第8話 最低限の準備
「では、異世界へ行くことを了承したものとして、話を進めよう」
王の骸骨は、椅子に深く腰を掛け直した。
「今から、向こうへ送る前に、一つだけ準備をする」
「準備?」
「君の身体だ」
優馬は思わず自分の身体を見下ろした。
パンツ一丁である。
「服なら欲しいです」
「それは現地調達してね」
「まじか……」
「我々も、パンツ一丁で送り出すのは多少心苦しい」
「多少なんですね」
「しかし、それも異世界生活の醍醐味というものだ」
「絶対違いますよね」
護衛の骸骨たちが小さく頷く。
(なんで納得してるんだ)
優馬は小さくため息をついた。
「話を戻そう」
王の骸骨は指を一本立てた。
「君の身体は、このままでは向こうで長く生きられない」
「なんでですか?」
自慢じゃないが、俺は昔から身体だけは丈夫だった。
筋骨隆々というわけではない。
ただ、風邪らしい風邪をひいた記憶がほとんどない。
「向こうには魔獣がいるからね。しかも、そこら中に」
「ぜひお願いします」
即答だった。
チート万歳。
「だから、ちょっとやそっとじゃ死なないように強化する」
「魔法ですか?」
「違う」
王の骸骨は首を横に振った。
「肉体そのものだ」
「肉体?」
「人間としての限界を、大きく超える身体になる」
「筋肉ムキムキに?」
「見た目はほとんど変わらないよ」
「じゃあ意味ないじゃないですか」
「見た目だけね」
王の骸骨は淡々と続けた。
「身体は簡単には壊れない。病気にもなりにくい。毒にも非常に強くなる」
「寿命は?」
「変わらない」
「不老不死ではない?」
「もちろん違う。歳も取るし、腹も減る。食べなければ普通に餓死する」
「そこはするんですね」
「人間だからね」
当たり前のように言われた。
優馬は少し考える。
「つまり……」
指を一本折る。
「腹は減る」
「うん」
「寝る」
「うん」
「歳も取る」
「うん」
もう一本、指を折る。
「でも、死ににくい」
「ちょっとやそっとではね」
「なるほど」
ゲームで言えば、防御力だけ異常に高くなるようなものか。
「他には?」
何となく聞いてみる。
王の骸骨は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「あるよ」
「やっぱり」
チートだ。
「でも、それはチートなんかじゃない。肉体強化に基づくものだよ」
「教えてくれないんですか?」
「その方が面白いじゃないか」
「俺の人生を娯楽みたいに言わないでもらえます?」
「案外、そういう発見も悪くないものだよ」
優馬は少し不満そうな顔をした。
だが、これ以上聞いても教えてくれそうにない。
「まあ、いいです」
「どうせ行くって決めましたし」
王の骸骨は満足そうに頷いた。
「君は物分かりがいいね」
「諦めがいいだけですよ」
「それも才能だ」
「褒められてる気がしないなぁ」
部屋の空気が、少しだけ和らいだ。
すると、それまで黙っていた案内役の小さな骸骨が、おずおずと手を挙げた。
「あの……」
「何だい」
王の骸骨が視線を向ける。
「派遣先なんですが……決まっております」
「ほう」
「西方大陸北部、アルト森林地帯です」
「……なるほど」
王の骸骨は一度頷いた。
「悪くない」
「最初は森なんですね」
優馬が口を挟む。
「町じゃないんですか?」
「町の真ん中へ、突然パンツ一丁の男を出現させるわけにもいくまい」
「服くれよ」
「森なら、まず服を確保して、生きる準備を整えられる」
「森で?」
「大丈夫。なんとかなるから」
ほんとかよ。
優馬が疑わしそうな目を向ける。
王の骸骨は、それを気にした様子もなく続けた。
「ただし、森だから安全という意味ではない」
「え?」
「さっきも言ったけど、魔獣がいる」
「……ですよね」
「野生の獣もいる」
「はい」
「盗賊もいる」
「え?」
優馬の顔が引きつった。
「森には人も隠れるからね」
「いやいやいや」
思わず苦笑が漏れる。
「いきなり難易度高くないですか?」
「だから身体を強化するんだ」
「なるほど」
言われてみれば筋は通っている。
とはいえ、パンツ一丁で森に放り込まれることへの不安は消えない。
「まあ、大丈夫」
王の骸骨は穏やかに言った。
「君なら、きっと寿命まで生きられる」
その言葉が、妙に引っ掛かった。
(寿命まで)
勇者になるわけでもない。
世界を救うわけでもない。
魔王を倒す使命もない。
ただ、生きる。
そのためだけに、異世界へ行く。
そんな異世界転移があってもいいのかもしれない。
優馬は、そう思いながら小さく息を吐いた。
「……じゃあ、お願いします」
王の骸骨は静かに立ち上がった。
「では、転移の準備を始めよう」
その言葉と同時に、部屋の奥にあった大きな扉が、重々しい音を立ててゆっくりと開き始めた。
扉の向こうから、今までこの部屋にはなかった風が流れ込んでくる。
優馬の頬を撫でる、冷たい風だった。
「……風?」
「向こうの世界の風だよ」
王の骸骨が答える。
優馬は何も言わず、開いていく扉を見つめた。
四十年間、生きてきた世界とは違う。
誰も自分を知らない。
何が待っているのかも分からない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
むしろ――
少しだけ、楽しみだった。
優馬は一歩、前へ出た。




