04.静寂
朝日が窓から部屋の中を染め上げる。といっても遮光カーテンを閉め切っているため、光が漏れ出る程度であった。その些細な光にすら聖は目覚めた。環境変化に敏感な男である。どうやら昨日の大雨はすっかり上がり外は晴天の兆しを見せているようだ。夏の天気は変わりやすいというのはこういうことだろうか。昨日の夜までは分厚くて黒い雲が空を埋め尽くしていたのに、今日は朝から夏日になりそうだ。
聖は気分を変えようと思ったのか、カーテンを少し細めに開いて外の様子をうかがう。カーテンの布は機能の雨のせいで上がった湿度のせいかほんのり湿っていた。これが洋服であれば不快感極まりなかっただろう。消毒スプレーで念入りに掌を消毒した後、外の様子をうかがう。地面は濡れていたがすっかり天気は良くなっていた。もし白髪の彼女と出会っていたのが1日ずれていたら。彼女は全身びしょぬれに濡れずに済んでよかったのか。それとも彼女は一晩そこに放置され凍え死んでいたのか。どちらにせよ結果論だから変わらないだろう。そもそも出会う日が一晩ずれたところで彼女があそこに倒れている日がずれない限り意味はない。どちらにせよこんなことを考えるのは杞憂である。聖はこのことについて考えるのを辞めた。
聖は一晩、水も食事も摂取しておらずシャワーも浴びていなかった。普段であれば水と食事は別としてシャワーを浴びないことに不快感を感じる男が、今日はそんなことを微塵も考えずただ目の前の女のことだけを考えていた。聖はふとズボンの尻のポケットに入っているスマートフォンが震えていることに気が付く。画面には『組長』の文字。聖は慌てて白髪の女を起こさないように静かに部屋の外に出て、扉の前で電話に出た。
「もしもし」
『聖。連絡がないなんて心配したんだぞ』
一言目からまるで父親のような発言。まあそれもそうだ。14歳、それこそ中学生ほどの年齢の時から世話になっている。悲しいことに人生のうちのほぼ半分を占めている。もう半分は本当の父親だった。あの時地獄から救ってくれたのがこの組長であった。
「すみません、少しトラブルがありまして。済んだらまた業務に移りますので」
『んなこと知ってるよ。とっくに報告なら受けた。それよりも慎重にな。その女がどこの誰なのか分からない限りは警戒しておけよ。小さな火種だったとしても、大きく燃え上がることがあるからね』
どうやら組長にはすべて筒抜けの様だった。聖の口から説明する必要もない。聖はドアの向こうの白髪の彼女のことを一瞬考えた。そういえば銃創に刃物の傷。それに珍しい髪色に注射痕。まるで何かの実験動物かの様だった。それこそ人間を実験動物にするラボなど聞いたこともないし、それをする場所があるとするならば反社会勢力のラボぐらいだろうが。
『それと、荷物はそっちに届けさせる。着替えと、飲み物と食べ物があれば十分だろう。お前の好みは私がある程度把握はしている。案ずるな』
聖が感謝の言葉を伝える前に電話は切れた。全く、せっかちな人だ。どうやらこの短時間すらも惜しいようだった。まあ、そのくらい時間に厳しくいないと組長にはなれないだろう。なんていったってこの町のごろつきをまとめ上げ、裏で街の商売に手を引いている男なのだから。
聖は電話が切れたのを確認すると、再び部屋に戻った。白髪の彼女の様子は何も変わっていない。布団のしわも何一つ変わっておらず、目を覚ます様子もまったくない。ただ心電図は規則正しく心拍を刻んでおり彼女が生きていることを証明し続けている。このモニターが止まれば、彼女は死んだことが証明される。病室は静かだった。無音が部屋の中を占拠している。無音の重圧に押しつぶされそうというより、ただこの無音の空間で時の流れが分からなくなり、普段なら考えないようなことも考えてしまっているのであった。無音の空間というのは無駄に思考が回る。いや、無音の空間だからこそ情報量が少なく無駄なことを考える余裕を脳みそに持たせてしまっているのかもしれない。
そんなことを考えていると、扉がノックされた。入ってきたのは部下である男であった。沢山の荷物を持っている。まるでこれから長期の修学旅行にでもいくやつの様だ。というか、そもそも大の大人がキャリーケースではなく斜め掛けのカバンにぱんぱんに物を詰め込んでいる時点で、小学校の修学旅行準備にしか見えない。
「そこに置け」
適当に部屋の隅のスペースを指さす。部下の男は何も言わずにカバンをそこに置いた。部下はその場で立ち尽くしている。次の指示を待っているのだろう。聖は何も言わずに目線だけでここから出ていくようにと部下に合図をした。部下はそれを理解したようで何も言わずにさっさと部屋から出ていく。
また聖と白髪の彼女、二人だけの空間に舞い戻った。やはり静かだった。さっきまでのパタパタとした足音や光景は部下一人がこの部屋から出ていっただけで、一瞬でどこかに消え去りまた静寂を生んだ。聖は何も言わず、そしてカバンの中身を確認することなくそのまま白髪の彼女のベッドサイドに置いてある椅子に腰を下ろして、腕を組んだ。




