第2話 トレジャーハンター
4時50分……。
マキナの世界にいた時間は、どれほどだったのか……。
アドニスのいる世界では時間が止まっていたのか、時計は1分も進んでいない。進んでいないどころか、本当に時間そのものが止まっていたのだろう。
「あっちの世界にいると、こっちの世界では時間が止まる? じゃあ、あっちの世界は今どうなってるんだろう?」
ぐーー。
「あっ。お腹すいたなー。まだこんな時間だし、何もないよな」
ぐーーーーーー。
「……何か食べよう」
さらにお腹が鳴り、何かを食べる決心をした。
キッチンに行くと、調理台の上にリンゴが置いてあるのが見えた。ひとつ手に取り、かじりつく。
「あまーーい。ううっ。でも皮はちょっと酸っぱい」
ガツガツ、シャリシャリ……シャリシャリシャリシャリ。
一気にリンゴをひとつ平らげ、もうひとつに手を伸ばす。2つ目も一気に食べてしまった。
「ふーーー、ちょっと満たされた。よしっ! また行ってみるか! サウザーにこのことを聞いてみよう」
そう言って、一目散に自室へ戻る。
時計を見てみる。
「5時15分か。さっきも1分も時間が進んでなかったな。あっちの世界に行っている時は、こっちの時間は止まっている……。じゃあ、こっちにいる時は、あっちの時間はどうなってるんだろう。やっぱり止まってるのかな」
今まで以上に冷静に考えてみる。
外の景色は、ほとんど見ていない。
あの丘の上にいた時は、眼下に街が広がっているように見えたが、はっきりとは見えていなかった。かなり高い場所だったのか、うっすらと雲がかかっているように見えたからだ。
そして、あの地下室……。
薄暗い中で、銀髪の少年サウザーがいた場所……。
小人のような身体では、あの部屋はとても広く大きく見えた。小さな身体で見たものではあるが、サウザーが立っていた風景を思い出し、なんとなく本来の広さを想像してみる。
「自分が小人になるなんてな。しかし、びっくりした。呼吸もできないし、ため息もつけなかったなぁ。こっちに帰ってきたら変な感じがするよ。生きてることを実感するというか……」
ふと、学校での出来事を思い出す。
『死ぬよりはまし……』
我慢して、我慢して、我慢して。
耐え抜いた末に頭に浮かんだのは、死だった。
しかし、この先に続く人生を考えれば、今の時間はほんの一時に過ぎないこともアドニスは理解していた。
それで出した答えが、
『死ぬよりはまし……』
この一言だった。
この言葉だけで、数か月を耐えてきた。
今の自分の力では、何をどうやっても解決できなかった。抗えば抗うほど数の力に押され、自分を見る周囲の目も、より批判的なものへと変わっていった。
その主導者は、3人の男子だった。
アドニスは、その3人を思い出す。
1人目は、地元の有力議員を親に持つリョージ。裕福な家庭に育ち、親の権力を笠に着る典型的なボンボンである。臆病な性格だが、弱い者いじめを得意とする卑怯者。
2人目は、小さな鉄工所で働く父を持つルーテツ。リョージとは違い、決して裕福とはいえない家庭で育った。正義感が強く、自分が正しいと思い込んでいる節がある。
3人目は、児童養護施設で暮らしているレン。引っ込み思案で、あまり表に出るような性格ではないが、リョージの影響を受けて次第に陰湿になっていった。
「ふー。僕がマキナの世界に行ってると、その間はあいつらのことを考えなくて済むな。今までの自分が悪いのはわかっている。悔い改めても止まらないのは何故なんだ? 本当は時間なんか止まらずに、マキナの世界に行ってる間も進んでたらいいのに!」
そう言うと、ベッドに横になる。
壁に掛けてある時計を見ると、5時45分を指していた。
「46分になった瞬間に意識を集中して、あっちの世界に行く。今回は何秒経っているかを見てみよう。1秒も経っていないなら、しばらく帰らずにあっちの世界で過ごそう!」
時計の針が5時46分を指した瞬間、意識を集中する。
………………パーーーーー!!!
『あれ? 身体が動かない……。声も出ない!! 何も見えない!!! ちょっとーー!』
パニックである。
考えることはできても、何も感じない。何も動かせない。
それもそのはず。アドニスは、小さな箱の中に入れられていたのである。
ガタガタ……ガシャーーン!!
