第12話 初めての名付け親
狼もどきたちとの戦いを終えた優馬は、再び川のほとりへ戻ってきた。
川幅は二十メートルほど。
水は底まで見えるほど透き通っていて、流れも穏やかだった。
周囲には木々が生い茂り、少し離れた場所には食べられそうな木の実も見える。
「ここ、拠点にしませんか?」
隣の少女が、川を眺めながら言った。
「川があって、森があって、魚もいます。異世界生活の拠点としては、かなり良いと思います!」
「確かにな」
水がある。
食料も確保できそうだ。
少なくとも、すぐに餓死するような場所ではない。
「よし、まずは道具を作るか」
優馬は足元の石を二つ拾った。
ガチン。
石同士を打ち合わせる。
もう一度。
ガチン。
数回繰り返すと、一つの石が鋭く割れた。
何個かできたうちの一つをその辺に落ちているいい感じの棒に、その辺に落ちている蔦っぽい草でぐるぐると結びつけた。
「お、いい感じだ」
「打製石器ですね!」
少女が嬉しそうに言う。
「知ってるのか?」
「もちろんです!」
「学校で習ったのか?」
「学校もですけど、漫画でも勉強しました!」
「やっぱり漫画か」
「『Dr.STONE』はもちろん、『サバイバル』とか!」
「そこまで知ってるのか、というか後半は俺も読んだことない」
「兄様が『これは名作だから』って力説してました!」
「お兄さんがいるんだ」
「そうなんです!サポーターの教科書として、色んな参考書を読ませてもらいました」
漫画が参考書って、どんな研修だったんだ。
まあ、大きく間違ってはないけど。
優馬は苦笑しながら浅瀬へ足を踏み入れた。
魚影が見える。
二十センチほどの魚が数匹、流れに逆らうように泳いでいた。
「よし」
石器を振り上げる。
バシャッ!
外れた。
魚が一瞬で逃げる。
「難しいな」
「頑張ってください!」
「言われなくても頑張ってる」
もう一度狙う。
バシャッ!
また逃げられた。
「くそ」
「魚さん、すばしっこいですね」
「次で決める」
深呼吸。
狙いを定める。
(力を抜いて……)
石を振り下ろした瞬間だった。
ドゴォォォォォン!!
川面が爆発したように、水柱が二メートル近く吹き上がる。
魚が四匹まとめて宙を舞った。
「…………」
「…………」
優馬はゆっくり自分の右手を見る。
手に握っていたはずの石器の持ち手以外が消滅していた。
「まただ」
「またですね」
「加減が分からん」
少女は飛び跳ねながら拍手した。
「すごいです!まるで投石機です!」
「褒められても困る」
「身体強化、大成功ですね!」
「成功しすぎなんだよ」
石器は魚どころか、水面まで吹き飛ばしていた。
これでは釣りではなく爆撃だ。
「普通に魚を獲りたかっただけなんだけどな」
「結果オーライです!」
「まぁ、獲れたからいいか」
浮かんできた魚を回収する。
十分すぎる量だった。
「今日はこれでいい」
「ご飯です!」
「その前に下処理な」
川で内臓を取り除き、木の枝へ刺していく。
「よし」
優馬は満足そうに頷いた。
「じゃあ、焼くか」
そう言ったまま動きが止まる。
「……」
「優馬さん?」
「……焼けない」
「え?」
「火がない」
「あ」
二人そろって固まった。
静かな川のせせらぎだけが流れる。
「生で食べます?」
少女が恐る恐る聞く。
「川魚は怖い」
「寄生虫ですね?」
「そこまで知ってるのか」
「日本では有名です!」
「ほんと何でも知ってるな」
優馬は周囲を見回した。
ライターはない。
マッチもない。
もちろんガスコンロなんてあるわけもない。
「火を起こすしかないか……」
「おぉ!」
少女の目が輝いた。
「来ました!」
「何が?」
「主人公イベントです!」
「イベント?」
「木を擦って火を起こす名シーンです!」
「名シーンなのか?」
「サバイバル作品では定番です!」
少女は興奮気味に指を折り始めた。
「『Dr.STONE』!」
「うん」
「『サバイバル』!」
「読んでない」
「『ゆるキャン△』!」
「キャンプしてるだけじゃねぇか」
「あと、『ふたりソロキャンプ』!」
「後半は最近のじゃねぇか」
「日本文化ですから!」
「漫画文化だろ」
「漫画も立派な文化です!」
それは否定できない。
「よし」
優馬は乾いた枝と木片を集め始めた。
少女も楽しそうに後を付いてくる。
「これで合ってます?」
「細すぎ」
「じゃあこれは?」
「湿ってる」
「これは!」
「それ薪じゃなくてキノコ」
「惜しい!」
「全然惜しくない」
十分ほどで材料が揃った。
優馬は地面へ座り込み、木の板へ細い枝を押し当てる。
ギュッ、ギュッ、ギュッ……
一定のリズムで擦り続ける。
十分。
二十分。
三十分。
(……疲れない)
腕は痛くならない。
肩も張らない。
息も乱れない。
