第2話 死神は礼儀正しい
(そうか。俺は死ぬのか)
そう結論づけると、不思議なくらい頭が静かになった。
悲しくもない。
悔しくもない。
もっと取り乱すものだと思っていた。
テレビや映画では、死を前にした人間は泣いたり叫んだりする。
けれど、実際の自分はそんな感情にはならなかった。
「あー……」
思わず頭を掻く。
四十歳、独身。
……童貞。
中規模ゼネコン勤務。
貯金はそれなりにある。
ローンはない。
友人は数人。
兄とは十年近く会っていない。
親はもういない。
別れを惜しむ人は……いない。
「……まぁ、いいか」
思わず笑ってしまう。
未練が全くないと言えば嘘になる。
まだ食べたかったラーメン屋もある。
積んだままのゲームもある。
あの漫画が完結するまで読みたかった。
でも、それくらいだ。
「人生って、案外あっさり終わるもんなんだな」
その呟きが聞こえたのか、正座したままだった骸骨が、ぴくりと肩を動かした。
そして、カタカタと顎を動かす。
「田中優馬様」
女の子の声だった。
ってか、どうやって声が出てるんだろう。
澄んだ、高い声。
どう考えても、この見た目から出てくる声ではない。
「このたびは、四十歳のお誕生日、誠におめでとうございます」
「……ありがとう」
反射的に礼を言ってしまった。
骸骨も、もう一度ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いや、何でそっちがお礼言うんだ」
「嬉しかったので」
「そういうものなのか」
「はい」
変な死神だ。
もっとこう、不気味な笑い方をするとか。
「寿命だ」と冷たく宣告するとか。
そういうイメージだった。
目の前の骸骨は、役所の受付係みたいだった。
礼儀だけはやたらと正しい。
「えっと……」
優馬は頭を掻いた。
「確認なんだけど」
「はい」
「俺を迎えに来たんだよな」
「いいえ」
「違うのか」
「違います」
即答だった。
「お迎えではありません」
「じゃあ何なんだ」
「お迎えではなく、お誘いです」
「……勧誘?」
「はい」
「新聞?」
「違います」
「宗教?」
「違います」
「保険?」
「違います」
「じゃあ何だよ」
骸骨は少しだけ胸を張った。
「異世界です」
部屋が静まり返った。
「…………」
「…………」
「……はい?」
思わず聞き返す。
「異世界です」
「もう一回」
「異世界です」
「異世界転生とかの?」
「近いです」
「トラックには轢かれてないぞ」
「存じております」
「不治の病でもない」
「はい」
「暴漢に刺されてもない」
「はい」
「なのに異世界?」
「はい」
優馬はしばらく天井を見つめた。
疲れているのかもしれない。
残業続きだった。
風呂にも入った。
酒はまだ飲んでいない。
なのに、異世界と言われている。
骸骨に。
「夢かな」
「現実です」
「幻覚かな」
「現実です」
「俺、精神科行った方がいい?」
「その必要はありません」
優馬はソファへ腰を下ろした。
骸骨が正座のまま、体ごとこちらに向く。
怖い。
姿勢が良すぎる。
「えっと」
優馬は一つ、大きく息を吐いた。
「もし、仮に」
「はい」
「百歩譲って異世界だとして」
「ありがとうございます」
「まだ譲ってない」
「失礼しました」
「俺に何の用?」
骸骨は少しだけ視線を伏せた。
「詳しいお話は、こちらではできません」
「機密事項?」
「はい」
「どこで聞ける?」
「案内いたします」
「遠い?」
「歩いて十分ほどです」
「歩いて?」
「はい」
「異世界じゃなくて?」
「その前です」
優馬は首を傾げる。
意味が分からない。
「……あのさ」
「はい」
「俺、やっぱり死ぬんじゃないの?」
「死にません」
「本当に?」
「本当です」
その声には、不思議なくらい迷いがなかった。
優馬は骸骨を見つめる。
嘘をついているようには見えない。
骸骨だから表情はないけど。
それでも、何となく分かる。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってくれ」
「はい」
「スマホ取ってくる」
「どうぞ」
「ブックマーク消したい」
骸骨は数秒、動きを止めた。
「……ブックマーク、ですか」
「男にはな」
優馬は真顔で頷く。
「死ぬより大事なことがある」
骸骨はゆっくり頷いた。
「承知いたしました」
「分かってくれるか」
「分かりません」
「分からないのかよ」
「ですが、とても大切なことなのだという雰囲気は伝わりました」
「そうだ」
「では、お待ちしております」
優馬は立ち上がり、テーブルに置いていたスマホを手に取る。
ブラウザを開く。
お気に入りや閲覧履歴を確認する。
「……結構あるな」
思っていたより多かった。
後ろから、じっと視線を感じる。
「見ないでくれ」
「見ておりません」
「本当に?」
「目がありませんので」
「そうだった」
少しだけ笑ってしまう。
変な夜だ。
四十歳になった最初の会話が、骸骨とブックマークの整理についてになるとは思わなかった。




