九十五ノ怪 駅
ザザザーー……
「まったく……。朝からホント、酷い雨だな…」
クルリと手首を反らし、手に軽く持つ感じはステッキか何かか?濡れ濡れで折りたたんだ傘を片手に、その先端を駅のホームのコンクリート面につけ、棒立ち状態、寝惚け眼。
傘先から流れ出る大量の滴が、ミミズ状になってホーム下に向かって流れているだろうが。今は眠くて、そんな事は気にもならない。
そして鬱に周囲を見渡せば、その駅は慌ただしく、ナーバスでネガティブな雰囲気に侵されていたーー
最悪な大雨に見舞われた週もはじめ。ここはローカルじゃない…と思いつつもローカルな大阪藤◯寺駅。
残業が確定している会社員や祝日が遠い学生にとっては、まさに地獄の日々の始まりだ。いや…、そんな雰囲気の中へ、やって来た電車はレール上の寝棺とでも言えるのではなかろうか?
カタンカタン、カタンコトン、カタンコトン、カタンコト…ン……
ギギギィーッ…、プシュー…
「ん?え〜…っと?」
その列車横の表示板は間隔度、大型の駅だけに止まる「準急列車」とあった。これは自分にとっては無用の列車。乗りたいのは都度都度各駅に着いてくれる「普通列車」である。
すると急に、まばらに列車待ちしていた人たちがバタバタと一斉にドアの前へ並び始め
「お、後ろの座席が空いた…」
お客さんの大半は市内方面、一気に終点の阿◯野駅に着く、この列車に乗り込むのだ。
そして次の普通列車が来るまでの待ち時間。自分の立ち位置から真後ろ、ホームのセンターに設置されている空いた三連結の座席へと移動した。だって…、眠いし、立ってると疲れるし…
「よっ…こいしょっ……と」
この時は30代後半という己が年齢を自覚し。気になる腹回りと、その重さや破壊力を実感しながら、ドサッと固い座席に座り込んだ。
ギシギシッ…
「うぷっ…」
朝、期限が切れてしまうからと。我が帝国のヨメ様の命令で、五枚切りの食パン中、四枚を処理してきたところだ…
…ってかさ?昨日「今日は会社の飲み会があるから、朝ご飯は要らない」…って言ったよね?確かに言ったよね?『帰りにケース入りでお茶買ってきてね』って笑顔で言われてもっ。酒飲んでくるから車じゃなく電車通勤な上に、歩きだから…って言ったよね?まさか茶ケースを歩きで担げと!?き、聞いてなかったのかよっ!マイハニーッ!!
「……。」
まぁ……怖いから?そんな文句は、面と向かって絶対に言えないワケだが…
そこで自分はプラ製?の固い座席の90度角に対し背筋をピンと伸ばして、斜めでスラッシュの様な傾斜をつけ、横一の字に座ってみる…。いや、見た目は何かに引っ掛かってる棒か?
