↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/22

第15話 人間と人外


 アドニスとクルスは、再び演習場の入り口へやってきた。


 武具屋を出たあと、戦闘中に使えそうな道具や消耗品も色々と買い込んでいた。


 その結果――。


「……買いすぎたな」


 クルスが両手いっぱいの荷物を見下ろす。


 アドニスもいくつか袋を抱えている。


「うーーん。あれもこれも欲張りすぎたな。これ、アイテムボックスに入りそうか?」


「多分大丈夫だと思うよ。見た感じ、すごく広かったから」


「じゃあ頼む」


「うん!」


 アドニスは荷物を地面へ置き、右手を前にかざす。


「アイテムボックス!」


 ブン!


 目の前に小窓が現れた。


 窓の向こうには、以前見た広い空間が広がっている。


 そして――。


 スッ。


 ジンの思念体が窓の前までやってきた。


「おおおおお!!」


 クルスが突然、大声を上げる。


「なになに!?」


「ジン様だ!!」


「うん。そうだね」


「いやーーー。何度見てもジン様は美しいな!! 眼福眼福!」


 クルスは、窓の向こうにいるジンの姿をまじまじと見つめる。


 先ほどまで荷物の重さに文句を言っていたのが嘘のように、生き生きした様子である。


「アドニス!!」


「なに?」


「一日一回以上は、アイテムボックスを使おうな!!」


「ええ? どうして??」


「……」


 クルスは無言でジンを見つめている。


「ああ! ジンを見たいから?」


「……!」


「じゃあ毎回クルスの前で開けるようにしようか?」


 クルスの鼻息が荒くなる。


「すーはー……すーはー……」


「……クルス?」


「いっ、いいのか??」


「別にいいけど」


「そりゃ俄然テンションが上がるな!!」


 アドニスは呆れたように首を振る。


「やっぱりクルスも子供だな」


 ゴン!


