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02 『ライスピアの誕生日!!』


 アルフェウヌの自室から弟ライスピアの部屋まではそれほど遠くないのだが、残念なことに隣同士というわけでもない。上の階や下の階へ行くためのかね折れ階段や、他の部屋も少しだけ挟むのだ。


 アルフェウヌは形振り構わず、ノックもせずに弟の部屋のドアを勢いよく開けた。そして、


「ライスピア! おはよう!」


 大きな声で挨拶をした。勢いよく開けた部屋の中を探すように見渡してみる。そこも当たり前のように綺麗な部屋だった。すると部屋の左奥――勉強机に向かって椅子に座っている弟の姿が、そこにあった。


 弟ライスピアは大きい挨拶に肩を震わせて、恐る恐るアルフェウヌのほうを見ると、すぐに優しい顔をして答えてくれる。


「おはようございます、兄上」


 アルフェウヌに比べても落ち着いているライスピアは見た目だけなら眩しい美形だ。

 金色の髪に赤朽葉の瞳――青色系統の落ち着いた見た目をしているアルフェウヌとは真逆。腹違いといえ、兄弟なのにここまで違う。


「ん? まだ勉強しているのか? 偉いな」


 確か零時丁度にプレゼントを渡しに会いに行ったときもずっと机に向かって作業をしていた。プレゼントを渡しに来ておきながら、もう真夜中だから早く寝ろと言ったはずなのだが――この調子だと徹夜していそうだ。


「いえ。名前は伏せますが……弟から不老不死の薬を作るのを手伝えと言われましたので、でも僕は役立たずですから、せめて出来ることをと思いまして。その数式をまとめているところなんです」


 弟、ライスピアは無自覚にも天才なのだ。不老不死の薬を作るための数式があることすらアルフェウヌは知らないし、まぁ多分ライスピアが独自で生み出しのだろう。独自の数式を編み出すくらいライスピアからしたらどうってことないのだ。


「今のところ三日間、徹夜してて」


 物凄いことを付け足されたような気がするが、それは一旦置いといて。ライスピアにそれを頼んだ弟というものにアルフェウヌは心当たりがあった。


「……ローナルスから頼まれたのか?」


 その名前にライスピアは息を呑み、


「なぜそれをっ!? 言ってもいないのに……」


 手本のような図星の反応を返された。


 ローナルス・ゼル・アウリム――第四皇子であり、彼もまた大切な弟の一人だ。確か齢はまだ五歳。

 その歳で趣味だからと薬開発に勤しんでいるなんて天才すぎやしないか、とアルフェウヌは誇らしく思う。


「ローナルスしかいないだろう。そんなことを頼む弟なんてのは……」


 分かりやすすぎるライスピアの反応に、アルフェウヌは呆れて嘆息をついた。

 誕生日の相手に頼む側も頼む側だが、頼みなら何でも受け入れるライスピアも大概だ。ライスピアが優しいと言えば兄としてそれはもちろん否定しない。


 しかし、優しい性格とイエスマンの無償頼まれ屋は違う。


「嫌なら断れ。ライスピアはそこにいるだけで俺の役に立っているからな」


「でしたら、その、兄上は弟の願いを断れるのですか?」


「無理だ」


 我ながら凄まじいほど即答だった。弟や妹から頼まれたことを断るなんて、罪悪感で死にたくなってしまう。

 するとライスピアから呆れられたような、冷たい目を向けられた。


「ではどの口が言ってるんですか」


「俺は断りたくないから断らないんだ。弟や妹の願いを断るなんてことがあれば俺は俺を許せなくなる。まぁ、ライスピアもそうだというのなら俺はそれを尊重するが」


 社会人で例えると、今のライスピアの生活はブラック企業に勤めている社畜だ。訪問する限り毎回、勉強か誰かからの頼まれごとで最低三日連続で徹夜している。


 アルフェウヌがここに訪問するペースは週に二回は最低でもあるため、睡眠時間が心配なのだ。それ以前に本当に睡眠時間を確保できているのだろうか。仮眠は取っていてほしいが、ライスピアの性格からするに目標が終わらない限り多分休憩すら挟んでいない。


