思ったんです。自分も冒険者になりたいと」
「その兄さんも、この世にはいません。あるクエストで命を落としてしまったんです。突然でした。いつもやってくる兄さんが、あの強くて優しい兄さんが、突然いなくなってしまった。二度と会えない存在になってしまった。記憶にない母を亡くした時より、僕は悲しくて、しばらく泣き続けました。姉はそれでも人前で涙を見せませんでした。次期当主としての自覚がそうさせていたのかもしれません。姉は今まで以上に鍛錬に励みました。力をつけるために」
「でも、あきらめきれなかったんです。僕が気づいていたくらいですから、姉も自分の気持ちくらい、理解していたんでしょう。冒険者になって、世界を見て回りたい。たったそれだけ。言ってしまえば、普通の人ならいつでもなれる冒険者になることは姉にとって本当に憧れでした。自由と、興奮と、それを共有する仲間を、姉は兄さんからいつも聞かされていました。その兄さんに近づきたい、同じ景色を見たい。ただそれだけを願って、姉は一年と少し前、家を出て行ったんです」
◇
「――あとは知っての通り、冒険者をしていた姉は突然、この家に戻ってきました」
マーズはそう締めくくった。
ほとんど口をつけていない紅茶は、当に冷たくなっていた。