「あいてっ!!」


 クルスがアドニスの頭を軽く小突いた。


「思念体なんだから痛くないだろ? 早くジン様に買ったアイテムを渡して、演習場に入るぞ」


「痛くないけど、痛い気がするんだよ!」


 アドニスは頭をさすっている。


「どっちなんだよ。結局痛いのか??」


「そんなの知らないよ! 痛い………ような感じがするだけ。でも衝撃はあるんだよー」


 再び頭をさすっている。


「うーん。ますます変な体だなぁ」


 二人は言い合いながら、買ってきた荷物を小窓の前へ運ぶ。


 ジンの思念体は無言でそれらを受け取り、奥へ片付けていった。


 クルスは荷物を渡すたびに、やたらと丁寧にペコペコと頭を下げている。


「ありがとうございます、ジン様!」


「……」


「こちらもお願いします!」


「……」


「いやーー、本当に美しい……」


 アドニスは、そんなクルスを冷めた目で見ていた。


 すると――。


 ジンの思念体がクルスの方を見る。


 そして、ニコリと微笑んだ。


「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 クルスが両手を広げて叫ぶ。


「たまらん!! やっぱりずっとアイテムボックス開いててくれ!!!」


「……」


 ブン。


 小窓が閉じた。


「あああああああーーーーーー!!!」


 クルスが頭を抱える。


「なぜだ!! どーしてこのタイミングで閉めるんだ!! だぁはぁー! まだよく見てないんだよ!」


「荷物、全部入れ終わったから」


「だからって!!」


「早く演習場に行くんでしょ!!」


 アドニスは腕を組む。


「ちゃんと色々教えてよね!!」


 クルスはしばらく残念そうにしていたが、やがて片手を上げた。


「……分かった分かった」


 その表情は、まるで大切な何かを失ったかのようである。


「そんなに残念がらなくても、また開けるよ。約束だし」


「本当か!?」


「うん。でも、今は駄目!」


「……はい」


 アドニスは満足そうに頷く。


 二人は演習場の受付へ向かった。


         ※


 演習場の受付には、カウンターがいくつも並んでいた。


 利用者らしき人々が受付を済ませ、奥へ進んでいく。


 アドニスは周囲をキョロキョロ見回していた。


「ここで登録するの?」


「ああ。俺はもう会員登録してあるから、お前だけだな」


「へーー」


 カウンターの前まで来ると、受付嬢が二人を見て丁寧にお辞儀をした。


「ようこそ! お客様は、会員登録はお済みですか?」


「ああ。俺は済んでるが、こいつが持ってないから会員登録を頼むよ」


「かしこまりました。こちらの石板に手をかざしてください」


 受付嬢が示したのは、カウンターに設置された大きな石板だった。


 見た目は、武具屋に置いてあった会計用の道具を大きくしたようなものである。


「また、こういうのだ!」


 アドニスは興味津々で石板を覗き込む。


「ほら。手をかざしてみろ」


「うん。……あっ!」


 アドニスは自分の両手を見る。


「グローブ付けたままでいいのかな?」


「はい。そのままで大丈夫ですよ」


「はーい!」


 アドニスが石板に手をかざす。


 すると――。


 淡い光が石板の表面を走った。


 ブワッ。


 文字が浮かび上がる。


「おおお……」


 アドニスは、表示された文字を見つめる。


 しかし、相変わらず何が書いてあるのか分からない。


 受付嬢は表示を確認し、にこやかに告げた。


「お客様のセタ値は10で、ランクF5ですね。こちらが登録証になります」


 カシャッ。


 石板の横から一枚のカードが現れた。


「はい。どうぞ」


「ありがとう!」


 アドニスはカードを受け取る。


 そして――。


「……ん?」


 少し驚いた表情になった。


 セタ値。


 その言葉には聞き覚えがある。


 つい先ほど、ファクトが説明してくれたばかりだった。


 しかし、アドニスよりも驚いている人物がいた。


「……へっ?」


 クルスである。


 目をまん丸にして、アドニスのカードを見つめている。


「……10?」


「うん。10って言ってたね」


「……思念体なのに?」


「そうみたい」


「……セタ値が?……あるの?……まじで!?」


「あるって言ってるじゃん」


「ちょっとこい!!」


「わわっ!!」


