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12話 存在意義

 ルナ=ソレイユ。帝国に仕える将軍家の家に生まれ、つい最近まで冒険者という隠れ蓑を着ていた少女。彼女は自室のベッドにうずくまっていた。

 南に面した大きな窓からは本来、暖かな日の光が差し込んでいるはずだ。うららかな春の日、花々が咲き乱れる都、タルキスの象徴であるソレイユ家の屋敷の一室に彼女はいた。


 窓にカーテンを引いているため、日が高い時刻だというのに室内は薄暗い。昨日の夕に帰り着いてからというもの、ルナは一度も部屋から出ていない。じっとベッドの上で座り込み、布団にくるまり、ただ無為に時間をつぶしている。この一年、冒険者として生きてきたルナにとって、一番退屈な時間であり、憂鬱な時間だ。ただ、何も無意味にじっとしているわけではない。頭の中では様々な感情が頭をもたげては消え去り、過去の記憶がふと思い出したと思えば、今現在の状況の憂鬱な気持ちによって上書きされていく。頭の中はいつも以上にクリアで、己でも恐怖を覚えるくらい思考が生まれる。


「……」


 ルナは再び布団に潜り込む。頭まですっぽりと布団をかぶることで、その視界は完全に闇一色になる。鼓膜に届く音も自分の吐息だけ。感じるにおいは柔らかい布団のにおい。外界から受ける刺激から逃れるように、彼女は布団の中で小さくなり、きつく目を閉じた。

 が、五感をなるべくシャットアウトしたことによってか、彼女の脳はより速く回転を始める。小さいころのたわいもない思い出を脳の奥底から引っ張り出し、忘れていた約束や会話が今ここで行われているように頭の中に響き渡り、神ですら知っているかどうかわからない自分の未来の姿まで脳裏にはくっきりと映し出された。

 それを振り払うように眠りに入ろうとするルナ。だが彼女の脳は主人を眠らせまいと躍起になったようにある記憶を突き付けた。聞こえてくるのはもう懐かしいとさえ思い始めた、たった数人の仲間たちの声。次第に大きくなってくるその声はもう聞くことがないはずで、そして聞きたくなかった声。声がしたかと思えばいつのまにか彼らはルナのそばにいて、いつも通り、たわいもない話を始めた。耳をふさいでいるルナにかまわず、笑顔で。


「――なんで、消えないのよ……」


 歯を食いしばって、いくら寝返りを打っても彼らは立ち去ることをしなかった。そんな中、仲間の中でただ一人、一言も発することなく、仲間たちの話に耳を傾け、ときどき相づちを打っては静かに微笑んでいただけの青年が突然、ルナの目を見つめた気がした。青年の瞳はルナを射止め、そして静かに言うのだ。



「ルナは、どうしたい?」



 瞬間、ルナは布団をはぎ取って勢いよく起き上がった。妙な汗が顔や手に浮かび、冷たい雫が背を伝った。若干あれた息を整えるべく、大きく息を吸い込む。変わらない部屋のにおいとともに肺に空気が流れ込む。彼女が静かに息を吐き、部屋を見渡した時にはもう、声は聞こえなくなっていた。

 だが、彼女の頭に反響した最後の一言だけは、先ほど以上に鮮明に頭に浮かび続けている。青年が言ったわけでもないのに、ただルナの脳が勝手に作り上げた虚像が発した言葉であるのに、どうしても偽物だとは思えなかった。


「もう……いいのに……」


 ルナが小さく言葉を吐いたその時、しばらく鳴っていなかった戸をたたく音が乱暴に響いた。


「ふにぇっ!」


 思考を破壊するように響いた音におかしな声を出しながらも、ルナは戸のほうをじっと見つめた。数回叩かれた戸は今はしんとしている。が、あの一枚向こうに誰かが立っていることは間違いがない。ルナが用心深く戸をにらんでいると、次に聞こえてきたのは声だった。


「ルナ、いるか?」


「っ!!」


 聞こえてきた声は紛れもなく先ほど脳内に流れていた仲間のうちの一人の声だ。よく響くバリトンの声は相も変わらず。突然すぎて声を忘れたルナに追い打ちをかけるように、


「ルナ、大丈夫? そこにいるんでしょ?」


 最も親しい女友達の声。いつもの弾むような調子ではなく、自分を心配してくれているのかどこか寂しげな声色だ。

 ルナはベッドからおもむろに立ち上がり、ペタペタと素足で戸の前まで進んだ。分厚い一枚板でできた戸の向こうに、確かに誰かがいる気配がする。


「あ、やっぱり黙ったままだけど、ヒロトもいるぜ。なになに……《ルナ、元気か?》だってさ」


 戸の向こうで広がる景色が手に取るように分かった気がした。つい数日前まで自分がいた場所。そこから声がしている。


「いきなり来てごめんね。でも私たち、ルナが心配で……」


「マーズに屋敷に入れてもらったんだ。もし今いいなら、ちょっと話でもしないか?」


 鍵を開けて、仲間のもとに帰りたい。そこにいる彼らにすがりたい。ルナは願った。いつの間にか手をかけていたノブに力が入る。


 だが。


「……」


 そっと、ノブから手を放す。わかっている。ここで部屋を飛び出して、仲間の胸に飛び込んで泣いて、事情を説明したからと言って、それで何が変わるというのか。

 変わらないだろう。一時的に自分は救われる。でも、きっと、後でよりつらくなる。弱音を吐いても何も変わらない現実に、目を背けられない過去、そして未来に正面から向き合えなくなってしまう。そして仲間にこれ以上踏み込んでもらいたくなかった。ただお互いに未練を残すだけだ。


「ごめんね……」


 もう戻らない。この屋敷に帰ってきたことで、自分の運命を受け入れたことで。そして誓ったのだ。あの過去に背を向けて、きれいさっぱり忘れてしまおうと。


「いきなり押しかけたのは謝る。でもさ、何か言ってくれないか?」


「私、せめてもう一回だけでも、ルナの顔が見たいよ」


 ルナの声は厚い木の戸に阻まれて仲間のもとには聞こえなかったのだろう。ただ向こうから一方的に続く声にルナは背を向けた。ゆっくりと戸から離れる。決して戻らない過去に、もう振り返らないと誓うために、彼女は声を無視する。


「ルナ」


 その声に、ルナの足が止まった。一番、聞きたくなかった声だ。その声はかつての英雄と同じように、やさしくも、強さを内包している。

 ルナが耳をふさぐより前に、その声はつづけた。


「お前は、どうしたい?」


「……」


「『俺たちが』とか、『親が』とか、『兄弟が』とか、そういうのじゃない。ルナ、『お前自身が』どうしたいんだ。どうありたいんだ」


「……」


「答えを後で聞かせてくれないか」


「……」


 ルナが何することもできないでいると、部屋の外で足音が聞こえた。それは徐々に小さくなり、やがて消えていった。


「ヒロト……」


 声とともに、涙もこぼれた。

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