第16話 決意表明
二人は、演習場の受付から少し移動して、露店とテーブル席がある広場に向かった。
移動中、二人は話をすることなくトボトボと歩いて席に着く……。
無言のクルス……。少し不安げな表情のアドニス……。
パンパン!!
クルスが手を二回鳴らすと、ウエイトレス風の服装をした思念体がやってくる。
「あーー。今日のおすすめは、何がある?」
スッ。
やはり喋らない。手に持っていたチラシを見せてくる。
「そうだな。このセットにする」
「僕は、こっち!!」
「おいおい。思念体は、飯食べれないんだって……」
ペコッ。
一礼してウエイトレス風の思念体は、露店のあるキッチンの方へ向かっていく。
「食べれるかどうかは分からないじゃないか。痛いのは分からないけど、匂いは分かるし喋ることもできるでしょ! もしかしたら食べれるかも??」
ガタッ!!
ビクッ!!
クルスが急に立ち上がり、座っていた椅子が後ろに倒れる。倒れた椅子を先ほどのウエイトレス風の思念体が瞬時に立て直す。
「わっ! 急に立ち上がらないでよ! って言うか、ウエイトレスさん早っ!」
「アドニス……。お前……。匂いが分かるのか??」
「うん。分かるよ。ここ、すごくおいしそうな匂いがする!! お腹は減らないけどね」
「……うーーん。やっぱり俺の常識は通じないんだな。普通、思念体は匂いや味なんてものは分からないんだ」
そう言うとクルスは、後ろを向きキッチンのある方を指さす。
「ほら。キッチンで飯作ってるのは人間だろ? 煙が煙たいのか目を細めてる。思念体はそんなことはしない」
確かにそうである。アドニスが注文した串焼きのセットを炭火で焼いていて、モクモクと煙が上がっている。その煙を手で払い、煙たそうな表情をしている。
調理をしている人間に対して、煙が思いっきりかかっているウエイトレス風の思念体は、表情一つ変えない……。
「ほんとだ! すっごく煙たそうにしてるーーー。僕も煙は煙たいのかな??」
そう言って調理しているところまで駆けていく。
「なんだ坊主、待ちきれないのか? どうだ?? うまそうだろ! もう少しでできるからな!」
「うん! ありがとう! すっごくおいしそう!!」
炭火で焼かれているのは、タレに漬けた串に刺さった肉で、その肉から肉汁が滴り、そのたびにモクモクと煙が上がっている。付け合わせの野菜も一緒に焼かれている。実にうまそうである。
しかし、アドニスの顔にもモクモクと煙がかかるが、まったく煙たくならない……。
いい匂いはするようであり、大きく息を吸い込んでいる……。
満足したのか、アドニスが席に戻ってくる。
「結果発表!! 匂いはする! 煙たくはない! 以上!! 味はするのかな……」
「やっぱりそうなんだな。感覚的なものがないのかもしれないな。尻や頭を打ったりした時も痛い気はするけど、痛みはなかったんだろ? そのあたりのことについてもファクト様は……何にも言ってないよな……。はぁ……」
クルスは、大きくため息をつく。次の瞬間、顔を両手でパンパンと叩く。
「いや! 考えても仕方がないな! 乗っかった船だ! やってやるよ!!」
スッ。
クルスが顔を叩いた音に反応して、ウエイトレス風の思念体が席までやってくる。
「あっ。ははは。間違いだ」
深くお辞儀をして、またキッチンの横に戻っていく。アドニスは、それすらもニコニコして楽しそうに見ている。
「ほらな。あれが思念体の正常な反応だよ。……今は、お前のことを信じることにする! ファクト様の命令だからじゃない! 俺の意思でアドニスを鍛えて闘技会に出る! それで2位入賞して俺は、自分の夢をかなえる!!」
「えええ!? じゃ僕のこと聞かないの?」
「いや……。それは聞くけどな。まー飯食ってからだ!」
そう言っていると、料理が運ばれてくる。
クルスが注文したのは、今日のおすすめセットで海鮮串焼きと肉ダレがかかった大盛りの焼き飯である。アドニスは、肉のタレ串焼きと焼き野菜、これまた大盛りのチーズたっぷりのパンのセットである。
二人は、歓声を上げたと同時にナイフとフォークを持って料理にがっつく!!
「熱っ! うんめぇーーーー。やっぱり串焼きは海鮮だなー。あつつ! 旨すぎる!!」
アドニスもクルスに負けじとがっつく!!
