第7話 創造主の卵?
ばたっ!!
アドニスは、急に身体が重たくなり、その場に座り込んでしまった。
『そうか。立ったままマキナに行ったんだった。今が……17時50分か……。ファクトはキリのいい時間で戻って来いって言ってたな。どうしようか……。うん! 24時間こっちに居てみよう』
次にマキナへ戻るまで、24時間空けてみよう。
そう決めたアドニスは、現実世界でいつも通りに過ごすことにした。
夕飯までまだ時間がある。
自室へ戻り、昨日やっていたゲームの続きをやってみる。
『うーーん。なんだか面白くないな。何だろう、緊張感が足りないというか……。そうだ! ちょっと調べてみよう』
そう思い、机の横にある本棚へ移動する。
そこには何冊もの辞書が並んでいる。その中でもひと際分厚く、使い込まれた辞典を手に取った。
『創造主は……と。あった。なになに、人間、宇宙、そのすべての造り主であり、知恵、力、生命の源である絶対的存在……。マキナの世界でこれが僕なの?? イマイチぴんと来ないなーー』
それもそのはずだ。
ファクトのような圧倒的な力があるわけでもなく、サウザーが使うような魔法も使えない。
マキナの世界へ行った時には木の中にいて、その意識を《思念体》という物質に投影したのだと、サウザーが言っていたのを思い出す。
『そうか。僕の身体は思念体って物質で出来ているって言ってたっけ。あれ? 思念体……。確かファクトも、自分の身体は思念体って言ってたような……』
再び辞典を広げる。
『思念体……。使用者の強い思念が宿ってしまった物質……。うん! よくわからない! でも一応、こっちの世界にもこの言葉はあるんだな』
しばらく辞典を眺めていると、美味しそうな匂いが1階から漂ってきた。
ぐーーーー。
アドニスのお腹が鳴る。
「うっ。お腹がすいた……。今日のご飯はなーにかな」
階段を駆け下り、食卓へ一目散に向かう。
そこにはパン、シチュー、サラダ、果物が並べられていた。
アトキンス家では、自分で好きなものを好きなだけ取るスタイルを採用している。
アドニスは自分用の少し大きなお皿を手に取ると、シチューをなみなみと注いだ。
少しこぼれた熱々のシチューが手につく。
「あちち!! ちょっと取りすぎた……。うーーん、美味い!」
指についたシチューをペロッと舐め、今日の味を確かめる。
母が作ったのは、アドニスの大好物の一つであるビーフシチューだった。
その様子を見て、母がニコニコしている。
「まだまだ沢山あるから、しっかり食べてね。……最近元気なかったけど、今日はなんだか元気ね。お母さん、ちょっと心配してたのよ。……何かあったの?」
母は、母なりにアドニスのことをよく見ていた。
最近は学校でいじめられている。
本当は、学校には行きたくない。
そう言いたいところではあるが、アドニスは元々いじめっ子側の人間だった。
だからこそ変なプライドが邪魔をして、誰にも言い出せずにいた。
本当は、誰かに助けてほしい。
だけど、格好悪い……。
そんな思いもあって、今までずっと耐えてきた。
そんなところにマキナの世界へ行く機会が訪れ、いつの間にか学校のことなど忘れてしまっていた。
なんだか急に、シチューの味がしなくなった……。
「…………」
「アドニス? 大丈夫??」
シチューを食べる手が急に止まったため、母がアドニスの顔を覗き込む。
母と目が合った瞬間、アドニスは我に返った。
シチューをよそった皿を手に取り、ガツガツと食べ始める。
――味がしない。
「うめーーーー! 今日のシチューは、一段と美味しいよ!」
そう言ってパンを手に取り、シチューに漬けて食べる。
さらにサラダを一気にかき込み、物凄い速さで食事を平らげていく。
「そう? ならよかったけど、一瞬顔が暗くなったから、何かあったのかと思っちゃった。お替りもあるから、たくさん食べてね」
アドニスは口いっぱいに頬張ったまま、うんうんと返事をする。
まだシチューが残っている皿に、さらにシチューを注ぐ。
そして、それも一気にかき込んだ。
「御馳走様!!!」
そう言って食卓から立ち上がり、食べ終えた皿をキッチンへ持っていくと、そのまま自室へ走って戻った。
部屋に戻るなりベッドへ飛び乗り、横になって天井を見ながら大きな溜息をつく。
『はぁーーー。まったく味がしなくなった。……学校嫌だな。24時間か……。明日学校に行きたくないから、このままマキナの世界に行こうかな。それでずっとあっちに居たら、こっちの時間が経たないから一生学校に行かなくて済む……』
そんなことを考えながら、天井を見つめている。
しばらく、ぼーっとした時間が流れた。
※
