イチ
隙間から漏れる朝の光。照らし出された埃は均一にひらひらと舞い、微かに光り輝く。まるで燃える粉のように僕の体に降り注いでくるようだ。
「……嫌な夢だった」
黒い影の夢。僕の体に圧し掛かる重量とその影から零れる水の暖かさが今も感触として残り、血の匂いも突き刺された痛みも鮮明に刻まれていた。
「…………っ」
夢だというのにじくじくと鈍い痛みが胸を焦がしているような錯覚、無意識に弄ると柔らかな感触と漏れるような吐息が胸を撫でる。
「……もっと触ってもいいのよ」
姿は見えずとも容易にその表情は想像出来た。きっと酷く楽しそうな笑顔を浮かべているに違いない。
「それでどうする? 押し倒すくらいまでなら、目を瞑っていてあげる」
くすくすと小気味よく笑みを零し、僕の体の細い指先で擦り上げる。言葉とは裏腹に主導権はいつだってアマ姉さんにある。このままでいれば、きっと飽きることなく、姉さんは続けるのだろう。
「いい加減にしないと、またホタルに怒鳴られるよ」
姉さんの指先から逃れるようにして、狭い寝床から這い出る。健やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、机に置いておいた洗面器の水で顔を洗えば、先ほどの悪夢も大分薄れていった。
「うなされていたみたいだけど、また嫌な夢でも見たのかしら?」
仰向けに寝転がったまま、アマ姉さんの目はとても真っすぐ僕を見つめてくる。何もかもを見通したようなその瞳、吸い込まれる様な漆黒の先に何を感じているのか。問い掛けようとする口を閉ざし、僕は──。
「ずいぶん早くから来てたんだね」
視線に背を向け、寝間着を脱ぎ捨て、淡々とシャツの裾に腕を通していく。そんな僕の逃げを見て、背後から小さな溜め息がひとつ。
「タスク、不安なら話してくれてもいいのよ。あなたのためなら、私は何だって出来るのだから」
回された腕がぎゅっと僕を包み込む。間近に触れる姉さんの肌、その甘い匂い。変わらぬその姉さんという存在に委ねてしまいそうになる。
「大丈夫だよ、アマ姉さん。僕だって、もう子供じゃないよ」
そっと姉さんの腕に手のひらをのせて解こうとするが……。
「ええ、体は大きくなったみたい……だけど、まだまだ子供よ。。だから、いつでも頼っていいの」
より強く抱き締められる格好になってしまった。こと、姉さんはこういったことに対して、とても強引だ。こうなってしまったら、僕の意見なんてちっとも聞いてはくれない。
となれば、残る手立てはひとつしかなく、そろそろ訪れるであろう妹にこの状況の打破を望むしかない。
「……兄さん、そろそろ起きないと遅れ……姉さん、開けてください」
控えめなノックと共に静かな声からの冷淡な言葉。どうやら、こちらは見えなくても、すぐに察したようだ。
「まだだめよ。タスクがまだ済んでいないもの。私もすぐに済ませるから、もう少しだけ待っていなさいな」
からかうような言葉を投げかける姉さん。その表情がとても楽しそうで、僕は大きく溜め息を吐いた。
「に・い・さ・ん・?」
扉越しに聞こえた怒気を孕んだ声にこの後の光景がたやすく想像できるから、僕は扉の射線上から体を逸らした。
扉が爪が剥がれるようにしてめくれ上がり、まるで飴のように反りかえる。限界まで反りかえったと同時に反動をつけ、その対角線上にいる姉さんへと向かって飛んでいく。
まさに木製の扉が姉さんに衝突しようとした瞬間、アマ姉さんの足元から強烈な熱風が舞い上がった衝撃で吹き飛ばされた扉は天井に突き刺さり、盛大な衝撃となって響いた。
「危ないわね、からかった私が言うのもなんだけど、少しお遊びが過ぎるわよ」
燃えるような真紅の瞳でホタルを見つめながら、風で乱れた髪を掬い、整えながらお姉さんとして、そう言ってのける。
「っ、これは姉さんがっ……うぅ、少しやりすぎました。ごめんなさい。後、早く服を着てください」
昔から分別だけはつく妹だったが、沸点が低すぎるのが難点だ。怒りはまだあるものの、突き刺さった扉の原因が自分にあると素直に反省している。
「いや、どう見ても姉さんが謝るところ……」
「タスク、お黙りなさい。今、私はホタルを姉として躾ているのよ」
裸一巻で真面目な顔をされても、説得力は皆無。ただ『姉』と『妹』の触れ合いにわざわざ踏み入って、勘気を被るのは遠慮したい。
「前々から思っていた事だけど、ホタル貴女は少々淑女としての立ち振る舞いがなっていないわ」
「……全裸のどこに淑女要素があるんですか……うぅ、何でもありません。どうぞ、続けてください」
気づけば、正座をさせられているホタルが姉さんに睨まれて、肩を落としている。ちらりとこちらを見るも僕は小さく首を横に振った。
薄情者と声を出さずに僕へと訴えかけていると──。
「私の話は上の空、聞くにも値しないということなのかしら」
顎を指で持ち上げ、自分の方へと顔を向かせる。ホタルの悲鳴は小さく途切れ気味で、カタカタと体を揺らしている。
「あぁ……長くなりそうだ」
見上げた天井、日々の生活の中で傷んだ僕の部屋の爪痕がまたひとつ。朝の健やかな雰囲気を乱す2人の声を耳に、今日も一日が始まっていく。