 クルスはアドニスの手を掴み、受付から少し離れた場所へ引っ張っていく。


 受付嬢は、そんな二人を見送りながら、にこやかにお辞儀をしていた。


「ちょっとちょっと!! 痛くないけど、強く引っ張られると痛い気がするよ!」


「だだだ大事件だ!」


「へっ? なにが?」


 クルスはアドニスの手を持ち、まじまじと眺める。


「ちょっと前に、思念体は魔法が使えないって話したよな?」


「うん」


「あれは、普通の思念体にはセタ値がないからなんだ」


「うんうん」


「それなのに、どうしてお前にはセタ値があるんだ??」


「……僕に聞かれても。でもファクトもなんか言ってたし……うーん」


 アドニスは首を傾げる。


 クルスは《記拳グローブ》へ視線を移した。


「次は、ちょっと外してかざしてみるか?」


「えーー。もういいよ」


「なんでだよ!」


「一応、セタ値があるってだけでいいじゃん」


「よくないだろ!!」


「そーいえば、ファクトが、セタ値は鍛えたら増えるようにしたって言ってなかった?」


「……えっ???」


 クルスが固まる。


「ほんとにファクトの話は何にも聞いてないんだね! まったく……」


「……うっ。そんなことはない……はず」


「クルスは人間だから、セタ値はないんでしょ?」


 クルスの頭の中は、疑問符でいっぱいである。


 ファクトを目の前にすると、あまりの神々しさに舞い上がってしまい、肝心な話が頭に入ってこない。


 そのことをアドニスに指摘され、クルスは何とも言えない表情を浮かべた。


 しかし――。


「……あっ!」


 突然、何かを思い出したように顔を上げる。


「そうだよ!!」


「なに?」


「そりゃ俺は人間だからな! 人間はセタ値が絶対ゼロだ!」


 クルスは得意げに胸を張る。


「ゼロ以外はありえない。なぜかって?? マジカルヒューマノイドと違って、コアがないからな!」


「へーー」


「そもそもマジカルヒューマノイドって人種は、すごいんだ!」


 クルスの説明が始まった。


 アドニスは、また始まったと言わんばかりに冷めた目を向ける。


「俺たち人間とは寿命が桁違いなんだ。なんて言ったかな。不死じゃないけど、不老? らしい」


「……ん?」


「武具屋のおやじさんも、年を聞いたらびっくりするくらい爺さんだよ! 師匠はもっと年寄りだったな!」


 クルスは腕を組み、鼻息荒く話し続ける。


 アドニスは最初こそ興味なさそうにしていたが、ある言葉が引っかかった。


「不死じゃないけど……不老?」


「ああ」


「へーーーー。そんな年には見えないけどね」


「だろ?」


「他には何が違うのさ」


 アドニスが身を乗り出す。


 クルスは少し考え込んだ。


「って言っても、俺の師匠と武具屋のおやじさんくらいしかマジカルヒューマノイドは知らないんだけどな」


「うんうん」


「他に人間との違いか……。二十歳を過ぎたら飯を食わないとか、寝ないとか……。あっ! 性別がないとかかな? あとは……」


「ちょちょちょちょちょっと待て!!」


 アドニスが大声を上げる。


「なんだよ!?」


「ご飯食べない!? 寝ない!? 何それ!?」


「だから、そういう人種なんだって」


「それもう生き物じゃないじゃん!! ロボットだよロボット!!」


「……ろぼっと?」


 クルスは不思議そうな顔をした。


「それが何かは知らないけど、マジカルヒューマノイドは人間が生きていけないような環境で生活していることがほとんどだよ」


「へーー……」


「ここラムダは人間の街だから、ほとんど人間しかいないけどな」


「うんうん!」


「少し離れたところに霊木ってでかい木があって、そこの近くにはマジカルヒューマノイドしかいない街もある」


「……!」


 アドニスの目が輝き始める。


「マジカルヒューマノイドしかいない街!!」


「ああ」


「行きたい!!!」


 好奇心大爆発である!!!


「まー、話はちゃんと聞けって……」


 アドニスは無言でクルスを見つめた。


 ……お前が言うな。


 そんな言葉が聞こえてきそうな視線である。


「なっ、なんだよ……」


「別に。クルスにそのままブーメランだよ」


「ブーメラン??……だからさっきも言ったけど、人間が住めないようなところに住んでるんだから、簡単には行けないんだよ。そもそもだな……」


 クルスが話を続けようとした、その時――。


 ヌッ!!


