第9話 第6惑星ラムダ
シュゥ――ン!
瞬間移動を終えたジンとアドニスは、遠くに大きな筒状の建物が見える丘の上に立っていた。
丘の下を見下ろすと、綺麗な街並みが広がっている。少し離れたところには海もあり、大きな帆船が浮かんでいた。
強い風が吹き、潮の香りがする。
「うわーーー。すごいや!!」
アドニスは思わず丘の端の方まで走っていき、眼下に広がる風景を堪能していた。
キラキラした目でしばらく眺めた後、何かを期待するような表情で後ろにいるジンの方へ振り向く。
「ええっと……。ジンさんって呼べばいいのかな? 今からどこに行くの?」
「私に対して敬称は不要です。ジンとお呼びください。アドニス様。あなたはファー様の客人ですので」
そう言いながら、ジンは深々とお辞儀をする。
先ほどまで漂っていた潮の香りも、少し風向きが変わったことで、ジンの放つ甘い花のような香りへと変わる。
風にあおられ、顔にかかった長い髪を手でかき分ける仕草も、アドニスを釘付けにしてしまう。
「あ、あぁ。いい……」
顔を赤らめて俯き、小さくガッツポーズをするアドニス。
「?? アドニス様?」
そう言って、ジンがエビ反りになりアドニスの顔を覗き込む。
当然――。
「うっ!! うわ!!」
アドニスは勢いよくのけぞり、体勢を崩してしまう。
しかし、その先は――。
崖である……。
「え? うわっとととと……」
ガラッ!!
鈍い音とともに崖の先端が崩れ、体勢を崩したアドニスは、そのまま落ちていく!!!
アドニスの表情は、一気に死を覚悟したものへ変わり、ジンの方へ必死に手を伸ばす!!
「ちっ!!」
『舌打ち!?』
無表情のまま、ジンも崖から飛び降り、落ちていくアドニスを追いかける。
「ジン!! 助けて……!!」
空中で必死に手を伸ばす。
しかし、無表情のジンは何もせず、アドニスと一緒に真っ逆さまに落ちていくだけである。
その行動を見て、再び死を覚悟したアドニスの顔は、徐々にこの世の終わりのような表情へ変わっていく。
「アドニスさまーーー。《記拳グローブ》の能力を使う時ですよーー。初歩魔法の《移動術式》を選択してくださーーい。地面に落ちたらぺしゃんこになって、思念体が拡散してしまいますよーー」
パニック! パニック!! パニック!!!
ジンの言葉は、もはやアドニスには届かない。
ひたすらに、この世の終わりを体験中!!!
「ちっ!!」
またもや舌打ち!?
ジンは落ちていくアドニスの下へ回り込み、ズボンの前の部分を掴む。
ス――――。
一気に落下速度が緩やかになる。
この世の終わりのようだったアドニスの顔も、少しだけ和らぐ。
しかし……!!
今度は、先ほどの落下速度よりも速い勢いで一気に上昇する!!
「あばばばばばばばっ!!!!」
上昇する風圧で顔が変形する!!
そして再び崖の上――。
「はぁ……はぁ……。死ぬかと思った……。ジン、ありがと……。え?」
安堵の表情を浮かべながら礼を言い、ジンの方を向こうとするアドニス。
しかししかししかし!!!
「ちぃーー」
ジンの不機嫌そうな表情。
そして舌打ちが聞こえたと同時に――。
ジンの足の裏が、アドニスの眼前へ迫ってくる。
所謂、スローモーションである。
「えっ?」
ドンッ!!!
再びアドニスを崖から蹴り落とす!!
「ぎっ! ぎいやーーーーー!!!! なんでーーーー!!?」
最初に落ちた時よりも、明らかに落下速度が速い!!
