第7話 ノールール。ノーリミット。
部屋の空気が静まり返る。
あまりにも迷いのない返事だったからだろう。
目の前の偉いであろう骸骨は、しばらく優馬の顔を見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「……確認するが、まだ説明は終わっていないよ」
「はい」
「異世界がどのような世界かも知らないよね?」
「はい」
「危険もあるよ」
「でしょうね」
「それでも行くのかい?」
「行きます」
また即答だった。
さすがに今度は、護衛の骸骨たちまで少しざわついた。
「そこまで即決する者は珍しい」
王の骸骨は苦笑する。
「今まで送り出した者たちも、何日も悩んだり、家族へ別れを告げたいと言ったり、人生を整理したいと言ったりする者がほとんどだった」
「そうなんですか」
「君は違うようだね」
優馬は少し考えてから、肩をすくめた。
「帰る理由がないんです」
その一言で、部屋が静かになる。
「今の人生が嫌だったわけじゃありません」
優馬は続けた。
「でも、帰らなきゃ困る人もいない」
(ブックマークも消したしな)
一番の心残りの処分はすでに済んでいる。
「だったら、違う人生を生きてみてもいいかなって」
王の骸骨は、優しく頷いた。
「そういう理由で来た者もいた」
「安心しました」
優馬は少し笑った。
「俺だけじゃないんですね」
「もちろんだ」
王の骸骨は椅子に深く腰掛け直した。
「では、ここから本題に入ろう」
部屋の空気が再び変わる。
護衛の骸骨たちも姿勢を正した。
「まず、誤解してほしくないことがある」
「はい」
「君は勇者ではない」
「ですよね」
「魔王討伐を命じるつもりもない」
「はい」
「そもそも、そんな魔王もいない」
「あ、そうなんですね」
「世界を救えとも言わない」
「はい」
王の骸骨は、少しだけ肩を落とした。
「……話が早くて助かるよ」
優馬も思わず笑った。
王の骸骨は机の上へ、一枚の古びた地図を広げた。
そこに描かれているのは、優馬が見たこともない大陸だった。
いくつもの国境。
大小さまざまな都市。
山脈や河川。
海岸線まで細かく描かれている。
「これから君を送り出す世界は、我々が長い年月をかけて観測している世界の一つだ」
「観測?」
「そう」
王の骸骨は頷く。
「世界は、放っておいても基本的には回る」
「文明が発展し、国が興り、争いが起こる。人は生き、そして死ぬ。我々が干渉することは、ほとんどない」
「じゃあ、何のために人を送るんです?」
優馬の質問に、王の骸骨は少しだけ間を置いた。
「保険だよ」
「保険?」
「その世界に異常が起きた時のための、ね」
優馬は首を傾げた。
「異常って?」
「極めて稀に、世界そのものが壊れかけることがある」
「天災ですか?」
「もっと大きい」
王の骸骨の声が、少しだけ低くなる。
「世界の均衡そのものが崩れる。そういう時には、外側から世界を見ている者の視点が必要になることがある」
「だから地球人を?」
「そうだ」
「地球の人間は、こちらの世界の常識に染まっていない。だからこそ、こちらの人間では気付けないことに気付く場合がある」
優馬は腕を組んだ。
「つまり、俺は監視員みたいなものですか?」
「少し違う」
王の骸骨は首を横に振った。
「君に監視をしてもらうわけではない」
「では?」
「観測者だ」
その言葉を、王の骸骨はゆっくり口にした。
「見て、生きて、知る」
「それだけでいい」
「……それだけ?」
「ああ」
「報告とかは?」
「必要ない」
「定期連絡は?」
「不要だ」
「じゃあ、何か異常を見つけたら?」
「君自身がどうするか決めればいい」
優馬は少し考えた。
「それ、観測者っていうより、ただの住人じゃないですか?」
「そうとも言えるね」
「いいんですか、それで」
「いいんだよ」
王の骸骨は穏やかに答えた。
「君は好きな場所へ行き、好きな仕事をし、好きな人と出会い、寿命まで生きればいい」
「……ずいぶん自由ですね」
「自由だよ」
王の骸骨は少し考えるように間を置いた。
「なんだったら、向こうで魔法使いになってもいい」
「またそれ言うの?」
優馬は手を合わせかけた。
「違う違う。リアルな方の魔法使い!手から火が出たりするやつ」
「魔法があるんですか!?」
「あるよ。適性があるかどうかまでは、わからないけどね」
「うわぁ、テンション上がるかも」
優馬が浮かれると、後ろから小さくカタカタという音が聞こえた。
「……」
優馬が振り返る。
護衛たちが全員、顔を背けている。
「お前ら、まだ笑ってるだろ」
「い、いえ」
「今、明らかに笑ったよな?」
「笑っておりません」
「骨しかないくせに分かりやすいんだよ!」
王の骸骨が咳払いをする。
「ゲフンゲフン。とにかく、世界が正常である限り、君には何の使命もない」
優馬は思わず吹き出した。
「それ、本当に仕事なんですか?」
「だから人気がないんだ」
王の骸骨は真顔で答えた。
「え?」
「ほとんどの人間は勇者になりたがる。魔王を倒したい。世界を救いたい。チートで無双したい」
「……まあ、そうでしょうね」
「だが、我々はそういう人材を選ばない」
「なんで?」
「使命を求める者ほど、余計なことをするからだ」
「……ああ」
妙に納得してしまった。
王の骸骨は続ける。
「我々が求めているのは、普通に生きられる人間なんだ」
「普通に飯を食べ、普通に働き、普通に笑い、普通に死ねる人間」
「その方が、世界に余計な影響を与えない」
優馬は苦笑した。
「それで俺なんですね」
「そういうことだ」
「褒められてる気がしませんけど」
「最高の褒め言葉だよ」
その瞬間。
後ろに立っていた護衛の骸骨たちが、一斉に頷いた。
カタカタカタッ。
骨のぶつかる音が部屋に響く。
(なんか拍手代わりなのかな)
優馬はそう思いながら、小さく笑った。
勇者でもない。
救世主でもない。
特別な使命を背負うわけでもない。
ただ、別の世界で生きる。
自分の好きな場所へ行き、自分の好きなことをする。
それだけ。
それなのに――。
優馬の胸の奥では、四十年間一度も感じたことのないような何かが、少しずつ膨らみ始めていた。
「……楽しそうだな」
思わず、声に出ていた。
王の骸骨が頷く。
「そう思うなら、君には向いているよ」
優馬は、地図へ目を落とした。
見たことのない国。
見たことのない街。
見たことのない景色。
そして、まだ何も知らない世界。
(行ってみるか)
四十年の人生で初めて、自分から何かを選んだ気がした。