そして首はカクンと下へ項垂れ、己が視線は列車に乗り込む人たちの足元へと集中していた。
ガヤガヤ、ドタバタ、ドタバタ…
(電車は普段乗らないからなぁ。歩きはやっぱりキツい…)
しかし…
目の前に足の太さから恐らく男性であろう、ジーンズ姿に白いスニーカーを履く人物が目につく。皆は列車に乗り終えたのに、彼は停車中の準急には乗らず、音も無く静黙と立ったままだ。微にも動かぬのが、少し気にはなっていたのだが…
(何故乗らないんだろ…?あ、自分と同じ次の各駅待ちか…)
そう心の中で勝手に納得してると
プシュー…
やがて自動扉が閉まり列車は至極当然の如くギシギシと高音を鳴らし、線路を軋ませながら次の駅へと走り去って行く。
「……?」
だが…
あれ…?ま、まてよ…?これは…、何かがおかしい……、ん?誰がおかしいんだ?自分がおかしいって…?おいおい…、ちょ、ちょっとは自覚しているけど…。今、その話は一旦横の棚の上の隅っこの方に置いといて…
先ほどの、自分の傘先から流れ出るミミズ状の雫を目で追ってみたのだが…
「……??」
そこで焦燥感、動揺、ある種の胸騒ぎ、更には明確な違和感…とでもいうのか?ようやく自分が感覚的に感じ取った、それらの状態は。否応無しに陰的な″恐怖″という形で己が脳へと伝達されてきた。
…ジーンズ姿の男性の靴は何故″傘から流れ出る滴の影響を全く受けていない″のだろうか?まるで空気の様にすり抜けている男性の靴。
ホームに鳴り響く、次の列車が到着するアナウンスと共に。自分の視線は、彼のジーンズの下方から徐々に上へと向き…
「…っ!!」
ーー無いーー
その人の腰から上が無い…。いや、これは語弊を生む。自分にはその人の腰から上がボヤけていて、上半身が全く見えないのだ…
普通。世間でいうところの…「幽霊は足元が透けて見える」…というのが一般論だが。何故か自分は、足元だけが見えるケースが多い…
何をやっても中途半端だから?ちょい変態だから?足が臭いのが原因か?もしかして甲斐性が無い?
……って!一番最後の殺し文句言ったヤツ!ちょっと、前へと出てきなさい!!
(プンプン!)
すいません。嘘です…汗
実は霊感持ちの亡くなった兄弟、ナガ兄や仕事仲間だったユウたちに、その事を訪ねてみたら首を傾げていました。まぁ…自分でも、念の強い怖い幽霊だったら全身がハッキリと見えてるから大丈夫か…?いや、何が大丈夫なんだ…
そして、その原因は今も不明なまま…。亡くなった死人なら、その謎を知っているかもしれないが。古今、現世にて伝達不可、答えなんてものは無いに等しい…
…と、そこで再び話を線路に戻して。(うまい!)違
ま、まさか…!?
次の列車がホームに入ってきた途端、その足元だけ見えるジーンズ姿の男性は。スーッと滑る様に線路側へと進み、目の前でその列車へと飛び込んだのです…
「…っ!!?……はぁはぁはぁはぁ……」
いきなり見せられた、生々しくも悍ましい無音で空虚なビジョン…
バクバクバクバク…、ドキドキドキドキ…と。目の前で起きてないけど起きていた、かなりショッキングな出来事に。自分は鼓動は激しく脈打ち、その場で座席から飛ぶ様に立ち上がってしまいました。
その姿を、後からやって来た知らないオバさんに白い目で見られながら、自分はヒョコヒョコと横へ蟹歩きし、立ち位置は2つ飛ばした別のドア前へと移動…
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……」
見える人には見えるのでしょうが。見えない人には絶対″コレ″を認識出来ないから、まさに他人が見た自分は「この人、一体何??」でしょうね…。シクシク…、変態扱いは勘弁してくれ…。いや、ご褒美なのか…?はぁはぁはぁはぁ…。違
そして後に残るのは、勝手に探偵と化した己が予想と妄想が膨らみ…
″この世で強烈な絶望と怨念を遺し、ここで列車に飛び込み自殺した人の幽霊だろう…″
…と、考えました。自分はこの手のパターンの遭遇時。一応、素の表情を貫き。出来る限り心を空にしながら、霊の存在を一切考えない様にします。
それは何故か?要は意識してシンクロしてしまうと、俗に言う″憑かれ状態″になってしまう可能性が高いからです…
『ーーつかれさま〜…』
お疲れ様〜?お憑かれ様〜?…違うか…
その後は普通に仕事を終えた自分は、会社仲間との飲み会に参加しました。普段の酒は嗜み程度、一ヶ月飲まなかったなんてザラなんだが、会社付き合いは面倒くさくても頑張らねば…
…で、改めて。その後の自分の身体への違和感は無く、その自殺者の地縛霊とのシンクロ…″取り憑き状態″は回避していたようで、ひと安心…?