絶望的なこの世の終わりの表情を浮かべながらも、今度のアドニスは少しだけ冷静になり、《記拳グローブ》のコマンドを開く。
「何なになに何!!! 何をどうしたらいいのーーーーー!!」
「初歩魔法の《移動術式》ですよーーー。また地面につきそうになったら、やり直しですよーー。早くしてくださーーい」
「ええええ!! 初歩魔法?? 移動……!!?? なんてーー?」
「ちぃ……。《移動術式》です!!」
「移動じゅつ……しきだねーーー! わかった!」
アドニスの周囲に青く光る粒子が現れ、身体へ吸い込まれていく。
徐々に落下速度が緩やかになり――。
ふわっ。
変な体勢のまま、宙に浮いた。
「おお!! すごい!! 浮いた!」
そう言って、変な体勢のまま手足をフリフリしながら、ジンへ向かって喜びを表現する。
ジンは空中で横たわるような姿勢のまま浮かび、わちゃわちゃと動くアドニスを見ながらニコリと微笑んでいる。
「上出来でございます。まずは飛行姿勢を正しましょう。発動した術式の調節は、《記拳グローブ》がある程度補助してくれます。アドニス様は、その術式による魔素の流れを意識してください」
…………。
アドニスの頭上に、?マークが三つほど並んでいるように見える。
空中でゆっくりと横向きに回転しながら胡坐をかき、腕を組んで考えている。
『マソってなんだ……。なんかサウザーが言ってたような……』
「ジン! マソって何!?」
ジンがゆっくりと近づいてくる。
風に乗って、またいい匂いがする。
アドニスは無意識に深呼吸をする。
「そうですね。マキナの世界の人間も、アドニス様と同じく魔素を使用した術を扱える者は皆無です。ですから、人間が魔素を理解することは難しいと思います。……ですが、それを踏まえたうえで魔素の扱いを理解していただく必要がありますので、少々手荒な方法を取らせていただきました」
ジンが、アドニスの手にそっと自分の手を添える。
先ほどの青く光る粒子が《記拳グローブ》から浮かび上がり、再びアドニスの中へ吸い込まれていく。
すると、足元がじんわりと暖かくなるような不思議な感覚が生まれた。
「今、アドニス様が使用している《移動術式》に必要な魔素の流れを、私が補助しています。感覚を覚えてください」
「う、うん……」
アドニスは高所恐怖症である。
しかし現在は、空中をゆっくりと降下しているにもかかわらず、不思議なほど落ち着いていた。
それどころか、生き生きとして終始笑顔である。
その違和感には、アドニス自身も気がついた。
「あれ!? 高いところ……いつもだったら、どうしようもなく怖いのに……。今はそんなに怖くないや。むしろ楽しい!! やっほーーーぃ!!」
両手を広げ、羽ばたくような仕草をする。
「《記拳グローブ》には、術者の精神状態を補助する機能もあります。しかし、恐怖そのものがなくなったわけではございません。恐怖は危険から身を守るために必要な感情です。大切なのは、その感情に支配されず、自分の意思で術式を扱うことです」
「自分の意思で……?」
「はい。今は私が魔素の流れを補助しています。では、その感覚を忘れないようにしてくださいね」
そう言って、ジンはアドニスからスーーッと離れていく。
アドニスは明るい表情で、空を楽しんでいるように見える。
しかし……。
「あれ? これ、どうやって飛んでるんだろ……。ジン。ねえジン!! 少しずつ落ちる速度、速くなってない!?」
確かにそうである。
ジンが離れたことで、アドニスの魔素の流れを調節しなくなったため、高度がどんどん落ちていく。
浮遊していた姿勢も、徐々に傾き始める。
アドニスの表情が、不安に変わっていくのが見て取れる。
先ほどまで両手を広げ、楽しそうにしていたのが嘘のようである。
『怖い……』
その感情を自覚した瞬間、身体が強張る。
『どうするんだ……? さっき、どんな感じだった……?』
考えようとすればするほど、恐怖が膨れ上がる。
姿勢が崩れる。
魔素の流れを意識することもできない。
落下速度が、どんどん増していく。
「ジン! たすけ……」
意識を保つのがやっとという状態で、ジンの方へ手を伸ばす。
しかし、ジンは更に距離をあける。
恐怖心――。
アドニスの心を、完全に負の感情が支配する。
先ほどまで淡く光っていた《記拳グローブ》も、その光を弱めている。
更に地面が迫ってくる。
眼下に広がる荒野の木々が、一本一本はっきりと見える位置まで落ちてきた。
「ちっ」
ジンが舌打ちをして、再びアドニスの襟元を掴む。
シュン!!!