普通なら、とっくに限界を迎えている時間だ。
なのに身体は、まるで散歩でもしているかのように平然としている。
(これが身体強化か)
改めて、その異常さを実感する。
ただ。
「めんどくせぇ……」
思わず本音が漏れた。
疲れてはいない。
でも、同じ動作を延々と繰り返すのは、とにかく退屈だった。
「優馬さん!」
少女が笑顔で親指を立てる。
「頑張ってください!」
「身体は元気なんだよ」
擦り続けながら答える。
「でも、面倒くさい」
「優馬さんならできます!」
「俺の何を知ってんだよ!」
無駄口で多少は気がまぎれる。
ギュッ、ギュッ、ギュッ……
ひたすら摩擦を繰り返していると、黒い木くずが少しずつ溜まり始めた。
細い煙がふわりと立ち上る。
「よし」
優馬は慎重に木くずの火種を枯れ草へ移した。
「見ろ」
「おぉぉぉ……!」
少女はしゃがみ込み、目を輝かせる。
「本当に火種だ……!」
「ここからが一番大事なんだ」
優馬はゆっくり息を吹きかける。
「ふぅー……」
赤い火種が少しだけ大きくなる。
「もう少しですね……」
「だから静かに」
「はい!」
少女は両手で口を押さえた。
さらに息を送る。
赤い部分がじわじわと広がっていく。
(もう少しだ)
そう思った瞬間だった。
ふっ。
赤い光が急に弱くなった。
「……あれ?」
優馬は慌てて息を吹きかける。
ふぅっ。
赤い部分が、さらに小さくなる。
「おい……」
もう一度。
ふぅっ。
赤い光が、ほとんど消えかけていた。
「ちょっと待て」
優馬は焦って息を送り続けるが、火種は弱まる一方だった。
「消える……!」
「優馬さん!」
少女も身を乗り出す。
火種が、あと少しで完全に消える。
その瞬間。
「……っ」
少女の指先に、小さな光が灯った。
ポッ。
次の瞬間。
ボッ!
乾いた草に火が燃え移り、焚き火が勢いよく燃え上がった。
「…………」
優馬はゆっくり顔を上げる。
少女は人差し指を立てたまま、気まずそうに笑っていた。
「……何した?」
「ちょっとだけ魔法を……」
「なんで?」
「消えそうだったので!」
「そうだけど!」
「本当に、あと少しで消えちゃいそうだったので……つい」
「最初から使えぇ!!」
優馬の叫びが森中へ響き渡る。
鳥たちが一斉に飛び立った。
「す、すみません!でも本当に消えかけてて……」
しょんぼりとうつむく。
悪気があるようには見えない。
むしろ、本気で焦っていたのが伝わってくる。
優馬は頭を掻いた。
「……つーか、魔法使えるなら言っといてくれよ」
「え」
「木を擦る必要、一切なかったよな?」
「……そうですね」
少女は気まずそうに目を逸らした。
「なんで最初から使わなかったんだ?」
「せっかくのイベントだったので」
「イベントのために三十分無駄にしたのか、俺は」
「主人公っぽくて格好良かったですよ!」
「フォローになってない」
「途中まで、すごく良い雰囲気でした!」
「途中までかい」
「最後、魔法で台無しにしちゃいましたけど」
「自覚あるんだな」
「はい」
素直すぎる返事に、逆に毒気を抜かれる。
「……まあ、火は消えるよりマシだけどな」
「許してくれますか?」
「次イベントやるときは、最初から頼むぜ」
「頑張ります!」
「はい!」
「じゃあ魚を焼くか」
「はい!」
焚き火の上へ枝を渡し、魚を並べる。
ジュウゥ……
脂が炎へ落ちて、香ばしい匂いが辺りへ広がった。
「おぉ……」
少女のお腹が鳴る。
ぐぅぅぅ。
「……聞こえました?」
「盛大にな」
「恥ずかしいです」
「骸骨でも腹は減るんだな」
「受肉しましたから!」
「便利な身体だ」
十分ほどで魚が焼き上がる。
優馬は一本手に取り、大きくかぶりついた。
「熱っ!」
「あつっ!」
少女も同じタイミングで声を上げる。
思わず二人で顔を見合わせた。
「ふっ」
「えへへ」
少し冷ましてからもう一口。
「……うまい」
味付けなんて何もない。
腹が減ってるから、それでも十分美味かった。
少女も夢中で食べている。
「美味しいです!」
「塩があったらもっと美味いんだけどな」
「塩!」
少女が勢いよく顔を上げる。
「日本人は塩好きです!」
「いや、日本人というか人類な」
「あと、お醤油!」
「醤油まで知ってるのか」
「もちろんです!」
少女は指を折りながら数え始める。
「味噌、醤油、みりん、料理酒、お酢!」
「調味料講座が始まった」
「日本食は奥が深いんです!」
「異世界来て最初の講義が調味料とは思わなかった」
「あと、おにぎり!」
「話変わったな」
「白ご飯!」
「さらに変わった」
「卵かけご飯!」
「腹減ってるだけじゃねぇか」
「バレました!」
ケラケラ笑う少女を見て、優馬も笑ってしまう。
魚を食べ終えた優馬は、焚き火へ薪を一本くべた。
パチッと火の粉が舞う。