「……!?」


 床から、何かが出てきた。


 いや。


 正確には――。


 ファクトの顔だけが、床から生えていた。


「ギャッ!!!」


「うわああっ!!」


 二人が同時に飛び上がる。


 しかし――。


「むごごっ!?」


「んんんん!?」


 声が出ない。


 ファクトが何かの術を施し、二人の口を塞いだのである。


「しっ!! 大きい声を出すな!!」


 ファクトが小声で言う。


「ジンに怒られるから、手短に話すぞ」


 アドニスとクルスは、目を丸くしたまま頷いた。


 床から顔だけを出したファクトは、周囲をキョロキョロ見回す。


 受付の方では、先ほどの受付嬢が何事もなかったかのように仕事を続けている。


 ファクトは二人へ向き直った。


「早く特訓を開始しろ。それで、あと五周先の闘技会に出場してくれ。分かったか?」


 ……。


 二人が顔を見合わせる。


 クルスは勢いよく首を縦に振った。


 アドニスは首を横に振る。


「……」


 ファクトはアドニスを見る。


「なんだって? 勝手に決めるなだと??」


 アドニスは何度も頷く。


「アドニス……。せっかくクルスに会ったんだ。もしここで気を失ったりしたら、クルスに会うことはなくなってしまう可能性があるんだ」


 アドニスの動きが止まる。


 ファクトは、いつものように笑ってはいなかった。


「そうなるかもしれないってことは、分かるだろう?」


 クルスはアドニスを見る。


 アドニスは少し考えたあと、再び首を横に振った。


「こんな短い期間で意気投合する相手は、お前にとって貴重だろ?」


 ……。


 アドニスはクルスを見る。


 クルスもまた、アドニスを見つめていた。


「まったく……」


 ファクトは小さくため息をつく。


「お前の十分は、こっちの百年だっただろう?」


 アドニスが頷く。


「人間の寿命は、長くても百年だ。気を失ってすぐに戻ってきても、その時にはクルスは死んでる可能性もあるんだ」


 クルスの表情が変わる。


 ファクトは言葉を続けた。


「っていうか、10分帰って来れなかったら、ほぼ間違いなく寿命が尽きて死んでる」


 アドニスは、何も言わない。


 口を塞がれているからではない。


 ただ、クルスを見つめていた。


「だから時間を無駄にするな」


 ファクトは静かに言う。


「俺は、人間の時間の尊さを少しは分かってるつもりだ」


 ……。


「どうだ? 分かったか?」


 クルスは何とも言えない表情でアドニスを見ている。


 アドニスも、そんなクルスを見つめる。


 そして――。


 深く頷いた。


「よし!」


 ファクトの表情が明るくなる。


「じゃあクルス! こいつを頼んだぞ! 五周先の闘技会だからな!」


 クルスが勢いよく頷く。


「よしよし。それじゃあな!」


 ファクトの顔が、スーッと床へ沈んでいく。


 その時――。


 フワッ!!


「……ん?」


 アドニスが何かに気付いた。


 甘い花の香り。


 そして、頭上から何かが――。


「ぐえっ!!!」


 どっこーーーーん!!!


 メコメコメコッ!!


「うわあああああ!!」


「なっ、なんだぁぁぁ!!」


 凄まじい衝撃波が周囲へ広がった。


 アドニスとクルスの身体が吹き飛ばされる。


 クルスは空中で身体をひねり、器用に体勢を立て直した。


 タッ!!


 綺麗に着地する。


 一方、アドニスは――。


 ドゴッ!!


 演習場の受付カウンターへ、頭から突き刺さっていた。


「……」


 足だけが、カウンターの外へ飛び出している。


 ジタバタ。


 ジタバタ。


「ふんっ!!」


 スポンッ!


 アドニスが頭を引き抜く。


「あたたたたた……」


 頭をさすりながら周囲を見回す。


「……って、痛くないんだった」


 何とも不思議な感覚である。


「一体何なんだよ??」


 アドニスは、モクモクと煙が上がっている方向へ小走りで向かった。


 クルスもそちらへ向かおうとする。


 しかし――。


「あぁ……」


 足が止まった。


「ジン様!!」


 煙が徐々に晴れていく。


 そこには、ジンが立っていた。


 ……いや。


 立っている?


 正確には、膝から下が床に埋まっているような状態である。


「あら。アドニス、クルス。ごきげんよう」


 ジンは優雅に微笑んだ。


 先ほどの凄まじい衝撃など、まったく気にしていない様子である。


 そして、クルスへ視線を向ける。


 ニコリ。


「はわわわわ……」


 クルスの顔が真っ赤になる。


「ジン!」


 アドニスが近づく。


「そこ、ファクトがいた場所じゃ……」


 ジンは、にこやかな表情を崩さない。


「またファクトをいじめてるの??」


 その言葉に、ジンは一瞬だけ目を見開いた。


「アドニス……」


「なに?」


「私は、ファー様をいじめてなどいませんよ」


「えーー?」


「ファー様を追いかけてきたんです」


 ジンは口元に手を当てる。


「ついつい、着地したところにファー様の顔があっただけ……ですのよ」


 目を細め、アドニスを見つめる。


「……」


 アドニスは、床に埋まっているジンの足元を見た。


 次に、ジンの顔を見る。


 そして――。


「……ほんとに?」


 ジンはニコリと微笑む。


「もちろんですわ」


「……」


 どうにも納得がいかない。


 しかし、そこへクルスが割り込んできた。


「はい!! ジン様!!」


「……?」


「こいつには、後でちゃんと言って聞かせておきます!!」


「ええっ!? なんで!?」


「どうぞファクト様を連れて行ってください!!」


 シュタッ!!