「うわっ! ええ?」
アドニスを入れていた箱が棚から転がり落ち、その音にサウザーが驚いて目を丸くしている。
「やっと出られた! 箱? こんなところに閉じ込めてたのか?」
一瞬パニックになり、恐怖を感じたことで怒りが込み上げてきた。サウザーを見上げ、まくし立てるように言う。
しかし、ふと我に返る。
「あれからどれくらい時間が経ってる? っていうか、ここの時間は僕の世界とどれだけ違うの?」
サウザーはきょとんとした顔でアドニスを見ている。そしてクスクスと笑い、こう答えた。
「時間? 時間の流れはもちろん違うさ。お前が向こうの世界に戻ってから……そうだな。こっちじゃ60年くらい経ったかな?」
「ろろろろろ60年!!!?? 60年も経ってるの!?」
その数字を聞いた途端、アドニスは驚きを隠せなかった。
それもそのはず、銀髪の少年サウザーは見た目がまったく変わっていない。60年という年月は、アドニスたち人間からすれば、とてつもなく長い時間である。
「僕が向こうに戻ったのが4時50分で、今が5時46分だから……まだ56分しか経ってないよ!」
「へぇ。そっちじゃ56分なのか。こっちじゃ60年だ。まあ、そんなもんだろ」
「そんなもんじゃないよ!!」
パニックである。
10歳の少年が持つ常識の範囲など知れている。その常識の許容量を明らかに超えた答えに、再び頭の中は大混乱。
「待って……。でも、さっき僕がこっちにいた間は、向こうじゃ1分も時間が進んでなかったんだぞ? どうなってるんだよ?」
「さあな。だから時間の流れが違うって言っただろ。こっちとそっちの時計を並べて比べられるわけでもないしな」
「適当だなぁ……」
「なーに、たった60年だよ。でも少し久しぶりではあるな」
「たったじゃないよ!!」
しかし今は、時間の仕組みを考えている場合ではない。
「そんなに時間が経つならまずい! やっぱり帰らないと!」
帰ると言っても、どうやって帰ればいいのかわからない。
目を閉じたり、横になったり、元いた箱に入ってみたりと、いろいろ試してみる。
……まったく帰れる気配がしない!!
オロオロしているアドニスを見て、サウザーがまたケラケラと笑っている。
「はははっ! 何やってんだよ。そんなことで帰れるわけないだろ」
「じゃあ、どうやって帰るんだよ!」
「簡単だよ。寝ればいい」
「…………は?」
「こっちで眠るか、気を失うか……まあ、意識を保てなくなれば勝手に向こうへ戻るよ。思念体が消滅しても同じだな」
「最初に言えよ!!」
「聞かれなかったからな」
悪びれる様子もなく、サウザーは笑っている。
「でも、その前にだ。今の身体じゃ何かと不便だろ? しかも、そんななりじゃ外にも行けない。代わりの身体になる思念体を用意してきた。これなら俺と変わらないくらいの大きさになるだろうな」
そう言ってサウザーは立ち上がり、戸棚の一番下に置いてある大きな黒い筒を取り出した。
筒の蓋を開ける。
中には、白くモヤモヤとした、気体なのか液体なのかよくわからない物質が入っていた。前回見た瓶入りの思念体とは、少し違うように見える。
「さっ、この中に入ってくれ。それで自分の身体を想像してくれ。それがだんだん形になっていくからさ」
白いモヤモヤの中に入るよう言われたが、だんだん慣れてきたのか、アドニスに戸惑う様子はない。
無言で横たわった筒の中へ入っていった。
……白い光の中に入ったアドニスは、前回とはまったく違う感覚を覚えた。
どこか懐かしい、暖かな光……。
その光はどんどん大きくなり、今まで感じられなかった温もりを感じるようになる。
手足にはしっかりと感覚がある。筒の内壁だろうか。ツルツルとした感触もある。
すべてが懐かしく、すべてが新鮮だった……。
「あっ」
モヤモヤとぼーっとしていた意識がハッキリとしてくる。
周りがしっかり見えるようになり、前回と同じベッドに横になっているのがわかる。
……前回と違うところは――。
「いっ、息ができる!! ハッ! 触った感触もある! おおーーー、生きてるって感じだ!」
立ち上がって万歳をする。
それを見たサウザーは、ポカーンとした表情を浮かべている。
「そりゃそうだ。今回の思念体にはかなり張り込んだからな。教団お墨付きの祝福儀礼済みの神木の筒に入れて、何万年もかけて練り上げたものだからな。いやー、これを手に入れるのは大変だったよ」
今度はアドニスがポカーンとした表情を浮かべる。
「何がどうなってんの? これ、何万年も前の物なの? そんな大昔の大切なもの使ってもいいの!?」
