第18話 謎兜
多重結界闘技場の演習所を出たアドニスとクルスは、再び受付へと向かった。
「はーい! お疲れさまでした! 十九番の方々ですね。またのご利用をお待ちしております!」
受付嬢がにこやかに二人を迎える。
しかし、クルスは無言だった。
差し出された会員証を受け取り、ぺこりと頭を下げると、背中を丸めて出口へと歩き始める。
頭には、ジンの思念体から受け取った兜。
その奥に隠された表情は見えないが、肩の落とし方だけで、どれほど落ち込んでいるのかは十分に伝わってきた。
「ありがとうございました! また来ます!」
アドニスは受付嬢に手を振り、トボトボと歩くクルスを追いかけた。
「……あああああ。毛生え薬が欲しい……」
「ぷっ……!」
思わず吹き出しかけたアドニスは、慌てて口を押さえる。
「ご、ごめん。笑っちゃ駄目だよね。……あっ! もしかしたらアイテムボックスにあるかも!」
「本当か!?」
クルスが勢いよく振り向いた。
「助かる! 早くジン様にお願いしてくれ!」
「分かった、分かったって!」
二人は人通りの少ない場所へ移動すると、アドニスがアイテムボックスを開いた。
空間に現れた扉の向こうから、ジンの姿をした小さな思念体が顔を出す。
「えーっと……ハゲた人の髪が生えてくるような薬って、ある?」
ジンの思念体はクルスの方を見た。
そして、にっこりと微笑む。
クルスが期待に満ちた様子で身を乗り出した。
しかし、ジンの思念体はアドニスへ向き直ると、静かに首を横に振った。
「……ないって」
「くううううっ!」
クルスは両手で兜を抱え込んだ。
「まあ、ジン様を拝めただけでもよしとするか……。ないものはない。諦めるしかないな」
「髪もねー」
「おいーーーーっ!!」
アドニスはとうとう我慢できず、腹を抱えて笑い出した。
「ごめん! ごめんってば!」
「絶対に悪いと思ってないだろ、お前!」
そう言いながらも、クルスの声には少しだけ元気が戻っていた。
そんな二人のやり取りは、傍から見れば仲のいい兄弟のようだった。
アドニスには兄弟がいない。
一人っ子として育った彼は、時折、兄という存在に憧れを抱くことがあった。
「ねえ、クルスって兄弟いるの?」
「なんだよ、唐突に」
「いや、ちょっと気になって」
「いないよ。俺は、一人っ子だ」
「そうなんだ!」
「それに、両親は俺が生まれてすぐ事故で亡くなったからな。じいちゃんとばあちゃんに育てられたんだ。アドニスは?」
「えっ……」
アドニスの笑顔が消えた。
「あ……ごめん。変なこと聞いちゃった。僕も兄弟はいないよ」
「なんで謝るんだよ。別に気にしてないって」
クルスは軽く肩をすくめた。
「両親の顔も知らないし、じいちゃんとばあちゃんが親みたいなものだったからな。二人とも何年か前に亡くなったけど、それからは師匠が親代わりだったよ」
「……そっか」
「まあ、いろいろあったけど、悪いことばっかりじゃなかったさ」
兜のせいで表情は分からない。
それでも、クルスが懐かしい何かを思い出していることは、声の調子から伝わってきた。
アドニスは何と返せばいいのか分からず、しばらく黙っていた。
そのときだった。
ぐううううううっ!
「……腹減った!」
「ええっ!?」
「とりあえず飯だ! 何食べたい?」
あまりにも唐突な話題の転換に、アドニスは目を丸くする。
「え、えーっと……肉!」
「肉かー! 昼も肉だったような気がするけど、まあいいか! 育ち盛りは食べないとな!」
そう言ってクルスは歩き始めた。
アドニスも、その背中を追いかける。
いつの間にか、二人の足取りは少し軽くなっていた。
※
昼間にも訪れた露店の並ぶ広場は、夜になってさらに活気を増していた。
青や緑の街灯が石畳を照らし、店先には色とりどりの料理が並んでいる。
肉の焼ける香ばしい匂い。
威勢のいい客引きの声。
行き交う人々の笑い声。
昼間とは違った賑やかさに、アドニスは目を輝かせた。
「うわー! おいしそうな匂い!」
「だろ? 夜は昼間より店も増えるんだよ」
「あっ、そういえばさ」
「ん?」
「その兜、どうやってご飯食べるの? 脱がないと駄目なんじゃない?」
「……あ」
「脱いだらハゲ見えちゃうよ」
「おいーーー! はっきり言うな!」
クルスは慌てて兜の顎のあたりを触り始めた。
「でも、これ……前の部分だけ開きそうなんだよな」
「どれどれ?」
アドニスが横から覗き込む。
白銀とはほど遠い、ツヤもなくどこか無骨な造りの兜。
よく見ると、側面の内側に小さな突起があった。
その先端が、淡く光っている。
「あれ? これ、スイッチじゃない?」
「ん? どこだ?」
「ここだよ。ポチッ!」
「おい、ちょっ――!」
ピッ!