 クルスは直立不動になる。


 しかも、ジンを直視できないらしく、顔を真上へ向けている。


「……クルス?」


「はい!!」


「何してるの?」


「何もしてない!!」


「……変なの」


 その時――。


 しゅーーーー……。


 しゅしゅしゅしゅーーー……。


 ジンの足元から蒸気が噴き出し始めた。


「……ん?」


 アドニスが首を傾げる。


 すると、床の下から声が聞こえてきた。


「がぼぼぼぼ……」


「……ファクト?」


「ジン……足をどけろ……」


 しゅーーーー!!


 蒸気がさらに勢いよく噴き出す。


「どけて! どけてください!! 頼む!!」


「……」


 ジンはクスクスと笑った。


 そして――。


 フワリ。


 宙へ浮かび上がる。


 その下から、ヒールが顔面にめり込んだところから蒸気を噴き出しているファクトが現れた。


「ぷはぁぁぁ!!」


「ファクト!! 大丈夫!?」


「……」


 ファクトが何か言おうとした瞬間――。


 シュルッ!!


 ジンの髪の毛が伸び、ファクトの首を掴んだ。


「ぐえっ!!」


 そのまま、ファクトを引っ張り上げる。


「ちょっ! ジン! 待て待て!!」


「ファー様。帰りますわよ」


「いや、ちょっと待て! 話を――」


 ジンは、聞いていない。


 フワフワと上昇していく。


 いつの間にか周囲には人だかりができ始めていた。


「あっ!! ジン様だ!!」


「ファクト様もいらっしゃるぞ!!」


「本物だ!!」


 民衆たちが歓声を上げる。


 ジンはそれに気付くと、優雅に片手を上げた。


「ジン様ぁーーーーー!!」


「わーーーーー!!」


 お決まりのリアクションである。


 先ほど幻影が現れた時と、ほとんど同じ騒ぎになっていた。


 ただし――。


 今回は本物である。


 しかも、ファクトは髪の毛で首を掴まれたままジタバタと足を動かし宙に浮いている。


「……」


 アドニスは、その光景を見上げた。


「ファクト……。また怒られたんだね……」


 クルスは、そんなアドニスの言葉も聞かず、ただジンを見つめている。


 ジンはアドニスへ視線を向ける。


 そして、ニコリと微笑んだ。


 次の瞬間――。


 パァァァ……。


 白い光が二人を包み込む。


 光が消えた時には、ファクトとジンの姿もなくなっていた。


「ああ……行ってしまわれた……」


 民衆たちが肩を落とす。


「ああ……行ってしまわれた……」


 クルスも、まったく同じ言葉を呟いた。


「……うわ」


 アドニスが呆れたように二人を見比べる。


「みんな、全く同じこと言ってる……」


 やがて民衆たちは、何事もなかったかのように散らばっていった。


 床には、ファクトとジンが残した穴が開いている。


 カシャカシャカシャ……。


 どこからともなく、小さな思念体たちが現れた。


 それぞれ床材を抱え、穴の周囲へ集まってくる。


 そして、早速修繕作業を始めた。


「おおお!」


 アドニスが目を輝かせる。


「うわーー! ちっこいのがいっぱい来たよ!!」


 小さな思念体たちは、慣れた手つきで床材を運んでいく。


 先ほどまで大穴が開いていた床が、少しずつ元の姿へ戻っていく。


「ねーー、クルス!! あれも思念体なの?」


「……ん?」


 クルスは、ぼんやりと床を眺めていた。


「ああ……」


「すごいね! あんな小さいのに、ちゃんと直してる!」


「……そうだな」


「クルス?」


 アドニスが顔を覗き込む。


 クルスの表情は暗かった。


 つい先ほどまでジンを見て大騒ぎしていた人物とは思えないほど、静かになっている。


「……大丈夫?」


 クルスは返事をしない。


 修復作業を続ける思念体たちを見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「……大丈夫なわけないって」