一気に丘の上まで急浮上する。
しかし――。
アドニスは気を失っていた。
全身から力が抜け、両手両足を伸ばしたまま、だらーーんとなっている。
「アドニス様?? ……あら。戻られましたね」
ジンは大きく溜息をつく。
「はぁーーーー。ファー様は、どうして私にばかり面倒事を押し付けるのでしょうか。こんなものは私の本来の役割ではないのですよ。まったく……」
ドサッ。
そう言って丘の上まで戻ると、抜け殻となったアドニスの思念体を乱暴に地面へ放り投げる。
※
「うわーーーーーーー!」
ガバッ!!
ベッドの上で大声を上げ、アドニスが飛び起きる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
いまいち状況を把握できていない様子で、部屋の中をキョロキョロと見渡す。
……現世の自分の部屋である。
「……あれ? 戻ってる。……そうか。崖から落ちて気を失ったんだ。気を失っても戻ってくるのか……。どうなってるんだろ? なんだか……変な感じがするな。……あぁっ!!」
そう言いながら、股間の方を見る。
…………。
お漏らしをしてしまっている。
あまりの恐怖から、盛大に漏らしてしまったようである。
「うわっ!! うわわわわわ!!」
アドニスはベッドから飛び降り、必死にマットレスについた尿を拭き取ろうとする。
しかし、もう遅い……。
先ほどの叫び声を聞いた母親が、部屋へ入ってきた。
「どうしたの!!? 大きい声が聞こえたけど、大丈夫!?」
「あっ! 母さん……。なんだよ! ノックもなしに入ってきて!!」
突然入ってきた母親に対し、理不尽に怒ってしまう。
しかし振り返ることもできず、そーっと布団でマットレスを隠そうとする。
だが、時すでに遅し……。
盛大に漏らしたため、ズボンから滴り落ちた尿で床まで濡れているのを、母親はしっかり見ていた。
「ああ……そういうことね。やってしまったことは仕方がないわね。はい! さっさと着替えて、汚れたものは洗濯場に持っていってちょうだいね」
母親は優しい口調でそう言うと、アドニスの部屋にあるクローゼットから着替えを出し、手渡す。
アドニスはサッと着替えを受け取ると、そのまま母親を部屋からぐーーっと押し出す。
「はいはい。ちゃんと汚れたシーツも洗濯場に持っていってね」
「わかったよ!!」
バタンッ!!
勢いよくドアを閉め、大きく深呼吸する。
「すーーーー……はぁーー……。今、何時だ??」
時計を見る。
「22時10分……。シーツは……もういいや。今は早くマキナに戻ろう!!」
そう言って、着替えもせず床へ横になり、右手に意識を集中する。
『もう戻らない……。絶対に気を失ったりしない。よしっ!!』
シュウ————————ン。
眼前を覆う眩しい光とともに、意識が遠のいていく。
※
再び意識がはっきりする。
辺りは薄暗く、よく見えない。
しかし空には、見たこともないほど大きな月が浮かんでいる。
「ええ?? 外? ここは……。ああ、さっきの丘の上か……。よっと」
バサーーーー。
立ち上がると同時に、身体から大量の砂や枯れ草が滑り落ちる。
「うわっ!!」
アドニスは驚いて数歩後ろへ下がる。
月明かりの中、舞い上がった砂煙が見える。
「なんだよこれ……。めちゃくちゃじゃないか。えええーー。どうなってんのこれ。もしかして、倒れたままずっとここにいたのかな?」
服についた砂や枯れ草を払い落とす。
不思議と身体には何の異常もない。
《記拳グローブ》にも、塵一つついていない。
辺りを見渡す。
木々が風に揺れる音はするが、それ以外は何の物音もしない。
もう一度、大きな月を見上げる。
すると――。
「ん?」
何かがこちらへ近づいてくるのが見えた。
次の瞬間――。
シュタッ!!
ジンが空から降ってきた!