「……やっぱり不思議だな」
「何がです?」
「お前が骸骨だったってこと」
少女は自分の手のひらを、まじまじと見つめた。
「私も不思議です」
金色の髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
どこからどう見ても、あの正座していた骸骨とは別人だ。
「今のこの姿、この世界の人間と同じなんだよな」
「はい!こちらの世界に合わせた姿だそうです」
「便利だな」
「でも、中身は変わってませんよ」
「それは分かる」
優馬は苦笑した。
しばらく火を眺める。
そこで、ふと。
優馬は自分の顔に触れた。
「……そういえば」
「はい?」
「俺って、今どんな顔してるんだ?」
「どんな顔……?」
「いや、転送されてからちゃんと自分の顔見てない気がする」
「そうですね」
優馬は川の水面を覗き込んだ。
透き通った水が、鏡のように自分の姿を映している。
「……」
優馬は固まった。
そこに映っていたのは、見慣れた四十歳の自分ではない。
少し伸びた髪。
まだほとんど目立たない髭。
そして、明らかに若い顔。
「……誰だ、これ」
「優馬さんですよ?」
「いや、そうだけど」
優馬は頬を触る。
水面の男も同じように頬へ触れる。
「……若くないか?」
「若いですね」
「何歳くらいに見える?」
少女は少し考える。
「二十歳くらいでしょうか」
「二十歳……」
優馬はもう一度、自分の顔を見る。
四十歳だったはずの自分が、二十歳くらいになっている。
「……これも身体強化の一部なのか?」
「身体を整えるって説明はされてましたから、そうなのかもしれませんね」
「聞いてないぞ……」
思わずため息が出る。
まさか、身体能力だけではなく、外見まで若返っているとは。
四十歳から二十歳。
二十年分、身体だけ時間を巻き戻されたような感覚だった。
「……すげぇな」
驚きはした。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、少しだけ嬉しい。
「二十歳かぁ」
「若いですね!」
「中身は四十歳だけどな」
「それは変わらないんですね」
「そこまで変わったら俺じゃなくなるだろ」
少女は笑った。
優馬も笑う。
「……まあ、悪くないか」
しばらく火を眺める。
パチパチと薪が弾ける音が心地よかった。
「そういえば」
優馬が少女を見る。
「お前、まだ名前ないよな」
少女は少しだけ寂しそうに頷いた。
「管理番号だけです」
「毎回『サポーター』って呼ぶのも味気ないよな」
「……できれば」
少女が優馬を見る。
「名前、欲しいです」
「俺が付けていいのか?」
「はい!」
「でも、センスないぞ」
「大丈夫です!」
「本当に?」
「優馬さんが付けてくれるなら、どんな名前でも嬉しいです!」
「……そうか」
優馬は腕を組んだ。
「ホネ」
「嫌です」
「即答か」
「嫌です」
「スカル」
「もっと嫌です」
「死神」
「怖いです」
「ナビ」
「機械みたいです」
「なんでもいいって言ったじゃん。じゃあ……ガイコツ」
「私、女の子ですよ!」
「骨子」
「子が付いてればいいわけじゃないです!」
「カルシウム」
「栄養素です!」
「カル」
「犬みたいです」
「ルシウム」
「なんか男の人っぽいですね」
「ルシ……」
優馬がふと口を止める。
「ルシア」
その瞬間だった。
少女の目が大きく見開かれる。
「……ルシア」
もう一度、小さく呟く。
「ルシア……」
今度は少し嬉しそうに。
「ルシア!」
満面の笑みになった。
「いいです!」
「気に入ったか?」
「すごく!」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
そんなに嬉しいものなのか。
「実はですね!」
少女が得意げに胸を張った。
「この世界のとってもマイナーな女神様と同じ名前なんです!」
「へぇ」
「知名度ほぼゼロです!」
「マイナーなんだ」
「今はほとんど誰も知りません!」
「そんな女神もいるんだな」
「いますよ」
ルシアは楽しそうに笑った。
「だから、きっと良い名前です!」
「そりゃよかった」
こうして。
名前のなかったサポーターは、ルシアになった。
そして優馬は、異世界へ来て初めて、自分の新しい姿を知った。
四十歳だった男は。
二十歳ほどの身体になっていた。
それでも中身は、四十歳のままだった。
「明日からどうするかな」
「まずは服探しですね!」
「だな」
「あと、人のいる場所も」
「町があれば一番いいんだけどな」
「きっとありますよ!」
「で、それが見つかったら」
「冒険者!」
二人の声が重なった。
顔を合わせて、笑った。
異世界での最初の夜。
その隣には、今日ようやく名前をもらったばかりの少女がいた。