…………。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
ふと時計を見ると、20時を少し過ぎていた。
「あちゃーー、寝ちゃってたか。せっかくゲームしようと思ってたのに……。はぁ」
またも大きな溜息をつき、ベッドへ倒れ込むように横になる。
天井をジーッと見つめ、時計の方へ目を向ける。
時計は20時10分を指している。
『ファクトは、キリのいい時間って言ってたからな……。よしっ、20時50分か21時50分にマキナの世界に戻ろう! 学校には行きたくない。絶対に行きたくない!! もうこっちには帰ってこず、ずっとあっちに居る』
起き上がり、おもむろに辞典へ手を伸ばす。
気になる用語を調べたくなり、食い入るようにページをめくっていく。
『こっちの世界もマキナの世界も、言葉は似ているな……。なんでだろう? こっちにある言葉も、あっちでは通じるのかな? それに、なんでこっちの言葉なんだろう……』
たくさんの疑問が頭の中を駆け巡り、調べるスピードもどんどん上がっていく。
創造主、魔法、魔素、思念体、トレジャーハンター、宗教、教団……。
前に調べたことも含めて、もう一度色々と調べてみる。
『魔素……ってなんだろう。辞典には載っていないな。魔の素……。素ってことは原料ってことだよな。原料はっと……』
普段から、わからないことがあればすぐに辞典を開く。
そのため、分厚い辞典はすっかり薄汚れていた。
集中して調べ物をしていると、時間を忘れてしまう。
いつものことである。
ただ今日は、時折ちらちらと時計を確認していた。
「今が21時30分か……。あと20分したら、またあっちに戻ろう。そうだ! トイレに行って、今度は横になって右手に集中してみよう。さっきは倒れちゃったから……」
そう独り言を言いながらトイレへ向かおうとするが、ふと足が止まる。
『そういえば、あっちの世界でトイレって行ってなかったな。サウザーも行ってなかった……。それより街中も人通りはあったけど、生活の香りというか、食べ物の匂いみたいなのも全くしなかったな……』
そんなことを考えているうちに、結局トイレには行かず、ベッドへ横になって時計を見る。
『21時49分……。4時間でどれくらい時間が経っているか……。よし!!! 21時50分!』
右手に意識を集中する。
辺りが白くなり、身体にかかっていた重みが軽くなるような感覚があった。
その後、目を開けても真っ暗な空間に入ったような感覚がある。
『ん? んん?? 真っ暗だ。……あれれ、声も出ない! ……ああ。また筒に入ってるのか……。おーーーーい。出してくれーーー』
声が出ないため、強く念じてみる。
…………。
何の応答もない。
もうしばらく待ってみる。
…………。
さらに時間が経過するが、何の反応もない。
『あれれれ? ファクト! ここから出してよーー』
ガチャン!!
何かが落ちるような音がする。
何も見えないため、不安感が増していく。
『なになに?? ガチャンって……。ダダダダ、大丈夫かな……』
あわあわしていると、目の前が明るくなるような感じがあり、ファクトの顔が見えた。
「おおお! 早かったな! あっちの世界でどれくらい時間経ってから戻ってきたんだよ?」
ファクトはそう言いながら、アドニスの入った筒の蓋を開け、机の上に中身を出す。
白っぽい液体に近い気体が、人の形を模していく。
みるみる大きくなり、普段の大きさになる。
大きくなったのを確認すると、サウザーがくれた長い布を羽織り、服になるようにイメージする。
シュルシュルシュル――。
オレンジ色の長い布が、上下の服と靴になる。
そこで、ふとサウザーのことを思い出す。
「あ……。あの――」
そう言い始めると、ファクトがアドニスの言葉を遮るように喋り出す。
「ああ。サウザーのことか……。あいつは粉々になっても死ぬことはないよ。そういう身体なんだよ。心配することはない……」
アドニスは、自分が考えていたことをファクトに知られていたことに気づき、ハッとした表情をする。
そういえばファクトには、《万物の理解》という特殊な能力があり、人が考えていることを言葉に出さずとも聞き取ることができるという。
ファクトが部屋の壁に手を触れる。
すると空間が開かれたようになり、そこへ映像が映し出された。
サウザーだ。
地下の研究室で、机に向かっている姿が見える。
「ほらな。元通りになってるだろ。これは空間魔法の応用で、映像を見ることができる魔法だ。俺のスキルを使えば、どんなに離れている場所でも見ることができる。……なんだよ。俺が言ってたことが信じられなかったのか??」
映し出された映像を食い入るように見ていると、不満そうな顔でファクトがアドニスの顔を覗き込む。