「僕はただ皆んなの役に立ちたいだけですから」


 ライスピアは薄らとした笑みを溢して、アルフェウヌの問いにそう答えた。しかしやはり、その笑みには疲れが見えるのだ。過労で倒れてしまいそうなくらい、強い顔面の割に活気がない。


 だが本人がそう言うのならアルフェウヌから言うことは何もないのだが、さすがに心配になるレベルに彼は毎晩机に向かっている。ゆえにアルフェウヌは考えた。


 ライスピアに頼んでいるローナルスの方を止めるべきか?


 いや、それでは何も解決しないはずだ。ライスピアに何かを頼んでいるのがローナルスだけではないことを、アルフェウヌは知っている。誰からのどの頼まれごとでもライスピアは二つ返事で応えるのだ。


 そう――使用人から掃除を手伝ってくれと言われても、ライスピアは笑顔で「わかりました」と応える。それどころか、言われていなくても自ら手伝っていたのを見かけたこともあった。


 それ自体に口を出す気はない。

 しかし、手伝うばかりで自分の体調を全く案じていないのが少し気に留まったのだ。


 ここまでくると「本当に同じ言語を使っているのか?」と頭が混乱してくる。それに頑固者だ。どうしても自分が天才だということを認めたくないらしい。


「天才だと思うんだがな。誰も彼も出来る芸当ではないだろう」


「僕が天才なわけないじゃないですか」


 アルフェウヌの言葉に、ライスピアは苦い笑みを交えてあたかも当然のように返してきた。天才なわけがない――それは謙遜というよりも自己卑下のニュアンスが混ざった言葉と笑みだった。


「だって母上がよく言うんです。お前が早く産まれてこなかったから権力争いに負けた、この役立たずって」


「……は?」


 アルフェウヌは一瞬だけ、ほんの一瞬だけだが、思考を止めざるを得なかった。


 今、ライスピアはなんて言った?

 母親からそんなことを言われていたのか?


 ライスピアの悲しさと涙を必死に堪えている、苦し紛れの強張った笑顔を目の当たりにして、我に返ったアルフェウヌは思う。もしもの話――ライスピアの役に立ちたいという思いと、頑なな自己卑下と他者肯定が『それ』から来ているのなら。


「兄上が褒めるほどの天才だったら、役立たずなんてあり得ないでしょう? だから天才ではありません。兄上のほうが僕よりも何倍に天才なんです」


「…………どうしてそんなに役に立ちたがるのか、それを聞くのは野暮か?」


 クソ親が関係しているのかという確認を取りたくても、本人が言いたくないかもしれない。言いたくないのなら無理強いはできないのだ。だから聞いていいのかを先に聞いて、どんな時でもライスピアの気持ちを優先することが大切なのだ。


「いえ。野暮なんてありませんよ」


 そんな苦しさを押し殺している顔で言われても、野暮じゃない説得力が何もない。まさかとは思うが、彼は自分の気持ちを全て無視しているのだろうか?


 アルフェウヌが聞きたいのは信用云々よりもライスピア自身の気持ち的な問題だ。言いたくないのなら言わないでほしいし、言えるのなら言いたい範囲で言ってほしい。


 だがそれらも、頑なに自己卑下を繰り返すライスピアには届かないのだろう。きっと「僕の気持ちなんて」と言って、己の感情を殺してまで自分を蔑ろにするに違いない。


「僕は今まで誰かの役に立ったことがありません。生きているだけで多くの迷惑をかけています。食費だってそうでしょう。皇族ですから生活費なんて些細なものですが、僕が居なければ良いに越したことはありません」


「…………」


 疎まれて、生きていたのだろうか。母からそんなことを言われ続けていたら、確かに比例して自己卑下が強くなるのかもしれない。


「だから僕は微力ながら、精一杯には皆んなの役に立ちたいんです。だから部屋の掃除も含めて、僕は身の回りのことを全て自分でやるようにしました。人様の時間を僕なんかに使わせないように。僕みたいなゴミなんかに人様の時間を無駄に費やさせる訳にはいきません」