「うわっ!!」
アドニスは驚き、反射的に頭をかばう。
しかし、すぐにふわっと花の香りが漂ってきた。
ジンの香りである。
「アドニス様、お帰りなさいませ。お迎えに上がりました」
「ジン……。ありがとう。僕は、あれからずっとここに?」
「はい。ファー様から、すぐに帰ってくるだろうから、そのままにしておけとの申しつけでしたので。少々時間がかかりましたね。あれから百年ほどは経っています」
「…………」
アドニスは目を皿のようにして、ジンを見る。
「はい?」
「ひゃひゃひゃ……百年!!! 現実じゃ10分しか経ってないのに!!? 百年も経ってるの!?」
前のめりになり、両手をわちゃわちゃと動かす。
『おかしい!!』
以前マキナへ来た時は、現世で一時間も経っていなかった。
それでも、こちらでは約六十年が経過していた。
しかし今回は――。
現世では、たった10分。
それなのに百年。
『なんでだ……? 前と時間の進み方が全然違うじゃないか……』
「うーーーーん……。そういえば、ファクトはどこにいるの? 前に現実世界へ帰った時は、四時間くらいいたんだ。その時、こっちで何年経ってたのか聞いてないんだよ。それも聞きたい!」
アドニスは、疑問に思ったことをすぐに調べたくなるタイプである。
解決する方法として真っ先に思いつくのは、ファクトに聞くことであった。
「ファー様はお忙しい方です。それに、私からも時間に関して正確な情報を提供することは難しいと思われます。……そうですね。また機会があれば、聞いてみましょう」
ジンはニコリと優しい笑みを浮かべる。
「そうなの?? うーーん……。ものすごく気になるんだけどな。どうにかならないかな??」
その問いに、ジンの表情が少し曇る。
「アドニス様の疑問は、《時間》についてですよね? 私も含めてですが、ファー様も私も、人間のように寿命を基準として時間を考えることがありません。ですから、時間そのものに対する感覚も、アドニス様とは大きく異なります」
「時間の感覚……?」
「時間とは、寿命ある者が、その尊い命の終わりまでを刻むための基準――。私は、そのように教わりました」
アドニスは、あんぐりと口を開け、何とも言えない表情を浮かべる。
「どういうこと? 時間のがいねん?? 命の終わり??」
「……アドニス様は、魔素の扱いだけではなく、こちらの世界の一般常識についても学ぶ必要があるようですね。時間の概念については、追々お伝えすることにしましょう。それでは、ラムダの街へご案内します」
「ええーー……」
モヤモヤした表情のアドニスは、まったく納得していない。
しかしジンは早々に話を切り上げ、丘から街へ向けて歩き出す。
仕方なく、その後をついていくアドニス。
すると――。
「あれ?」
アドニスが不思議そうに足元を見る。
「ねーー、ジン。前はこんな道なかったよね? 百年経ったし、誰かが作ったの?」
「そうですね。ファー様が『アドニス様が空を飛べないのなら、道を作ってやれ』とのことで、私とアクティブが作成しました。しっかりありがたみを噛みしめながら歩いてください」
少々、言い方にトゲがある。
しかしアドニスは、そんなことなど気にしない。
「そうなんだ! ジン! ありがとう!!」
そう言ってジンの方を見て、ニコリと笑う。
「…………」
ジンは少し驚いたような表情を浮かべる。
「そうですか……。ありがとう……。いい言葉ですね。作った甲斐がありました」
ジンの表情が少し緩む。
「そろそろ門に着きます。門を潜れば、そのまま真っ直ぐ歩いて闘技場まで行ってください。私は少々準備がありますので、街へ入ったら一旦離れます。寄り道せず、真っ直ぐ歩いてきてくださいね」
「わかった!」
しばらく歩き、門の前までやってくる。
丘の上から見た時は閉ざされていた巨大な門が、今は大きく開いている。
しかし、外壁と門の間には、虹色に光る膜のようなものが見える。
「うわーー。近くで見ると、でっかい門だなーー。あれ? この光る膜は何?」
「それは、この街を守るためにファー様が施した結界です。許可のない者は出入りできません。アドニス様は、《記拳グローブ》に許可証が付与されていますので、問題なく通れます」
そう言って、ジンが結界を通る。
アドニスも恐る恐る後に続く。
「…………?」
特に何の変化もない。
何かに触れたような感覚すらないが、どうやら結界の中へ入れたようである。
結界の外からでは、中の様子はあまりはっきり見えなかった。
しかし――。
「うわーーーー!!!」
街には、たくさんの人がいる。
「すごい!! 遊園地みたいだ!! すごいなーーー!」
街へ入るや否や、走り出すアドニス。
「アドニス様!!」
門を潜った先にある広場の中央には、大きな噴水がある。
高く水しぶきが上がると、アドニスはキラキラした目でその先を見上げる。
周囲を見渡せば、人が空を飛んでいたり、大きな荷物を宙に浮かせながら運んでいたりする。
「すげぇ……」
すると――。
クンクン……。
「ん?」
何か美味しそうな匂いがする。
マキナへ来て初めて感じる、食べ物の匂い!!!