『こここここ、これは!!! なんて素敵な魔法なんだ!! この魔法があったら、あんなことやこんなことなんかも見れるんじゃっ!! ロマン! ロマン魔法!!』
ファクトの表情が一気に呆れた顔になり、大きな溜息をつく。
「あのさ。俺は人が考えていることがわかるんだよ。何だよ、ロマン魔法って。やましいことに使えると思ったのか? これだから人間は、常にやましい思想があるな……。悪くはない。悪くはないんだがなぁ。邪悪な思想じゃないからいいんだが……」
ファクトは真剣な表情で、アドニスの考えを考察しながら口に出す。
当の本人は、考えを読まれたことが恥ずかしくて赤面し、俯いて沈黙している。
「まーーあれだ。人間はオスとメスがあるからな。そういう思想があるのは自然だな。逆にない方がおかしい。うんうん。やっぱり交尾をするためには、そういう思想がだな……」
腕を組み、うんうんと首を縦に振りながら話すファクトの言葉を、アドニスが遮る。
「あーーーーもうやめてよ!! 人が考えてることがわかるとかズルい! 興味だよ! 興味の問題だよ!!」
アタフタするアドニスを見て、ファクトはガハハッと大笑いしている。
それを見て、アドニスはむすっとする。
「すまんすまん。人間と話をするのが久しぶりなもので、ついつい笑ってしまった。いやーー、お前はまだ10歳なんだろ? 参った! 血気盛んな年ごろだなーーー。がはははは!」
またしても笑う。
何が面白いのか、何がツボになるのかわからないが、ファクトはとにかく陽気である。
初めて会った時に見せた暴力的な様子はなく、今はとても穏やかで、優しい口調には温かみすら感じるほどだ。
そんなファクトの様子を見ているうちに、当初アドニスが感じていた緊張も徐々に薄れていった。
「人間と話すのが久しぶりって……。どれくらいぶりなの?」
唐突に、アドニスが素朴な疑問をファクトへ投げかける。
「んあ? いつぶりかって?? んーーー、はっきり何年ってのはわからないな。俺は時間って概念があんまりわからないんだ。まーー、かなり前だな。普段は人の行く末を見ているが、この世界に干渉することをやめたからな。そもそも、人と全く接していないな」
時間という概念があまりわからない。
アドニスは意味を理解できず、ぽかーんとした表情で聞いている。
「時間の概念がわからないってどういうこと? 何時かとか、何年とかがわからないってこと?」
「んーー、少し違うかな。その辺りは時計を見たらわかるし、今がいつなのかっていうのもわかる。でも、時間の流れで何年経過したかっていうのは、正直あんまりよくわかってないな。もともと時間に興味がないっていうのもあるんだが、長く生き過ぎていて時間経過がわからなくなっているっていうのもある」
ファクトは、とにかくよく喋る。
アドニスの質問にもきちんと答えてくれる。
持ち前の好奇心もあり、少し前までの恐怖心は完全になくなっていた。
そして、どんどん知りたいという欲求が湧いてくる。
「じゃあ今何歳なの? 長生きしてるって言っても……おじいちゃんって感じでもないし」
「何年生きてるかなんて、まったくわからん!! これだけは言えるが、宇宙が崩壊して、また再構築されていくのを何回も見てきた。年齢なんてものは、まったくわからん!」
腕を組みながら当たり前のように答えているが、アドニスはあまりよくわかっていない。
またポカーンとした表情になる。
『宇宙? 宇宙が崩壊?? 再構築?? うーーん。意味がわからないな。ビッグバン?』
「そう! ビッグバン!! それは宇宙の誕生の爆発だ。よく知ってるな」
また考えを読まれ、アドニスはハッとした表情をする。
「また考えを読んだな! なんだか怖いし、恥ずかしいんだけど……」
「すまんすまん。近くに居ると、どうしても声が聞こえてくるからな。俺の《万物の理解》って能力は、その辺りが便利なんだか不便なんだかってところだな」
「すごく便利!! その能力欲しいもん! どうやったら僕もその能力が使えるようになる?」
アドニスは興味津々で、ファクトの顔を覗き込む。
「おっ、おう。残念ながら、これは固有スキルであって伝授したりはできないんだ。まして、常人が扱えるようなものでもない」
アドニスは目に見えてがっかりする。
それを見たファクトが口を開いた。
「まぁーあれだ。《万物の理解》は無理でも、護身用として魔道具くらいは渡してもいいかもしれないな」
魔道具。
その言葉を聞いた瞬間、アドニスの目がキラキラと輝く。
「とんでもない煩悩まみれだな……。やっぱり消すか……」
「いやいやいや、やめてよ!! 消すとか言わないで!! 僕はもうあっちの世界には帰りたくないんだ!」