キュイイイイイン!
突然、兜の内部から甲高い作動音が響いた。
目の部分が淡い緑色に輝き、細かな機械音が連続して鳴り始める。
「うわっ! 押したのかよ!」
「だ、大丈夫!?」
「……え?」
クルスの動きが止まった。
「ええっ!? な、なんだこれ!?」
両手で目の部分を覆ったかと思えば、すぐに手を離す。
露店を見る。
アドニスを見る。
自分の手元を見る。
そして、また露店へと視線を戻した。
「ちょっと! クルス! 何が見えてるの!?」
「すごい……!」
「何が!?」
「これ、すごいぞ! これは、武具屋の親父さんが使ってる鑑定スキルみたいなやつだな!街中の物や武具の名前や特殊効果まで分かる!」
「ええっ!?」
「魔道具……いや、兜だから魔装って言うのか? とにかく、ものすごい物だ!」
ガジャッ!
突然、兜の顔面部分が中央から左右に分かれた。
「うわっ!」
驚いて飛び退くアドニス。
開いた兜の中から、クルスの顔が現れる。
つい先ほどまでの落ち込みが嘘のように、満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとう、アドニス!」
「えっ!?」
クルスはアドニスの手を両手で掴み、勢いよく上下に振った。
「これはすごい装備だ! 本当にありがとう!」
「わ、分かったから! 手が取れちゃうって!」
ジャカッ!
兜の顔面が閉じ、再び緑色の光が灯る。
「すごい! ほんとにすごい!」
ガジャッ!
「ええっ!? そんなことまで分かるのか!」
ジャカッ!
「おおおおっ!」
「ぷぷっ! さっきから『すごい』しか言ってないじゃん! 何がどうすごいのか全然伝わらないよ!」
クルスは再び顔面を開き、アドニスに向かってにやりと笑った。
「ふっふっふっ。これは明日が楽しみだな!」
「……なんだよ、その顔」
「さーて! 飯だ飯だ!」
クルスは軽い足取りで露店へ向かった。
その変わりように、アドニスは思わず首を傾げる。
「……急に元気になったな。大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫!」
クルスが振り返った。
「この兜、精神強化っていう効果まで付いてるんだよ! だからもう、何にも気にならない!」
「へえ……」
「ほら、あっちの肉もうまそうだ! こっちの料理は何だろうな! あはははは!」
クルスは両手を広げ、弾むような足取りで歩き始めた。
いや、歩いているというより、踊っている。
人混みの中をひらり、ひらり。
軽やかに身体を回転させながら、露店から露店へと移動していく。
「ちょ、ちょっとクルス!」
「んー?」
「なんかテンションおかしくない!? 周りの人、すっごく見てるよ!」
「どうしてー? 全然おかしくないよー!」
くるり。
くるくる。
「ほら! こんなに身体が軽いんだよ!」
「だから回らないでってば!」
アドニスの声など聞こえていないかのように、クルスは人々の間を踊り続けた。
そして――。
「あっ! 危ない!」
前方から、大きな皿に料理を載せた男が歩いてきた。
筋骨隆々とした戦士風の大男だ。
クルスがその目の前でくるりと回る。
「おっと!」
男は慌てて身体をひねった。
しかし、皿が大きく傾く。
ガシャン!
料理が石畳へと滑り落ちた。
「……あ?」
男が足元を見下ろす。
続いて、くるくると回り続けるクルスを見た。
「おい! なんだてめえ! 危ねえだろうが!」
「ごめんねー!」
「ごめんじゃねえ! 飯が全部落ちたじゃねえか!」
男がクルスの肩を掴もうとする。
ヒョイッ。
その手は空を切った。
「……あ?」
男がもう一度手を伸ばす。
ヒョヒョイッ。
クルスは踊るように身体を傾け、またしてもかわした。
「逃げんじゃねえ!」
「逃げてないよー!」
「逃げてんだろうが!」
「ちょっと! クルス、止まって!」
アドニスが駆け寄ろうとする。
しかし、男はすでに怒り心頭だった。
「飯代弁償しやがれ!」
「いいよー! 弁償するよー!」
「だったら止まれ!」
男が拳を振り上げる。
「オラァッ!」
ブンッ!