でも今回の飲み会メンバー四人は、オカルト的な話は全く通じないタイプの人ばかりで。話せば恐らく白い目で見られるし、普段からも白い目で見られてるし…(…って、おい)
取り敢えずは、朝遭遇した幽霊の所為でモヤモヤッとした気分のまま飲んでいて、食事も朝の食パンがまだ胃に残ってる感が有り。会費を支払っているのに、あまり食べれない最悪な飲み会になってしまいました……
「ケイジ…、どーしたんだよ?あんま食べないな?今日、何かあったのか?」
「あー、それはオレも、ちょっ……………っとだけ気になってた」
「うへっ!?い、いや…、いやいやいやいや…、全く何にもないよっ」
まったく…、変なトコは鋭い仕事仲間だ…
「いつもの、バカみたいな元気が無いから気になってな?」
「あっ、あ〜…、いつも通り。無茶苦茶ヤバいくらいに眠いだけだよ…」
「あははは…、そういう事か。納得だ」
「そそ…」
今…、シレッ…とヒドい事を言わなかったか?そして常時眠いから嘘は言っていない。……とか何とかやってる間に、やっと飲み会はお開きとなり、現地解散となりました。めでたし、めでたし…終。違
「ケイジお疲れ様。また明日な〜」
「ああ、みんなも気をつけて帰ってな?………さて…と…」
お別れで、何気に片手を振ってはいるが、我が魂はここにあらず、ボーッと幽体離脱状態。ふぅ…、まったく酔えていないのだが…
でも、多少は酒が入ってる所為か。両手で軽く頬を叩き、知らぬ間に己が内包していた恐怖心は消失していました。
「よかった…。日頃の行いが良いから…雨は止んでくれたな、あははは…」
自分で言うのも何だが、絶対に違う……と思う。…汗
そして飲み会の店舗の最寄り駅から列車へ乗り込み、藤◯寺駅を目指しました。
それに…、行きと帰りは反対側のホームに降りるから大丈夫。もう…朝に見た幽霊と再び遭遇するなんて事は絶対に無い…
「ふう…」
しなやかに乗り込んだ列車は″幽霊″を見た位置から離れた場所だ。時間的にも夜遅くガラガラな車内。多少は緊張しながら端席に座り、縦横手摺の角に傘を引っ掛けて…
カタンコトン、カタンコトン……
『藤◯寺駅〜…、藤◯寺駅〜…。お降りの際は…ーー』
キキキー……プシュー……
やっと目的地に到着。意識とは別、怖くないと思ってはいたが。いざ駅に着けば知らぬ間に意識してしまっていた、その″恐怖″。
「さ、さっさと家に帰ろう…」
列車のドアが開くなり。自分の体型と不釣り合いなスピードで、一目散に登りエスカレーターへと向かいました。すると…
『″ーーす、…すい…ません…″』
…!!?
突如背後から、今にも死にそうな?酷く窶れ掠れた声が聞こえてきたのです。
ゾゾゾッ…
既に背筋には大量の冷や汗が…
まさか単なる聞き違いだよな?降りた場所も朝とは違うし、飲み会では一切取り憑かれた感は無かったし…
しかし…
『″…すい…ません…″』
確実な二度目の掛け声。そこで自分の恐怖心は引火し、全ての保身的行動を誘発…。首元は引き攣りながらガッチリと完全固定化。全身は強張り、聞こえないフリで登りのエスカレーターを全力の2段飛ばしで、ダンダンダンッと一気登りを決め込みました。
ダッダッダッダッダッダッ…
緊張のあまり、己が鼓膜には駅の騒音や体内の血流音がこだましており…
『″……ません…″』
しかし″謎の掛け声″は一向に止まず…
ダッダッダッ…、″ダッダッダッ…″
お、追ってくる足音まで聞こえてる!?そんな、まさか…
ホラー映画のワンシーンの如く、確実に誰かが背後から追って来ている…。まさか朝に遭遇した自殺者であろう、あの″幽霊″が追いかけて来ているのか…??