「えっ?」


 クルスはアドニスへ向き直る。


「俺は……頭がいっぱいだ!!」


 アドニスが目を丸くする。


「まず一つ目は、五周先の闘技会に出ること!!」


「うん」


「それと……10分が百年って、どういうことだよ??」


「……」


「アドニス。お前は、一体何者で、どこから来たんだ??」


 クルスは、真剣な表情でアドニスを見つめた。


「俺は……どうすればいいんだ!!」


 その声には、いつものふざけた調子がなかった。


 アドニスも、何も言えずにクルスを見つめ返す。


 クルスは、もともと一人で闘技会に出場するつもりだった。


 安定した職に就くため。


 ラムダの街の兵士になるという、自分の夢を叶えるため。


 そのために、多重結界闘技場までやってきたのである。


 ところが、アドニスと出会った。


 ファクトとジンにも出会った。


 そして今度は、五周先の闘技会に出場しろと言われた。


 それだけではない。


 アドニスのここと違う世界の10分が、この世界では百年になることもあるという。


 クルスにとっては、あまりにも突然の話だった。


「……アドニス」


「……うん」


「お前……一体、何者なんだ?」


 アドニスは少し考える。


 ファクトのこと。


 サウザーのこと。


 自分がここへ来た理由。


 話したいことは、たくさんある。


 しかし――。


「ああ……。これ、言っていいのかな?」


 クルスは眉をひそめる。


「なんだよ。気になるから話してくれよ」


「うーーん……」


「お前は一体、何で、どこから来たんだ??」


 アドニスはクルスの顔を見る。


 その時――。


 グーーーーー……。


「……」


「……」


 クルスの腹が鳴った。


「あっ……」


 クルスは自分のお腹を押さえる。


 そして、何事もなかったかのように言った。


「……腹減ったから、先に飯にするか!」


「えええええ!?」


「なんだよ?」


「今、すっごく真剣な話してたじゃん!!」


「真剣な話をするにも、腹が減ってちゃ仕方ないだろ!」


「……」


 アドニスは呆れたようにクルスを見る。


「飯って言っても、僕は食べられないしな……」


「元人間でも、今は思念体だしなぁ」


 クルスは腹をさすりながら歩き始める。


「俺は飯を食いながら、色々と聞かせてもらうぞ」


「……僕だけ食べられないの?」


「仕方ないだろ?」


「えーーー……」


 アドニスは不満そうに頬を膨らませた。


 クルスは、そんなアドニスを振り返る。


「ほら、行くぞ!」


「……はーい」


 二人は演習場を離れ、食事のできる広場へ向かって歩き始めた。


 アドニスは、少し先を歩くクルスの背中を見つめる。


 先ほどファクトに言われた言葉が、頭の中に残っていた。


 次に来た時には、クルスはもういないかもしれない。


 それが、どういうことなのか。


 アドニスには、まだうまく理解できていなかった。


 ただ――。


 クルスと一緒にいられる時間が、思っていたよりずっと短いのかもしれない。


 そんな気がしていた。


 その時、クルスが振り返る。


「おーーい! アドニス! 早く来いよ!」


「あっ! うん!!」


 アドニスは小走りで追いかけた。


 そして二人は、露店の並ぶ広場へと向かっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キャラクター設定資料・イラストなどをXで公開しています!
※本編未登場のキャラクターを含む場合があります。
X:モハメド商会(@Moham_MAD_SK)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。