大きな拳がクルスの顔面を狙った。
だが、当たらない。
クルスはわずかに首を傾けただけだった。
「……ん?」
男が目を見開く。
続けざまに拳を繰り出す。
右、左、右。
どれも確実に捉えたはずの一撃だった。
しかし、そのすべてが、ほんのわずかな差で空を切る。
「おおおっ! すごい!」
アドニスが思わず声を上げた。
クルス自身も、不思議そうに自分の身体を見下ろしている。
「へえ……。なんだか当たらないねえ」
「てめえ! ふざけやがって!」
「いやいや、飯代は払うって言ってるじゃないかー!」
「そのふざけた態度が気に入らねえんだよ!」
男は背中に手を伸ばした。
引き抜かれたのは、斧とハンマーを組み合わせたような大きな武器。
その刃が街灯の光を受けて鈍く輝く。
「うわっ! 武器を!クルス!早く謝ってよー!」
「おおー。抜いちゃったねー。でも抜いたからには……」
クルスは相変わらず楽しそうだった。
「大丈夫かなー? 後悔しないかなー?」
「この野郎!」
男が武器を振り下ろす。
ゴウッ!
風を切る音が響いた。
クルスは軽く身体を横へ流す。
刃は石畳のすぐ上を通り過ぎた。
「おおおおおっ!」
周囲から歓声が上がった。
「喧嘩だ! 喧嘩!」
「兜の兄ちゃん、やるじゃねえか!」
「大男も負けるなよ!」
いつの間にか、人だかりができていた。
「さあさあ! どっちが勝つか賭けようじゃねえか! 兜の兄ちゃんか、大男か!」
「俺は大男だ!」
「いや、あの兄ちゃん、ただ者じゃねえぞ!」
勝手に賭けまで始まっている。
「ええええっ!? ちょっと待ってよ!」
アドニスは必死に人混みをかき分けた。
「クルス! もうやめようってば!」
しかし、周囲の大人たちに押され、どんどん後ろへ追いやられてしまう。
十歳のアドニスには、人垣の向こうがまるで見えない。
「おーい! クルスー!」
聞こえてくるのは怒号と歓声ばかり。
「くそっ! なんで当たらねえ!」
「あはははは!」
「おおおおっ!」
アドニスは頭を抱えた。
――とんでもないことになっちゃった!
あの兜、絶対におかしい!
精神強化って言ってたけど、どう考えても普通じゃない!
もしかして、呪いの兜なんじゃ……!?
「あっ!」
アドニスは何かを思いつき、《記拳グローブ》のコンソールを開いた。
使える魔法の一覧が浮かび上がる。
しかし――。
「……ない!」
使える魔法が少なすぎる。
ファクトが熟練度に応じて制限をかけているため、今のアドニスには、この騒ぎを収められそうな魔法が見当たらなかった。
「うわあああ! ファクトー! どうにかしてよー!」
そのとき。
ヌッ。
「うわっ!?」
足元の地面から、見慣れた顔が現れた。
「……なんだ。ずいぶん賑やかだな」
「ファ……!」
アドニスが叫ぼうとした瞬間、口が動かなくなった。
「もごっ!?」
「しーっ。騒ぐなって」
「もごもごもご!」
ファクトは地面から顔だけを出したまま、人垣の向こうへ視線を向けた。
「……ああ、あれか。ナイトヘルムだな」
「もごっ!?」
「ありゃ失敗作だ」
ファクトは、なぜか楽しそうに笑った。
「懐かしいな。まだあんなのが残ってたのか」
「もごもごもごもご!」
「まあ待てって。ちょっと細工すれば、人間にも使えるようになるだろうけどな」
ファクトはしばらくクルスの方を眺めていた。
「……あのまま使わせても面白そうだな」
「もごおおおおっ!!」
アドニスが両手を振り回す。
「ああ、悪い悪い」
ファクトが指を軽く動かすと、ようやく口が自由になった。
「ぷはっ! ちょっと! 笑ってる場合じゃないでしょ!」
「分かった分かった。とりあえず、お前とクルスをここから転移させるぞ」
「えっ?」
アドニスの身体が白く輝いた。
そのとき、人垣の向こうから大男の怒声が響いた。
「今度こそ逃がさねえぞ!」
「わあー! まだやるのー?」
クルスの楽しそうな声が重なる。
「ちょっと! クルスもちゃんと――!」
アドニスが言い終えるより早く、視界が真っ白になった。
次の瞬間、二人の姿は広場から消えていた。