ポカーンとした表情から一変。驚きを通り越し、罪悪感すら覚えたような表情になる。
「何言ってんの? こんな貴重なものを教団はたくさん所有してるんだぜ。一本くらい頂戴したって罰は当たらないよ。だいたい休眠中の司祭の替え玉用に使うような物だ。そんなこと、なかなかあるわけじゃないから、一本や二本なくなったって問題ないって」
……この発言、明らかに泥棒である。
アドニスはじっとサウザーを見ながら、絞り出すように言う。
「これは盗品なんだろ!? 盗品使って俺の身体作ったのか!?」
「はは! 俺って言った! 別にいいんだよ。教団なんて裏じゃ私利私欲の塊みたいなもんだよ」
「そりゃ俺って言いたくなるわ! バカじゃないの? 泥棒だよそれ! 盗んできたんだろ? 俺もその共犯者なわけだろ? 勘弁してよ……犯罪者になっちゃったよ」
「泥棒? 泥棒は人聞きが悪いな。トレジャーハンターと言ってくれよ」
『トレジャーハンター? それは古代遺跡や前人未到の場所を目指したりする、超人的な学者のようなものではないのか? 泥棒まがいのことをするのがトレジャーハンターなわけない。こいつは泥棒だ』
アドニスは大きく息を吸ってからため息をつき、次の言葉を発する準備をする。
「やっぱり帰る。もう二度とここには来ない。泥棒として捕まったら、元の世界にも帰れなくなるかもしれない」
落ち着いた表情で、淡々と言いたいことを伝えた。
サウザーはきょとんとした顔でアドニスを見る。
「帰るの? まだ何も見てないのに?」
「見る必要ないよ。寝れば帰れるんだろ?」
「帰れるよ。だから、もったいないって言ってるんだ」
「何が?」
「せっかくこっちに来たんだ。外にもほとんど出てない。俺以外の奴にも会ってない。この世界のことなんて何も知らない。それで帰るのか?」
「…………」
「それに、その身体まで用意したんだぜ? 一回くらい俺のトレジャーハントに付き合えよ」
「泥棒だろ」
「トレジャーハンターだ」
「泥棒」
「トレジャーハンター」
「…………」
「よし、決まりだな」
「何も決まってない!!」
サウザーは楽しそうに笑っている。
「じゃあまず、教団に行ってみようぜ。面白いものがたくさんあるからさ」
「お前はやっぱりバカなのか? 泥棒の次は不法侵入か!? 何やらそうとしてんだ!? 僕は行かない。泥棒と一緒にいるところを見られたら逮捕される!」
「ははははっ! サングンタイ星で教団の物を取っても、誰も逮捕したりしないよ。そんなこと日常茶飯事だし、教団もそれを容認しているしな。その寛容さあっての教団だよ。だいたい、お前この世界のこと何にも知らないだろ? いろいろ教えてやるよ」
アドニスには、サウザーが自分の行いを正当化して誤魔化しているようにしか聞こえなかった。
しかし、サウザーの言うことは妙に腑に落ちる。
確かに、この世界のことは何も知らない。
外にいたのは一瞬だけで、サウザー以外の生物には会ってもいない。それに「教団」と呼ばれる組織についても、まったく何も知らない。
そう考えると、だんだん好奇心が湧いてきた。
「なんか、いいように言ってるだけに聞こえるんですが……。本当に罰せられたりしないのか? ……百聞は一見に如かずって言葉知ってるか? 俺は、その言葉が好きなんだよ。だから自分の目で見てから考える。駄目だと思ったらサウザーがどうにかしてくれ。俺は何もできないだろうから」
不安と好奇心が入り混じった言葉に、サウザーは間髪入れずに言い返す。
「自分で可能性を潰すんじゃないよ。今日からお前は俺の相棒だ。トレジャーハンターになって、世界のいろんなものを見に行こう」
アドニスは、大きなため息をひとつ。
やはりこの男には何を言っても通じないのだと、確信めいたものが出来上がった。
しかし――。
『こっちにいる間は、元の世界の時間は動いていなかったんだ。だったら、もう少しくらいここにいてもいいか……。それに……少し面白そうだしな』
帰ろうと思えば帰れる。
眠ってしまえば、それで終わりだ。
それでもアドニスは、今すぐ眠ろうとは思わなかった。
そう考えていることが表情に出ているらしく、サウザーがじっとこちらを見ている。
アドニス本人もわかっていた。
不安よりも、好奇心の方が少しずつ大きくなっている。
気がつけば、思わずニヤニヤしてしまっていた。
「なんだよ、ニヤニヤして。覚悟は決まったのか?」
「ああ! やってやるよ!!」
そう言って、二人は固く握手をするのであった。