「おいしい!! クルス!! 味分かるよ!! よかったーー」
クルスは、ハフハフと熱そうに食べているが、アドニスのタレ焼きの方が熱そうなのにまったく動じず食べている。トロットロのチーズパンも躊躇なく口に運んでいる。
「アドニス……。それ……熱くないのか??」
頬張るたびに、チーズから尋常じゃない量の湯気が出る。
「うん! どうして? ちょうどいいくらいだと思うけど。美味しいよ!」
「おっ、おう。やっぱり熱さも感じないんだな」
「んんん? 熱さは感じるよ。少し熱いけど食べられないほどじゃないもん」
クルスは、注意深くアドニスの食べている姿を観察していたが、首を横に振り、クルスも食事を楽しむ。
「あっ。そう言えば! この近くに本屋があったな。飯食ったらその本屋に行ってみるか?」
「もぐもぐ……本屋さん?」
「そうだ。ラムダの歴史とか、神話とか、そういう本を扱ってる店があるんだよ」
「へぇーーー! 行ってみたい!」
「よし。じゃあ、さっさと食って寄ってみるか。って言うか……ここから見えるくらいの位置だけど……アレだな」
食べている海鮮串で本屋の方向を指す。
『串で……お行儀が悪いなぁ。もぐもぐ』
「ん? 何か言いたそうだな?」
「ゴクッ。なんでもないよ! ご馳走様! あそこ?」
クルスも食べ終わり席を立つと、掃除担当の思念体が数人やってきて、食器を片付けたり机を拭いたりする。
「ご馳走様。美味しかったよ」
アドニスは、思念体に向かってお礼を言うが、返事はなく黙々と働いている。
「おーい。早くこいよー」
そう言って本屋の前で手招きするクルス。
※
トントン。
本屋から一人の老人が出てきて、アドニスの肩を軽く叩いた。
「ん?」
振り向くと、そこには一人の老人が立っていた。
白い髪。少し曲がった腰。そして、手には一本の木の杖。どこにでもいそうな、ごく普通の老人である。
「あれ?」
アドニスは、老人の顔をじっと見つめる。
「……あっ!!」
「どうした?」
「おじいさん!!」
老人は、にこやかに笑っている。
「この前、闘技場の場所を教えてくれたおじいさんだ!!」
そう。
アドニスが初めてラムダの街にやって来た時、多重結界闘技場の場所を教えてくれた老人であった。
老人は、ゆっくりと頷く。
「わーー! また会えたね!」
「なんだ? 知り合いなのか?」
「うん! この前、ファクトに来るように言われた闘技場の場所が分からなくて困ってたら、教えてくれたんだよ!」
「へぇーー。そりゃ親切なじいさんだな」
老人は、二人の会話を穏やかな表情で聞いている。
「そうだ!」
アドニスは、何かを思い出したように老人へ近づく。
「おじいさんって、名前は何て言うの?」
老人の表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
「…………」
老人は、少し考えている様子である。
そして、口を開いた。
「アクテ……」
ブホッ!! カタカタカタ……。
突然、妙な音が本屋の奥からしたような気がした。
「……え?」
「……ん?」
アドニスとクルスが、同時に周囲を見回す。
しかし、近くには老人以外に誰もいない。
老人は、何事もなかったような顔をしている。
……が。
杖を握る手に、少しだけ力が入っていた。
くっ……くくくっ……。
また、妙な音がする。
「……?」
「なんだ? 誰か笑ってるのか?」
老人は、軽く咳払いをした。
「こほん」
そして、もう一度名乗ろうとする。
「アクテ……」
ぶふっ!!