冷たい目を見せたファクトに対し、アドニスは懇願するように頼み込む。
――その言葉を聞いた瞬間、ファクトの表情から笑みが消えた。
「ほう……。この世界を好きに作り変えようと考えてるのか?」
「えっ……?」
「今はまだ、そんな力はないだろう。長い年月の中、お前のようなパターンは初めてだからな。大体の創造主は、マキナへやってきてすぐにその力を覚醒させている。変に作り変えられる前に、俺はすべてを抹消してきたからな」
ファクトの目が、先ほどまでとは別人のように冷たくなる。
「お前もやっぱりそうか? 人間!!」
アドニスの首元に手をかける。
アドニスは恐怖でガタガタと震えながら、必死に言葉を振り絞った。
「そんなことは考えてない!! とにかく元の世界には帰りたくない!! あっちでは、酷いことを散々されてきた! もう限界だったんだ。死のうとすら思っていた。だけど死ねなかった! そこでサウザーと出会ったんだ! あいつは僕を救ってくれると思った! この世界で必要としてくれた! ……うううう」
そう言って、泣き崩れてしまう。
ファクトは首にかけていた手を放し、しゃがみ込んだアドニスの顔を覗き込む。
その目はまだ冷たい。
だが、どこか憐れむような表情を浮かべていた。
「…………。俺に嘘は通用しない。その気持ちは、真実で間違いなさそうだな」
少し間を置き、ファクトが続ける。
「どうだ。俺も今のお前のような存在は、初めて出会う。向こうの世界の話をしてくれないか?」
そう言って、座り込んでしまったアドニスをひょいっと持ち上げ、椅子に座らせる。
「ううう……。何を話したらいいの?」
「すべてだ。お前の生まれや、育った環境、現在どういったことが身の回りで起きているか。それを出来る限り聞かせてくれ」
そう言ってファクトも椅子に座り、アドニスの話を聞く体勢になる。
「全部って言っても……。何を話したらいいかわからないよ」
また暗い顔をして俯いてしまう。
アドニスは何かを伝えようとして、もじもじしている。
だが、なかなか言葉には出てこない。
それもそのはずだ。
すべてを説明しろと言われても、何からどう説明すればいいのか。
わずか10歳の少年には無理がある。
ファクトは難しそうな表情で腕を組み、アドニスをじっと見ている。
その鋭い眼光を直視できず、アドニスはもじもじしている。
もじもじもじもじ…………。
イライライライラ……。
もじもじもじもじ…………。
イライラ……イラッ!!
ガタン!!!
ファクトが突然立ち上がった。
「ひっ!!」
驚いたアドニスから、変な声が出る。
「よし!!! じっとしてろ」
「えっ?」
ファクトはアドニスの頭をむんずと掴み、意識を集中する。
その瞬間、ファクトの雰囲気が変わった。
青い光が、アドニスの頭を掴んだ手から漏れ出す。
パァーーーーーー。
青い光が一瞬強く輝き、やがて徐々に薄くなって消えていった。
ファクトは頭を掴んでいた手を放す。
そしてアドニスの頭をポンポンと軽く叩くと、そのまま髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。
「な、なんだよう……」
「なんも言わなくていい。よーーーーく分かった。帰りたくない理由は、よーーーく分かった。……だが、何点か約束してほしいことがある」
ファクトはふわっと浮かび上がると、部屋の隅に置いてあった椅子を持って戻ってくる。
アドニスをそこへ腰かけさせ、自分も向かいに座る。
そしてアドニスの顔をじっと覗き込み、大きな溜息をついた。
アドニスは目を合わせず、さらに俯く。
「はぁーーーー。しけた面して……。お前の考えや言いたいことが出てこないのは、よく分かったって言ってんの。俺は、お前の頭の中を見せてもらったよ。実際に見た! ひどいもんだよ! 寄ってたかって弱い者いじめしやがって……」
ファクトが見たのは、アドニスが今考えていることだけではなかった。
――アドニス自身の記憶だった。
先ほど使った何らかの術によって、まるで自分自身がその場にいたかのように、アドニスが経験した出来事を直接見たのである。
その光景は、惨憺たるものだった。
アドニスがなぜ現実世界へ帰りたがらないのか。
それを理解するには十分すぎるものだった。
しかし――。
ファクトには、まだ警戒していることがあった。
目の前にいる少年は、ファクトが悠久の時をかけて狩り続けてきた《創造主》になる可能性を持つ存在である。
今はまだ、覚醒すらしていない。
実体としての身体さえ持っていない。
ならば今のアドニスは――。
《創造主の卵》
そう呼べる状態なのではないか。
ファクトは、そう考えていた。