「……それは、母親から言われたのか?」


「ええ。お前はゴミだ――ゴミ如きが人様に迷惑をかけてはいけないと……」


「もういい」


 アルフェウヌはその一言で冷淡と説明を遮って、ライスピアの言葉を止めた。それで疑念を抱かず、従順に黙り込むライスピアを見てますます心が静かになった。


 わからない。今、自分がちゃんと優しい笑みのままライスピアを見つめられているのか。いや、きっと物凄く目つきが悪い冷たい顔をしてしまっていることだろう。


 何せ答えてくれたこれが、ライスピアにとっての当たり前なのだ。彼にとって、きっと周りの人間は神様にでも見えているのだろう。だから己の苦しさすら気づかずに、悲しさを堪えた笑顔をだけを浮かべて、必死に自分の感情を押し殺している。


 これが当たり前だから、問われた答えに対する自己語りのつもりだって微塵もないのだ。全て『如何に自分がゴミで周りが神様なのか』――という説明をしているだけに過ぎないのだ。



 それは既に一線を超えている――というやつだ。



 アルフェウヌは深く瞬きをして、部屋のドアの方を横目で一瞥した。部屋のドアは開きっぱなしだった。その目線の先にあるドアの向こうには、姿を半分以上隠して会話を覗きみている執事がいた。


 彼はアルフェウヌの専属執事だ。互いに目が合うと軽く頷いてアイコンタクトをとる。


 すると執事は颯爽と姿を消して、それを確認したアルフェウヌは視線を再びライスピアに戻す。その視界に映るライスピアは不思議そうな顔をして、こちらをを見つめてきていた。


「誕生日なのに気分を害してしまってすまないな。ライスピア、君の実母の件だ――俺に任せてみてくれないか? 君が役に立っているという証を俺が示してみせる」


「……え?」


 ライスピアはきょとんとしたような顔を半分、不安そうな顔を半分で疑問符を声にした。急にそんなことを言われたら不安や不思議に思うのも当たり前なのだろう。


「なぁライスピア、君の実母と俺はどっちが偉い?」


 弟や妹と話すときは優しい口調になる。そんなアルフェウヌからの問いに、ライスピアは深々と考えた後に言った。


「……立場的にどちらが偉いかで言えば、当然兄上の方でしょうね。僕の母上は皇帝の側室で、それでもそれなりに上の地位にいます。ですが兄上は皇太子、つまり次期皇帝の最有力候補ですから」


「だろうな。比べる対象が側室でなく正妻であれば、俺の方が下だっただろう」


 皇帝の正妻はアルフェウヌの実母である――故にアルフェウヌは実父や実母以外の者にならば、思いっきり権威を振りかざせる立場にある。生まれつき将来が約束されている、少し悪い言い方をすれば坊々であるのだ。


「ですが、下の者により権威を振るえる立場にいるのは母上のほうでしょうね。生きた行年が違います。比例してコネの数もきっと兄上よりも母上の方があるかと。もし何か事が起こったとしても、皇帝陛下は母上のほうに味方するのではないでしょうか」


「だな。俺もそれは同意見だ。つまり問題は何もない。今から俺はお前の今までの生活や待遇を全て壊しにいく」


 するとライスピアは困惑した顔を見せた。


「え……っ?」


 当たり前の反応だ。急にそんなことを言われてここまで困惑するのは当たり前なのだ。ライスピアにとって自分がゴミなのは当然で、既に母から言われている罵倒も当然のことを説明されていると受け取っているのかもしれない。


 しかし、ゴミという存在価値の否定を当たり前で終わらせるなんて兄として見過ごせないだろう。


「壊すって……?」


「大丈夫だ。悪いようにはしない」


 ライスピア自身と他の人が共に抱いている、ライスピアはゴミという認識を変えてみせる。そして――ライスピアの魅力をこれでもかと伝え、何が何でも理解させてみせる。


 それこそが、最初に兄としてアルフェウヌに課せられた重大な任務だ。

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