今度は、先ほどよりもはっきりとした音がした。
老人の眉が、ぴくりと動く。
アドニスは、不思議そうに首を傾げた。
「アクテ?」
「……そうじゃ」
「おじいさんは、アクテって名前なの?」
老人は、何かを言おうとしているのか、少し硬い表情をしている。
「じゃあ、アクテじいさんだね!」
「……そうじゃ」
一言呟き、老人が固まった。
くっ……。
くくくくっ……。
どこからか、必死に笑いを堪えているような音がする。
老人は、ゆっくりと店の奥に目を向けた。
その眼差しは、先ほどまでの穏やかな老人とは思えないほど鋭かった。
しかし、アドニスは気づいていない。
「アクテじいさん! よろしくね!」
「おいおい、アドニス。初対面の人に、いきなりじいさんは失礼だろ」
「えっ? でも、おじいさんだよ?」
「そういうことじゃねぇ! 全くこれだからお子様は……。本屋さんの方……ですよね?」
老人は、しばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「……そうじゃ。まあ、好きに呼びなさい」
「うん!」
アドニスは、満面の笑みで頷いた。
※
アクテじいさんの招きでアドニスとクルスは、店の中へ。
入口には、古い木の扉。その横には、何冊かの本が並べられた小さな棚が置かれている。
「うわーー! 本がいっぱい!」
「そりゃ本屋だからな」
「分かってるよ!」
アドニスは、さっそく店先に並べられた本を手に取る。
表紙には、剣を掲げた人物と、巨大な怪物の姿が描かれていた。
「これ、何の話?」
「ん? どれどれ……」
クルスは、表紙を覗き込む。
「ああ。昔の英雄譚だな」
「英雄譚?」
「強い英雄が怪物を倒したり、国を救ったりする話だよ」
「へぇーーー! 面白そう!」
アドニスは、ページをめくろうとする。
しかし、途中で手を止めた。
「……あっ? そうだ……ラムダの字読めないんだった?」
クルスは、一瞬きょとんとした顔をする。
そして、大きくため息をついた。
「そりゃそうだろ! お前、ラムダの文字を習ったことないんだから!」
アドニスは、少し残念そうに本を閉じる。
「せっかく面白そうなのに……」
すると、隣に立っていたアクテじいさんが、静かに別の本を差し出した。
それは、少し厚みのある絵本だった。
表紙には、色鮮やかな街並みと、何人もの人物が描かれている。
「……これは、絵本?」
アクテじいさんは、頷く。
アドニスがページを開く。
そこには、文字だけでなく、大きな挿絵が描かれていた。
「わーーー! 綺麗だなぁ!」
ページをめくるたびに、違う景色や人物が現れる。
空を飛ぶ人物。
巨大な木。
見たこともない建物。
そして、不思議な姿をした生き物たち。
「これなら、何となく分かるかも!」
アクテじいさんは、嬉しそうに微笑んだ。
クルスも絵本を覗き込む。
「へぇーー。この話は、俺は知らないなぁ。ずいぶん丁寧に描かれてるな」
「ねぇ、クルス。この人は誰?」
「ん? ……ちょっと待てよ」
クルスは、絵本の説明文に目を通す。
「これは、昔の旅人の話みたいだな。色んな土地を巡って、その土地の人たちと出会う物語らしい」
「旅人かぁ……」
アドニスは、絵の中の人物を見つめる。
「僕も、色んなところに行ってみたいな」
「お前、もう十分色んなところに行ってるだろ」
「そうかな?」
「お前、ラムダに来る前にも色々あったんだろ? 俺なんか、まだラムダの外にだってほとんど行ったことないんだから」
「……そっか」
アドニスは、もう一度絵本を見る。
「でも、僕は自分で行きたいって思って来たわけじゃないから……」
クルスは、何も言わなかった。
アクテじいさんも、静かにアドニスを見ている。
少しの沈黙。
しかし、アドニスはすぐに顔を上げた。
「でも、ラムダに来たのは楽しいよ!」
「……そうか?」
「うん! クルスにも会えたし!」
クルスは、一瞬驚いた顔をした。
そして、照れくさそうに首筋をポリポリとかく。
「……まあ、俺もお前に会えて退屈はしてないな」
「えへへ」
その様子を見ていた老人は、ほんの少しだけ目を細めた。
そして、アドニスが持つ絵本に視線を落とす。
「……物語というものは、不思議なものじゃよ」
アクテじいさんが、静かに口を開いた。
「同じ物語でも、読む者によって感じることが違う。憧れる者もいれば、怖がる者もいる」
アドニスは、アクテじいさんの話に耳を傾ける。
「そして、時には……その物語が、誰かの生き方を変えてしまうこともある」
「……そうなの? それは、なんだか怖いなぁ?」
「そうじゃよ」
アクテじいさんは、穏やかに笑った。
「だからこそ、物語を書くというのは、なかなか難しいものなのじゃ」
老人は、どこか遠い昔を思い出すように、小さくため息をついた。
「へぇーー。アクテじいさん、詳しいんですね」
「…………」
老人は、少しだけ目を閉じた。
うっくくっ……。