「うわーーーーー。すごいいい匂いがする!! クンカクンカ! 何だろう? 甘い花の匂いも……ぐえっ!!」
ごごごごごっ!!!!
怒った表情のジンが、アドニスの首に髪を巻きつけていた。
「ぐえぇぇぇ!! やめ……息が!! 死んじゃう!!」
ジンの長い髪が首に巻きつき、アドニスの身体は完全に宙へ浮いている。
アドニスはパニック状態になり、首へ巻きついた髪を掴んでジタバタする。
「思念体は息もしませんし、食事をする必要もありません!! まったく……私が言ったことを理解していますか!? バラバラにしてポーターに運ばせますよ!!」
「ぐええええ!!」
すると――。
街中が急にざわつき始める。
「おお!! ファクト様だ!!」
「ファクト様がいらっしゃったぞ!!」
民衆から歓声が上がる。
人々の視線の先には、ファクトがいた。
ファクトは手を振りながら、ジンとアドニスの方へ歩いてくる。
「ファー様……。わざわざどうされたのですか?」
「おいおい。やりすぎだって、ジン。もう下ろしてやれ。アドニスもジンを怒らせたら怖いだろ。かっかっかっ!」
「ファー様……。かしこまりました」
シュルシュル……。
ドサッ!!
ジンは空中でアドニスを解放したため、アドニスは勢いよく尻もちをつく。
「あいてっ!! 尻が!! ジン! 急にひどいよ!!」
痛そうにお尻をさするアドニス。
それをファクトがニヤニヤした表情で見ている。
「さっきもジンが言ってたけど、思念体は本来、そういう感覚を持たないはずなんだがな……。本当に痛いのか?? それにお前、匂いまで感じてただろ?」
お尻をさすっていた手が止まる。
「……あれ? 痛くない。なんで??」
「ぶほっ!! わははははは!! やっぱりな! それは、お前が《痛い》と思ったから痛かったんだよ。俺が腕を斬り飛ばした時は痛くなかっただろ?」
「……あっ」
「本当にお前は臆病な奴だな。まーー、そこが良いところでもあるんだろうがな」
ファクトは腰に手を当て、のけぞるような格好で大笑いしている。
するとジンがそっと近づき、その顔を覗き込む。
「ファー様……。笑い過ぎです。民が見ていますよ」
「…………」
ファクトの笑い声がピタリと止まる。
サッと姿勢を正し、真顔になって民衆へ片手を上げる。
「わーーーー!! ファクト様!!」
「ファクト様ーーー!!」
「……さっ! 闘技場で待ってるからな。早く来いよ」
シュン!
そう言って、ファクトは姿を消す。
続いてジンも――。
シュン!
姿を消した。
「…………」
アドニスだけが、その場に残される。
「ああっ!! ちょっと!! 闘技場ってどこだよーーーー!! ねーーー!! ちょっとーーーー!! 早速独りぼっちかよーーー!!」
二人が消えた方へ走っていき、その場で膝をついて座り込んでしまう。
すると――。
トントン。
「ん?」
一人の老人が近づいてきて、アドニスの肩を叩く。
老人は何も言わず、道の先にある丸い筒状の赤い建物を指さした。
「あれが闘技場?」
老人は静かに頷く。
「わかったよ! 行ってみる! おじいさん、ありがとう!!」
そう言って、アドニスは闘技場の方へ走っていく。
老人は手を振りながら、その小さな背中を見送る。
そして――。
アドニスの姿が見えなくなったところで、その姿がゆっくりと変わっていく。
老人だった身体は伸び、長身の青年へ。
赤い髪。
その身体には、黒を基調としたプロテクターのような装具を身につけている。
赤毛の男は、アドニスが走り去った方向をしばらく眺める。
「あれが、アドニスか……」
僅かに口元を緩める。
「面白い……」
シュッ!
そう呟くと、その場から姿を消した。