こ、こんな、いたいけなオッサンに取り憑いても何のメリットもないぞ!?そして目の前に、障壁となる改札口が現れ
くっ…
とても物覚えの悪い俺。よって、体の何処かにしまった切符を探し出さないと、目の前の改札はスルー出来ない。ど、どーするよ…??恐怖のあまり飛び越えたり強行突破しようものなら、下手すれば警察沙汰だ…
『″…いませ…ん…″』
背後からの掛け声は、更に大きくなった感が否めない…。だめだ…、絶望感が…
ああ…。終わった…、もう取り憑かれちゃうよ。俺ぁ…この後、呪われて死んじゃうのかな?大好きなコンソメパンチを、もっともっと食っとくんだった…
…と、馬鹿みたいに死を覚悟した、その時でした…
『″あの〜…、すいません…″』
「…へ?」
間近でハッキリと。風邪をひいているのか酷く掠れ、元気の無い、とても小さな女性の声。そこで自分はクルリ反転し、振り向くと。年齢は自分と同じくらいでしょうか?見知らぬ一人の女性が″見た事のある傘″を此方に突き出し、小さく「はぁはぁ…」と息を切らせていたのです。
「あ…」
彼女が持っていたのは、まさに列車内に置き忘れたであろう″自分の傘″。朝見た幽霊の事を考え過ぎて、傘を列車内に置き忘れていたのか…。泣
『″あの〜…、これ…″』
「俺の傘!?あ、ありがとうございますっ…」
『″ぃぇ…″』
相変わらず声は小さいが、それを覆い被せるくらいにデカい声でお礼を返した自分。「置き忘れてましたよ?」的な言葉は省かれ、顔も俯き加減。彼女の無愛想で陰に入った表情は、逆にこちらが心配するほどでした…
『″……。″』
彼女はその場で軽く会釈すると、ゆらりとターンし、改札口から再び駅のホームに向かって歩き出しました。
要は、降りる駅が違うのに、彼女はわざわざ自分の忘れ物を届けに来てくれた…という事です。…そして彼女を目で追った、まさにその時でした…
「ーー!!?」
その女性の足元近くに、再びジーンズ姿に白いスニーカーを履いている″あの幽霊″が姿を現したのです。シンクロしてしまったのか??我が心の第一声は、既に「ヤバい!」と警鐘を鳴らします。
彼女の″陰鬱な気″が″幽霊″を呼び込んでしまったのか?これは霊的に良くない傾向にあり、自分には有って無いような正義感?焦りからか。そんな感情で、勝手に咽喉元が突き動かされていて。いきなりーー
「ーー元気出して下さいねっ!!」
人が疎にいる改札口で、そう声を大に叫んでしまった自分…。恥ずかしい!!…ってかさ、俺も言葉を端折り過ぎだろ!一体何に元気出すんだよ!ワケの分かんない事を叫ぶなよっ、この俺っ!
『″ーー!?″』
すると彼女は顔だけ振り返り、驚いた表情を見せた後。はにかんだ表情に、片手で口元を少し隠しながら、ちょい「くすっ」と笑い、再び軽い会釈を。そして駅のホームへと戻って行かれました。
「……。」
…………
……結果オーライ。
何がだよ!
だってさ?最後に振り向いた彼女の足元、あの幽霊が消えていたんだから…
これがお礼になったのかはわかりませんが…
心の波長とでも言いましょうか?シンクロしてしまうと、幽霊が見えない人でも「今日は何故か身体がやたらと重い…」とか、タイプ的に大人しい人なのに「何だかイライラする…」とか、知らぬ間に取り憑かれている可能性が高いのです。
この話は妻にしていません。してない話の方が多い気がしますが…。もし聞かせてしまったら、生命保険の掛け金が跳ね上がるかもしれないので…。泣
…と、今回のお話はここまで。コレを書いてる…、今まさに″現代の気″は、完全に陰に取り込まれてしまってます…。各々の心の持ちよう…、これからは一人一人が笑顔になれる、優しくて平和な世の中になってゆく事を切に願っています。
完。