また、あの妙な含み笑いが聞こえた気がした。
「……昔から、本が好きでの。物語を考えるのも好きなんじゃ」
「じゃあ、アクテじいさんも物語を書いたことあるの?」
「…………」
老人は、少し考える。
「……まあ、少しだけな」
「えええ!? すごい!!」
「おお! そりゃすごいな!」
アクテじいさんは、二人の反応に少し困ったような顔をした。
「そんな大したものではないよ」
「どんな話を書いたの?」
「……色々じゃな」
アクテじいさんは、気まずくなるとすぐに咳払いをする。
アドニスは、嬉しそうに絵本を抱える。
「僕、物語って好きかもしれない!」
アクテじいさんは、その言葉を聞いて少しだけ微笑んだ。
「……それは、よかった」
※
しばらくして、二人は本屋を出た。
アドニスの手には、先ほどの絵本がある。
クルスが買ってくれたものだった。
「ありがとう、クルス!」
「まあ、文字の勉強にもなるだろうしな」
「うん! 大切にする!」
アドニスは、絵本を胸に抱えた。
そして、店先に立っているアクテじいさんへ振り返る。
「アクテじいさん! 今日はありがとう!」
老人は、ゆっくりと手を振った。
「……気をつけて帰るんじゃぞ」
「うん! またねーーー!」
アドニスは、元気よく手を振る。
クルスも軽く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
二人は、広場の方へ歩いていく。
老人は、その姿が見えなくなるまで、静かに見送っていた。
そして……。
ぶふっ……くくくくっ……。
再び、奥から笑い声が聞こえた。
「……いつまで笑っているのです?」
老人の口調が、先ほどまでとは少し変わっていた。
『だって……ふふっ……アクテじいさん……!』
声の主は、本屋の奥の部屋に立てかけられた、赤い布と金色の鈴が付いた長い木の杖からだった。
「…………」
『ぶふっ! ……くくくっ! あーだめだわ。笑うの我慢したら余計におかしくなっちゃう』
「……レヴィ」
『ごめん、ごめん! でも、名前を聞かれて、アクテって!!』
「……咄嗟だったのですよ」
『まさか……本名を言うつもりだったでしょう!? しかも、アクテじいさんって呼ばれてるし! くっくくっ、あはははっ!』
「……笑いすぎです」
『ふふふっ……!』
老人は、深くため息をついた。
「……まったく」
そして、アドニスたちが去った方向を見る。
『でも、面白い子だったね』
「……ええ」
『ファクト様が気にかけるのも、少し分かる気がする』
「……そうですね」
老人は、しばらく黙っていた。
そして、静かに呟く。
「……まだ、何も知らない」
『……うん』
「自分が何者なのかも。これから何が起こるのかも」
『…………』
老人は、奥の部屋に立てかけてあった杖を手に取り、静かに視線を落とす。
「……今は、見守るしかありませんね」
『そうだね』
少しの沈黙。
そして……。
『……でも、アクテじいさんはないよね』
「レヴィ!!」
ぶふっ!!
再び笑い声が響いた。
老人は、額を押さえる。
「本当に、あなたという人は……」
杖に付いた小さなベルが、風もないのに微かに揺れた。
チリーン。
乾いた音が、広場の喧騒に紛れて消えていった。
※
一方、その頃。
アドニスとクルスは、広場を歩きながら先ほどの絵本を眺めていた。
「ねぇ、クルス」
「なんだ?」
「アクテじいさんって、優しそうな人だったね」
「そうだな。それに本書いてるって言ってたし、凄いじいさんだったな」
「うん! それに、不思議な感じがした!」
「そうだな」
アドニスは、絵本の表紙を見つめる。
「……ねぇ、クルス」
「今度はなんだ?」
「僕も、物語の中の人みたいに強くなれるかな?」
クルスは、少し驚いた表情をした。
そして、ニッと笑う。
「当たり前だろ!」
「ほんと!?」
「俺が鍛えてやるって言ったじゃねぇか!」
クルスは、アドニスの肩を軽く叩いた。
「まずは演習場で特訓だ! お前がどこまで強くなれるか、俺が見てやるよ!」
「うん!!」
アドニスは、大きく頷いた。
人通りが少ない路地。アドニスは、手に持っていた絵本を少し眺めて閉じると、何かを思い出したように手を前へ伸ばした。
「……おい!!」
「わっ! なに!?」
「アイテムボックスを開くなら、俺にもジン様を見せてくれ!!」
「……またぁ? って言うか、何でしまおうとしたの分かったの?」
「またとはなんだ!!」
アドニスは、呆れたように笑う。
「クルスって、本当にジンのことが好きなんだね」
「当たり前だろ!!」
その返事に、アドニスは声を上げて笑った。
ラムダの街には、まだ明るい光が差している。
二人は、これから始まる特訓の話をしながら、賑やかな広場を歩いていった。
その先に待っているものが、どんなものなのか。
今のアドニスには、まだ分からない。
ただ一つ。
自分の意思で、一緒に戦ってくれる友達ができた。
それだけは、確かなことだった。




