第2話:初めての献上品と冷たいぬくもり
#ヤンデレ #執着 #ダークロマンス #ホラー #創作
その朝、エドはいつもとは違う感覚で目を覚ました。東京に足を踏み入れて以来初めて、胸のつかえが消えていたのだ。それどころか、奇妙なアドレナリンが湧き上がるのを感じていた。
ズボンのポケットの中で、彼はある物を握りしめた。昨日の騒動の後にこっそりと奪った、佐藤の消しゴムだ。小さく、価値のない物。だがエドにとって、それは人生で初めて手にした「勝利の象徴」だった。
「エド、朝ごはんよ」
台所から母親の声がした。彼女の顔には疲れが滲み、目の下の隈が異国での適応がいかに困難であるかを物語っていた。
エドはただ頷き、素早く食事を済ませると家を出た。勉強のためではなく、ただ「彼女」に会うために、学校へ行くのが待ちきれなかった。
【旧校舎・三階】
靴が見つかっていないため、裸足のエドの足音が、朽ちかけた廊下の板の上で「ペタ、ペタ」と静かに響いた。トイレのドアを押し開けると、塩素と埃の香りが古い友人の抱擁のように彼を迎えた。
エドは三番目の個室へと歩み寄った。そして、佐藤の消しゴムを錆びついたハイタンクの上に置いた。
「花子さん……贈り物を、持ってきたよ」
エドは囁いた。その声は、恐怖と憧憬の間で震えていた。
しばしの静寂。すると、トイレの中の水面が理由もなく小さく波立ち始めた。エドの周囲の気温が急激に下がり、吐き出す息が白く染まる。
「……贈り物?」
背後から声がした。エドが振り向くと、個室の隅に花子が立っていた。赤いスカートは昨日よりも鮮やかに見え、それは彼女の青白い肌と残酷なまでのコントラストを成していた。花子はしなやかな指先でその消しゴムを取り上げた。
「これ……憎しみの匂いがするわね」
花子はその匂いを嗅ぐと、うっとりと微笑んだ。総毛立つような、それでいてエドの心をかき乱す甘い微笑みだ。「この持ち主に、何かしてほしいの? エドくん」
エドはゆっくりと頷いた。「彼が……僕を、死にたくなるような気持ちにさせたんだ」
花子が近づいてきた。直接触れてはいないが、その小さな幽霊の体から放たれる冷たいオーラをエドは肌で感じた。
「いいわ。じゃあ、少し『お仕置き』をしてあげましょう。あなたへの愛の証として」
【四時間目:算数】
教室の中は静まり返り、黒板を叩くチョークの音だけが響いていた。エドの前に座る佐藤は、時折後ろを振り向いては威嚇するような視線を投げかけてくる。
だが突然、鉛筆を握っていた佐藤の右手が激しく震えだした。
「あ……れ……?」佐藤が困惑したように呟く。
次の瞬間、エドの目が見開かれた。点滅する蛍光灯の光の下で、彼は「それ」を見た。血のように赤い小さな手が佐藤の机の下から現れ、少年の手首を力強く掴んだのだ。その手は透き通っていたが、恐ろしく強靭に見えた。
――メキッ!
小さな骨がずれる音が響いた。佐藤が悲鳴を上げる。握っていた鉛筆が折れ、不自然な力に押された鋭い芯が自らの手のひらに深く突き刺さった。
「手だ! 赤い手が俺の手首を!」
青ざめた手首に残る小さな指の跡を押さえながら、佐藤が叫び声を上げる。
教室はパニックに陥った。教師が泣き叫ぶ佐藤のもとへ駆け寄る。その混乱の渦中で、エドだけが静かに座っていた。彼が窓の外へ目を向けると、暗い窓ガラスの反射の中に花子が立っていた。彼女は楽しげに手を振ると、そのままふっと姿を消した。
【放課後】
帰宅する前に、エドは再び三階のトイレを訪れた。洗面台の前に立ち、鏡を見つめる。
「ありがとう、花子さん」
心の底から出た言葉だった。
鏡の中に花子が現れた。その顔は以前よりもはっきりと見える。彼女は鏡の表面に手のひらを押し当てた。エドも同じように手を重ねる。ガラスに隔てられているにもかかわらず、エドは心臓まで凍りつくような冷気が伝わってくるのを感じた。
「エドくん」
鏡の向こうで花子の唇が動いた。「これはまだ始まりよ。あなたが『献上品』をくれるなら、私はあなたの盾になる。この世界でもう、誰もあなたに触れさせない」
エドの心に、ある種の執着が芽生え始めていた。友達も、先生も、親のことさえもどうでもよくなっていた。この残酷な世界で、鏡の中の幽霊だけが自分を本当に必要としてくれている。
エドは顔を近づけ、冷たい鏡の表面に唇を寄せた。目を閉じ、鏡の割れ目ではなく、花子の柔らかい唇に触れているのだと想像した。
鏡の向こうで、花子は鋭いヤンデレの眼差しで微笑んでいた。彼女はただ守りたいのではない。エドを、その全てを独占したかったのだ。
「もっと私を愛して、エド……現実の世界なんて、もう必要なくなるくらいに」




