ナタリアのお仕事
おそらく、二日以内にはニルデの死体を回収してきてくれるという話だった。
それまでマクシムは『竜騎士』の屋敷に滞在することになった。
客間へ案内されてから寝泊りさせてもらうが、さすがは英雄の子孫の住む屋敷という豪勢さだった。
何もしないのは心苦しいので、
「あの、僕、種からおいしい野菜を作り出せるけど、無料だし栄養豊富だよ。せっかくだから泊めてもらう代わりにどうかな」
と、提案したが、ナタリアに死ぬほど嫌そうな顔をされた。
「マクシムさん、あなたは毒を生み出せるのですよね。お姉さまを殺されたワタクシたちが、そんな人にお願いすると思いますか?」
「いいえ、すみません……」
ぐうの音も出ない皮肉に、マクシムは本当に何もすることがなかった。
ただ、別に拘束されることもなかったので自由に出歩くことができた。
おそらくは実際には見張られていたのかもしれない。
ただ、屋敷は山頂に位置していたので(実際にはジャーダは山地としては傾斜が非常になだらかなため、山頂なのに平地が続いている)、逃げ出すのも現実的ではないからだろう。
マクシムが普通に歩いて下山したら、道なりであっても丸二日以上は時間がかかるし、最悪遭難の危険性もあった。
そもそも、『竜騎士』であるナタリアや獣人族であるシラから逃げられるわけがないので無茶な仮定ではあった。
屋敷は豪勢ではあるが、掃除をする手間などを考えてか、部屋数も多くはなかった。
そして、屋敷で暮らしているのはナタリアとシラしかいないようだった。
ふたり以外に人の気配は感じられない。
それは奇妙なことだった。
ナタリアはおそらくマクシムと同世代なので、まだ子どもである。
もちろん、独り立ちしているという意味ではそれほどおかしくはない年頃ではあるが、両親や親せきなどがいないのが不思議だった。
ただ、もう許されない立場であるマクシムはあまり立ち入りする気になれない。
なるべく不快にならないように気をつけて過ごすだけだった。
屋敷内で、部屋に入るのは不味いと考えたので、マクシムは庭に出ることにした。
正直、塀で囲まれていなかったせいで、庭はどこまでが庭なのか分からなかった。
見渡す限りの平原の中央に屋敷は位置している。
鉱山という話だったが、見える範囲で作業はされていなかった。
快晴の青空を見上げても、竜はいない。
空が近かった。
静かで人里離れた山奥だが、限りなく自由な世界がそこには存在していた。
と、よく見ると井戸の近くに、小さな小屋があることが分かった。
明らかに手製の小屋だったが、不思議となじみがあるような気がしてマクシムは近寄った。
その時だった。
「きゃっ」
「わっ」
いきなり小屋の扉が開き、中からナタリアが出てきた。
マクシムは近寄りすぎていたため、ぶつかりそうになった。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、ワタクシも不注意でしたわ」
と、よく見るとナタリアの姿は、非常に見慣れたものだった。
作業着に麦わら帽子、とマクシムたちの農作業時の姿によく似ている。
手には見たこともないほど大きいブラシがある。
両手で扱う仕様で、ブラシの毛先部分がやけに硬質だ。
しかし、どうして『竜騎士』がと思いつつも、先ほどまでの令嬢然とした姿とのギャップにマクシムはギブアップ寸前だった。
すごく、カワイイ。
「ど、どうしたの、その恰好は」
「ワタクシの勝手ではありませんか」
プイッとナタリアは不機嫌そうな表情でマクシムの横をすり抜ける。
機嫌を損ねてしまった、と密かにマクシムは落ち込む。
ナタリアの背中を横目で追いかけていると、ナタリアは軽い足取りで屋敷から離れていく。
一面は平原だ。
何か農作業をするような場所ではないし、手入れをするような庭にも見えない。
マクシムが不思議に思っていると、ナタリアは空に向かって声を張り上げる。
「ラドフォードッ!」
その声に応じるように見えないほど遠方から竜が飛翔。一頭が舞い降りてきた。
竜はナタリアの足元に着地し、そのままゴロンと横たわる。
そのままグーっと伸びのような仕草で、リラックスした様子で草原でくつろいでいる。
マクシムは驚いて、それを遠巻きに観察する。
竜が腹を見せて転がるなんてことがあり得るのだ。
ナタリアは手にしたブラシでラドフォードと呼んだ竜を擦り始めた。
熱心にナタリアは竜をブラシで擦っている。
あまりにも竜が巨体であるため、ナタリアは馬にくっつくネズミのようだった。
ただ、ジッと見ていて気付いたが、ナタリアはあまり移動していない。
立ち位置を変化させるだけで、竜の方が体をよじって擦って欲しい場所を差し出している。
これはいわゆる、ブラッシングのようだった。
竜は非常にくつろいだ様子を見せている。
表情の変化など分からないが、まとっている空気が陽だまりの子犬のようなものだ。
世界最強の魔獣が愛玩動物のような仕草を見せていることに、マクシムはめまいを覚えた。
全身を使っているためかなりの運動量に見えるが、特に休憩することもなく、ナタリアはそれからも竜のブラッシングを続けていた。
マクシムは小屋の壁に体を預けたままそれをボーっと見ていた。
二時間近くも続けていただろうか。
マクシムは不思議と飽きずに見ることができた。
ラドフォードと呼ばれた竜は、満足したのだろう。
むくっと起き上がり、まるでナタリアに甘えるように首を垂れてひと鳴きすると飛び去って行った。
ナタリアはどこか楽し気にそれを見送る。
次の竜が来るのかなと思ったが、一旦、こちらに帰ってきた。
ナタリアはマクシムと目を合わせて、驚いたような表情を浮かべる。
「ずっと見ていたのですか」
「うん、竜ってあんな風にくつろぐんだね」
「ええ、気持ち良ければ竜だってリラックスしますわ」
彼女はずっと全身運動を続けていた割には疲れた様子が見えない。
ただ、上気し、息も乱れていないが汗はかいている。
正直、常人離れした体力であるが、彼女は『竜騎士』なのだからそれくらいは余裕なのかもしれない――マクシムはそう思った。
「それにしても『竜騎士』ってブラッシングも仕事なんだね。知らなかったよ」
「違いますわ。あれはワタクシの仕事です」
「? だから、『竜騎士』の仕事でしょ」
「お姉さまはそんなことしませんでしたもの」
「じゃあ、どうして、ナタリアはしているのさ」
「ワタクシがしたいからですわ」
ナタリアが戻ってきたのは水分補給とブラシを付け替えるためのようだ。
ブラシは着脱式で、差し替えられる形式になっていた。
そして、たった一回のブラッシングでダメになってしまうほど、竜の体は硬質なようだ。
そもそも、果たして、本当にブラッシングが必要なのだろうか?
マクシムがそんなことを考えていると、ナタリアは「失礼ですけど、邪魔しないでいただけますか」と言う。
「ジェンキンスとシャバリアが待っておりますから」
「えーっと、何か手伝えることはないかな」
「ありませんわ。そもそも、あなた、お姉さまの血の匂いがシラにも分かるくらいなのですよ。近づいたら他の子たちに殺されますわよ」
恐ろしい忠告をされてしまった。
マクシムは青い顔をして、その場から早急に立ち去った。
ナタリアはそれからも日が落ちるまで竜のブラッシングを続けていた。




